第三章 公爵夫人、フロレンスに現れる
決闘裁判
その日、ベアトリーチェの姿はミディオラ公国になかった。彼女は夫オッタヴィアーノの召使いから、
「フロレンス共和国の
との手紙を受け取り、その言いつけ通りにしたのである。彼女にしてみれば夫の指示は怪く思えたが、ミディオラに戻ってもイザベラに悪口雑言を浴びせられるし、夫の妾と顔合わせも嫌。よって、この通達はミディオラに帰りたくない彼女にとって有難いものとなった。
(ミディオラに居場所はないし、せめてフロレンスは良い場所であってほしいな)
◇
エミリア侯国から馬を走らせること五日。フロレンス共和国の中心都市フロレンス市内にベアトリーチェは入った。
活気に満ちた人々の住まう都市。
それがフロレンスを端的に表した言葉である。
市の
重税に
都市の造りは似ているのにどうして?
そんなことを考えていたベアトリーチェだが、ふと足を止めた。中央広場でジュリアーノという顔も知らぬ男を待っていたら、その一角で何やら人々が集まりだしたのである。
気になった彼女が群衆のいる方向に向かう。すると、
「おい女。降伏なら今のうちだぜ」
大男が、相対する女性を威嚇していた。二人は剣を握って対峙している。これから戦いが行われるのは明らか。
「ねえ」
ベアトリーチェは近くの男に尋ねてみた。
「なんですか」
「決闘裁判?」
「ああ、そうさ」
決闘裁判。
それは原告と被告が一対一で戦い「勝者の証言を正しい」とする裁判方式である。
だが「神は正しい者に勝利をもたらされる」との考えのもとに行われるそれは公平性を欠いていた。
少なくとも、ベアトリーチェの眼前で始まろうとしている一件に関しては。
どう見ても女性には勝ち目がなかった。相手は彼女よりも頭二つは背の高い大男。これでどうすれば女性側が勝てるというのか。
それだけではない。大男の背後には、おそらく雇い人と思われる成金男が座席に腰を下ろして裁判を見守っている。
決闘裁判は金があれば代理人を立てて、その人に決闘を代行させることができる。商人は命が惜しいのか、はたまた敗訴を確実に免れるためか。ともかく大男を雇うことで勝訴をもぎ取るつもりらしい。一方の女性は代理人を立てられず自分が決闘に立つしかなかったのであろう。
こういった状況で何もしないベアトリーチェではなかった。
公爵夫人らしからぬ全力疾走で決闘場に割り込むと、
「裁判長! 私がこの女性の代理人になる。決闘の開始は少し待って!」
と決闘の見届け人である裁判長に告げた。
人々は何事かと思ったが、予期せぬ邪魔が入ったと裁判長は、ベアトリーチェを排除しようと決闘場の外側に立つ警備兵に呼び掛けようとした。その時。
「その女性に代理人をさせなさい!」
と大きな声があった。それは教会に隣接する飾り気のない邸宅の、二階のバルコニーに
「そこの女。原告女性の代理人としての裁判参加を認める」
裁判長はベアトリーチェにそう告げて、警備兵には元の場所に戻るよう目配せをする。公爵夫人は女性から剣を受け取り、
「何があったかは知らないけれど、あなたのために勝ってみせます」
と勝訴を約束する。女性は目に涙を浮かべて、
「お願いします。あの男を……ボロボロになるまであたしをこき使った娼館の支配人をやっつけて!」
女性の言葉がベアトリーチェの心に火を付けた。
公爵夫人は女騎士の顔になって裁判に臨む。
「さっきの女とそう変わらないじゃねえか。ちっこくて弱っちそうだ。おい、お嬢さん。鎧なしで大丈夫か? そんなので俺に勝てるとでも?」
見下ろす形の大男はベアトリーチェを侮り勝利は揺るがぬと思いこんでいる。
「あなたこそ、全身を鎧に包むなんて恥ずかしくないの? 傷つくのが怖い臆病者かしら?」
「んだとお!」
挑発に挑発で返したベアトリーチェ。煽られるとは思ってもみなかった大男は
大男の一撃が放たれた。
剣は横に振るわれる。
布の一部が切られて宙に舞う。
ベアトリーチェは梯子のように大男の膝、次に肩に足をかけ、その後は彼の両肩に足を付けると、そのまま剣を大男の鎧の隙間――兜と
大男が地響きを立てて倒れる。あっという間の決着。
続いて起こったのは割れんばかりの歓声。飛び入り参加の公爵夫人に賛辞が送られた。
「
「ベアトリーチェさんに間違いないね」
裁判長に指示を与えた男は、二階のバルコニーで召使いから手渡されたワインに舌鼓を打ちつつ、眼下で喝采を浴びるベアトリーチェを眺めていた。
切られた衣服から覗くガーターに注目しながら。
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