第60話 別れ

 初子はつねは豪邸のほうへと帰って行った。

 箱のようなカメラを入れたバッグを持って。

 初子は出発前に

「またね、シュー君」

とシュー君ののどのところを撫でた。

 というより、のどの下を持って体を揺すった。

 「じゃあまた」

と初子が友梨咲ゆりさに言う。

 「こんどは、友梨咲が、朝、先に学校に行って、わたしが後からだね」

と言うと、友梨咲は

「うん。元気で」

と初子に言う。

 友梨咲は朝の六時二〇分とかに家を出る。たぶん、しらこうはその時間にはまだ門が開いていない。

 これまでは、初子が先に中学校に行き、学藝がくげい中学校が始まるぎりぎりに友梨咲が家を出ていたので、順番が逆になる。

 「また、休みのときとかに会おうね」

と初子は言って、振り向いてもういちど美和みなと友梨咲に手を振り、自分の家のほうに帰って行った。

 白い、革っぽい服の初子の背中が遠ざかる。

 「わんっ! わんっ! くぅーっ。くーっ。わんっ! わんっ!」

 その初子を追うように鳴くシュー君!

 しっぽを振っている。

 行きたいのかな。

 初子といっしょに。

 だったら、シュー君は猫との敵対関係をなんとかしないといけない。

 初子のおかげで、シュー君と猫の和平は訪れるのだろうか?

 初子の姿が見えなくなったところで、美和も帰ることにした。

 「じゃ、わたしも」

と美和が言う。

 「言うことは、初子と同じだけど」

 しかも、友梨咲と家族ぐるみのつき合いをしている初子と違って、美和は、小学校卒業のときに別れて、今日、たまたま会っただけだ。

 「ま、近くに住んでることがわかったんだから、また来て」

と友梨咲が言う。

 「うん」

と返事する。

 でも、もう友梨咲とはあんまり会わないだろうな、と思った。

 たぶん、土日も、休みのあいだも、その舞台芸術の活動で学校に行くだろう。

 友梨咲なら。

 「じゃあ」

と、美和は、最後まで美和が握っていたシュー君のリードを友梨咲に渡す。

 ぺたっと座って、きょろきょろと、友梨咲を見たり、美和を見たりするシュー君!

 のどの下のところ、マントを結んでいるすぐ近くを撫でてあげるけれど、初子がやったときほど喜ばない。

 けっきょく、ずっとリードを握っていたけど、シュー君にはあんまり好かれなかったみたいだ。

 ところが。

 もういちど、友梨咲に軽く手を振って、シュー君のリードの長さぐらいのところまで美和が来たとき

「わわわわわわわん! わわわん! わわわわわわわわわわん!」

と、いきなり激しく突進してくるシュー君!

 友梨咲が止めようとしたけど、逆に友梨咲が引っぱられて、二‐三歩、前に出る。

 「わわわん! わわわん! わわわわわわわん! わん! くぅーっ! くぅーっ! わんっ! わわわん!」

 美和の足のところに体をすり寄せてこようとするシュー君!

 はあっ?

 美和が振り向くと、友梨咲が困った顔で

「これからは、リードはずっと美和が握ってくれると、シュー君、思ってるみたい」

と言う。

 何それ?

 美和が握ってるのが当然だと思ってたから、愛想よくしてくれなかったの?

 しかたがない。

 美和は、シュー君の前にしゃがんだ。

 シュー君が気もちよがるという、のどの下のところを、右と左で交互に撫でてやる。

 語りかける。

 「だぁめだよ、シュー君。ご主人様は、友梨咲なんだから」

 口の横をぶるぶるっと撫で、耳の下の横を撫で、最後に頭を撫でてやって、立ち上がる。

 「くぅーっ!」

 シュー君。

 悲しそう……。

 「よしっ」

 友梨咲が、そのシュー君を抱いた。

 もう、美和を追ってくることはできない。

 美和は、友梨咲の胸のところで、シュー君の右前足、左前足、もういちど右前足を右手で握って握手する。

 「またね。シュー君。またね」

 そう言って、友梨咲のところから離れる。

 ゆるくカーブする道で、友梨咲とシュー君の姿が見えなくなる。

 その間際まで、友梨咲は、シュー君の右手を握って、いっしょに手を振ってくれていた。

 振ると言っても、横に、というより、前後に、だけど。

 最後に美和も手を振ってあげた。

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