第46話 馬と人間(5)

 西にし香純かすみ巡査長は、うん、とひとつうなずいた。

 「馬は鉄橋の横の斜面を転がり落ちたけど、奇跡的に、傷ひとつ負わず、無事」

と巡査長が言ったところで、右馬うますけさんは鼻の上にしわを寄せて口をぎゅっと結んだ。

 何か言おうとする。

 でも、西香純巡査長が続きを言うほうが先だった。

 「なあんて、バカなことがありますか、って話、ですよね?」

 「そのとおりだ!」

と、これまで出さなかった、野太い、もっと言えばみにくい声で、右馬之祐さんが言う。

 「どこまで知ってるんだ?」

 「ぜんぜん」

と西香純巡査長は軽く言う。

 軽くは言ったけど、ぜんぜん笑ってはいなかった。

 「警察に残ってる資料でも、そのころの新聞報道でも、それ以上の話はないですから」

 「あのとき、警察がもっときっちり調べてくれていれば!」

と右馬之祐さんが声に力をこめた。

 が。

 「あ、いや、あんたに言ってもしようがない」

と首を振る。

 「それに、あんな結末になるのなら、仕事を棒に振っても何でも、内部告発でも、たれ込みでも、なんでもすればよかったんだ」

 西香純巡査長が冷静に指摘する。

 「時代が時代ですから、いまみたいな内部告発者の保護制度とかはなかったですよ」

 「それでも、だ」

と右馬之祐さんが言う。

 「あのときに、ホープちゃんはほんとうは死んでいた、それもむごいありさまだった、って知らせてれば、ラブちゃんも、グリーンちゃんもクロちゃんも助かったかも知れないのに」

 ラブちゃんのことはさっき言った。グリーンちゃんとかクロちゃんというのも、馬の名まえだろう。

 「死んだんですか?」

初子はつねがきく。

 「もちろん」

 右馬之祐さんが答える。

 「十何メートルの崖を転がり落ちたんだぞ」

 右馬之祐さんは、口の両端を低く下げて、ふうっ、と息をついた。

 「もっとも、ああいうばあいでなければ、ホープちゃんの脚力があれば、うまく足場を見つけて駆け下りられてたかも知れん。だが、フラッシュで驚いたうえに、後ろの馬車が脱線で急に動かなくなって、もがいて、それでいきなり放されて飛び出したんだからな。その場所が崖だなんてことは、意識もしなかったかも知れん」

 右馬之祐さんはまたしばらく黙った。

 低い声で続ける。

 「獣医さんは、まだ息はあったから、できるだけ手当てをする、って言ってくれたけど、会社は、にくっていうので売ってしまって。もちろん、大っぴらに売ったらそこからばれるから、たぶん、売った相手は仲間内の業者だったんだろう」

 「それで」

と、初子が細い声で言う。

 「でも、馬を隠しただけでは、いずればれますよね?」

 言って、初子はまばたきした。

 まばたきして、寝ているシュー君の頭を撫でる。

 幸せなシュー君。

 「そのとき生まれてなかったわたしが知ってるぐらいですから」

友梨咲ゆりさも言う。

 「けっこう大きく取り上げられたんじゃないですか?」

 「もちろん調べられたさ」

と右馬之祐さんが答えた。

 「でも、帳簿を改竄かいざんして、馬は最初から三頭しかいなかったことにした」

 「それ」

と西香純巡査長が、目を伏せて言う。

 「警察がそのとき少し調べてれば、わかりましたよね」

 「うん」

と右馬之祐さんは小さくうなずいた。

 「それに、いまみたいに、その、SNSとかいうのが発達してれば、そのときからホープ号が姿を見せない、ということは一気に広がったんだろうけどな」

 右馬之祐さんは警察のことには触れずに言った。

 「それで?」

と初子がきく。

 相変わらず、細い声で。

 「いよいよ、その次に、その、ラブちゃんが?」

 「うん」

と右馬之祐さんは頷いてから

「四頭で回すのもきつかったのに、三頭で回すことになって、どの馬の状態も悪くなった」

と言う。

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