第43話 馬と人間(2)
「それを気にしたのがおれの祖父で、子に
「裕福の裕とは、字が違いますけどね」
と
それ、いいのかな?
もし右馬之祐さんが、自分の字は「裕福の裕」だと信じていたとしたら?
それとも、むしろ、そういうことは警察官が指摘すべき、と思った?
「うん」
と右馬之祐さんは平気でうなずいた。
字が違うのは知っていたらしい。
「ま、万事、そういういいかげんな知識でいろんな仕事に手を出したから、失敗した、っていうのがほんとうのところだろうと思うんだけど」
右馬之祐さんは顔を上げて話す。
「まあ、そんなことで、あと、まあ、顔が長いでしょ、おれ?」
そういう、反応に困るようなことを言われても。
そんなときに
「まあ、そうですね」
とお嬢様的に答えてくれる
右馬之祐さんは、いやな顔はせず、むしろ得意そうに、うん、とうなずいた。
「そんなことで、小学校のころにからかわれて、いじめられて。小学校の先生が、本人がいやがるあだ名で呼んではいけません、とか言うんだけど、おれのばあい、あだ名っていうんじゃなくて、本名だからな」
そうだよなぁ。
昔から右馬助という名まえをつける家に生まれたから右馬之祐です、というのは、たとえば、「首の後ろが白いからシュー君」というより、ずっと「あだ名的」ではないネーミングだし。
そのシュー君は、初子の膝の上で気もちよさそうに目をつむっている。
初子。
猫っぽいのになぁ。
どうしてこんなに懐かれるのだろう?
右馬之祐さんが続ける。
「ところが、親が、おれが右馬之祐って呼ばれるのがいやだとか言うけど、ほんとうによくない名まえかどうか、ほんものの馬を見て決めろ、って言って。それで、そこの牧場に連れてきてくれたんだ」
つまり、いまは存在しない「ゆめ牧場」に。
「いやあ、かっこよかったぁ!」
とても明るく、朗々と、右馬之祐さんは言う。
「こういう言いかたもおかしいかも知れんけど、車のエンジンみたいにぶるぶる動いてて、しかもそれが生きものなんだ。機械みたいにかっこよくて、しかも生きものとしてもかっこよくて、おれの名まえがこんな生きものの名まえだったら、もう喜んで、って思って」
機械ではなくて、生きものだからいい、というのではなく。
生きものとしてもかっこいいけど、生きものなのに機械みたいだからかっこいい、ということ?
「じゃあ」
と
「そのとき、馬車鉄道にも?」
「うん!」
目を輝かせて、という感じで、右馬之祐さんが言う。
「加速するところ、トップスピードで気もちよく走るところ。馬が引っぱってるのに、ことん、ことん、ってレールの音も響いてきて、すごい、気もちよかった!」
ほんとうに気もちよかったのだろう。
「それで」
と、今度は
「ここの牧場に就職?」
「まあ」
と右馬之祐さんは、その「トップスピード」の心地よさのまま、話す。
「ここに就職できたのは、たまたま募集があったからだけど。親にずっと大学に行けって言われてて、ほんとは興味なかったね。なんとか学部とか、ぜんぜんピンとこなくて、さ。でも、畜産学科っていうのがあるのがわかってさ。だったら、それだ、って、農業大学の畜産学科に入学して。それで、卒業のときに、たまたま、ゆめ牧場の募集があった。ここの街で大学の畜産学科卒ってあんまりいなかったから、まあ、採用された、ってところかな」
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