夢見る乙女クラウディア

 法皇の政務室に、一人のうら若き乙女が上がりこんできた。


「叔父様! これはどういうこと!」


 女性の名はクラウディア。彼女は体の至るところに輝く金銀の装飾品を引っさげつつ、叔父――本当は父である――の胸ぐらを掴み上げた。


「私とニッコロ様の結婚をお決めになったのは叔父様でしょ? なのに、どうして今更あの……あの太っちょな王様に嫁がされるんですの?」


 太っちょな王様、とはロレニア王ルイージのこと。いつも傍らに美女を侍らし、政務は親しい貴族任せ、との彼の噂は遠く法皇国にも伝わっていた。


 法皇の娘にしてみれば、既に結婚式を挙行した後で「先日の結婚は無効だ」と宣言されるのも嫌であったが、それ以上に評判の悪い愚王に嫁がされることの方がもっと嫌であった。


「クラウディア。これは政治で――」


「政治なんて知りませんわ! 私は叔父様の道具じゃありませんもの!」


 幼子のように頬を大きく膨らませて抵抗を試みるクラウディア。言いたいことは分からないでもないが、それを二十歳の女性がやるのは……。はっきり言って幼稚過ぎる。


 だが、そんな彼女をつくり上げたのは他ならぬ法皇その人であった。


 クラウディアほど「箱入り娘」という言葉が似合う女性はいなかった。


 生まれた瞬間から周囲には乳母や召使いがひっきりなしに動いてくれて、何をするにも彼らが手伝ってくれる。着替え、髪のセット、入浴、お出かけにお買い物等々。


 欲しい物は何でもおねだりした。庶民なら一生かかっても手にできない金銀の装飾品、香水、化粧品、ふかふかのベッド、タペストリー等の室内装飾品等々。手に入れられない物などクラウディアには存在しなかった。


 ただ一つを除いて。


「叔父様、私が今一番欲しいものが何か分かります?」


「え、あ、あれだろう。豪華なディナーとか、色鮮やかなワンピースとか、あとは」


「そんなのより、ずっと、ずーっと欲しいものがあるんです!」


「ず、ずっと欲しいものとな?」


「イケメンの旦那様ですわ!!」


 一切の迷いもなく言いきったクラウディア。彼女は面食いであった。今までマルティヌスの都合で社交界に参加してきた彼女は、未だかつて自分のお眼鏡に叶うイケメンに出くわしたことがなかった。


 ちなみにだが、結婚したばかりのミディオラ公爵の息子ニッコロに対するクラウディアの評価はと言えば、


「どこにでもいる普通の、色白で、頼りなくて、魅力ゼロの、でも金だけはある男」


という辛辣しんらつなものであった。


「イケメンと言われてもな。そんな男、なかなかいないぞ。クラウディア」


「いいえ、いるはずですわ。私を幸せにしてくれる白馬の王子様か、もしくは、野獣のように雄々しく私を愛してくれるワイルドな殿方が、必ずやこの世界に」


 クラウディアの顔はうっとりしていた。年齢不相応な、幼稚な夢を頭に思い描きつつ、彼女は幸せな一時を妄想するのをやめない。


 きっと、自分を幸せにしてくれる男性がいるはずだけど、今はまだ自分の前に現れていないだけ。


 でもいつか、必ず私の前に姿を見せて絶対に自分を愛してくれる。神様がそのように運命づけてくださっているのだから。


 とは言え、やはりクラウディアは法皇にとって政治の駒でしかない。


 彼女が言う「運命の相手」が仮に登場したところで、その願いが叶うことなどあり得なかった。いくら恋愛結婚を望んでも法皇は決して認めないであろうから。


「く、クラウディア。それで新たな結婚のことなんだが」


「ぜっったいに嫌ですう!!」


 クラウディアは政務室を走り去っていった。その後ろ姿を見ながら嘆息する法皇。


「誰のせいで、ああなったのか」


 枢機卿の一人が隣にいたにも関わらず、法皇は愚痴を言わずにはおれなかった。


(あなたのせいでしょうに)


と枢機卿に思われているとも知らずに。

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