第56話 揺れる月

 「いや、まあ」

と、こんどは「☆」のつかない表現で友梨咲ゆりさが言う。

 「小学校四年のとき、クラスの演劇で、主役やらせてあげるから入って、って、わたしが勧誘されて、逃げたの、って覚えてる?」

 「いいや」

 美和みなは、正直に、無情に言う。

 覚えていない、というより、最初から美和とは関係のないところで進んだ話だろう。

 その年、文化祭、正式には「全校学習発表会」のクラス行事で演劇をやったのは覚えている。

 でも、美和は別の行事をやるグループに入っていた。たしか、県の農業と農産物について調べて発表する、とか、そんなのだったと思う。

 友梨咲は言う。

 「けっきょく、わたしがその劇のナレーターをやったんだけど、美和とは違う、おんなじ字の花岡はなおか美和みわっていたでしょ?」

 「ああ」

 この子は、すぐに思い出せた。

 駅に近いほうで、昔は地主だったっていう家の子だった。

 いま町名に「稲道いなみち」とつくあたりはもともとぜんぶこの花岡家の土地だったという。それは、川路かわじの駅のちょっと西側からしんよど駅の北まで続いているから、一駅ぶん?

 「稲道」と名がつく街の南北の幅は狭い。自動車一台が通れるくらいの道が二本東西に走っているだけで、そこから北に行っても南に行っても別の町になる。

 それでも、けっこう広い。

 そのぜんぶの地主だったというのだ。

 背が低くて、髪の毛がぼさぼさでなかなかまとまらない子だった。成績はいいし、まとめ役的なところもあるんだけど、プライドが高くて、とくにその背のことや髪のことを言われると不機嫌になって泣き出してしまうこともあった。

 美和が確かめる。

 「「みわ」のほうの美和みわだな」

 「「みな」のほうの美和みな」がいないと、「「みわ」のほうの美和みわ」と言っても、たぶん、意味が不明。

 「うん。その子が主役になって」

 たしかに。

 あの子なら、自分が主役になれなければ怒ったり泣いたりしそうだ。

 「かぐや姫役だったんだけど、その、姫様らしく偉そうにするところはすごく感じが出てたんだけど」

 ……よくわかる。

 「その、月を見て、悲しそうにしてなきゃいけないときに、満月の黄色い円い板に棒をつけて幕の後ろで支えてる男子がいいかげんなやつでさ、月がふらふら揺れるわけ。右に行ったり、左に行ったり、ときどき幕の向こうに沈んじゃったりとか。それ見て、その花岡美和みわが笑い出しちゃって、わたしもつられて笑って、そのあと劇がめちゃくちゃになっちゃって」

 「うん」

 ぜんぜん知らない。

 悪いけど。

 たぶん、「みな」のほうの美和みなは、その時間、その農業の発表のほうで何かやっていたんだと思う。

 「で、もう。終わってから花岡美和みわが大泣きしちゃうしさ、たいへんだったんだけど、その、月がふらついたとき、いつもの調子でわたしが「あー、なんか月がふらふらしてますよ。なんか地球の自転がおかしいんですかねぇ? はい。現場からは以上なので、続けてください」とか言って、笑いを取るのをそこで区切りつけたらなんとかなったのかな、と思って。それから、劇っていうのに、ずっと関心があったんだ」

 「それにしては」

と、「みな」のほうの美和みなは疑問を突きつける。

 「五年生、六年生では、劇、やらなかったね?」

 「あ」

と友梨咲が反応する。

 「そのころは、放送部だったから。放送部で、体育祭とか文化祭とかでナレーションやるほうがおもしろくてさ」

と、友梨咲がそこまで言ったとき、シュー君が、ぱたっ、と立ち止まった。

 「わんっ!」

 後ろを向いてしっぽを振る。

 友梨咲の家に着いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る