理想的な夫婦
決闘裁判が終わると一人の男が姿を見せ、ベアトリーチェに近づいていく。
「バルコニーから拝見しました。さすがは『ガーター履きし女騎士』。名に違わぬ動きだったよ。君に決闘代理人の許可を出して良かった」
「どなたですか?」
女性を励ましている時に話しかけられたからか、ベアトリーチェは不機嫌な態度をして見せる。
「失礼。フロレンスの
彼こそがフロレンス共和国の
中肉中背。
ジュリアーノは二九歳。中年とは言えないが、その外見により幾分老いた印象を与える男であった。
「し、失礼しました。ミディオラ公爵の妻、ベアトリーチェ・ド・ロレニアです」
「お待ちしておりました。ようこそフロレンスへ。ベアトリーチェ公爵夫人。ささ、立ち話もなんですから私の邸宅へお入りください」
ジュリアーノの手引きで、ベアトリーチェは彼の邸宅へと招かれた。その際、
「
の声が鳴りやまなかった。
(この人、とても愛されているんだ)
無言で先を歩く
ということは外見以外の部分で、人から愛される何かを有しているということになる。一体何が人々を惹きつけるのであろうか。
ベアトリーチェは愛された実感のない人生を送ってきたこともあってか、ジュリアーノの人となりについて詳しく知りたいと思うのであった。
◇
「いただきます」
と挨拶してから、どんどんと口に入れていく。それを不思議そうな目で見つめるジュリアーノ。
「どうかしましたか?」
「あ、いや、その。君は王族出身だから質素な食事は合わないかな、と思っていたのだが」
「そんなことはありません。むしろ、ここで食べた料理の方がお父様や兄上と一緒に食べた肉料理よりもずっとおいしいです」
王侯貴族の食卓に並ぶのは肉ばかりである。脂っこい物ばかり食べて野菜は口にしないので、彼らは太り気味であることがほとんどで生活習慣病になる者も珍しくはない。
ベアトリーチェは皮肉で言ったのではなく、心から健康的な献立を嬉しく思っていたのである。
「なら良かった。私も貴族的な食事は苦手でね。健康に気を遣わないと」
「政務に支障がでますからね」
食卓に一人の女性が姿を見せた。染色されていない白の衣服に包んでおり一見すると庶民に見えるが、その顔には高貴な身分の女性がするような化粧が施されている。髪は丁寧に後ろで束ねられ
「エヴァ。いつもありがとう。君のおかげで、私は毎日政務に励めているよ」
エヴァはジュリアーノの妻である。彼女は夫の言葉を聞くと心の底から嬉しかったらしく屈託のない笑顔で返した。
「ありがとうございます。ところで、向かい合って座っているそちらのお嬢様は?」
エヴァは、口に色々と料理を詰め込んでいるベアトリーチェに目をやり、彼女についての説明をジュリアーノに求めた。
「ああ、彼女はロレニア公爵夫人のベアトリーチェさんだ」
「あら?
「
げっ歯類の動物よろしく、口いっぱいに頬張りながら喋るベアトリーチェ。それがジュリアーノにはおかしかったらしく、彼の大きな笑いが邸宅内に響き渡る。
「何かおかしかったですか?」
食べ物を全て飲み込んでから、ベアトリーチェは彼に尋ねた。笑いをどうにか抑えてジュリアーノが答える。
「いや、ギャップがありすぎてつい……。決闘裁判の時の君と食事中の君が同じに見えなくてね」
「え?」
「ちょっとあなた。年頃の女性に対して失礼ですよ」
エヴァが夫を肘で突っついた。
「いえ、とても嬉しいです。奥様」
「いいえ、ベアトリーチェさん。遠慮なさらないで。夫は時々失礼なことを言うものだから。私も妻として注意しているのだけれど……。この人なかなか直してくれなくて」
「そんなことはありません。奥様。旦那様の飾らないところ、私は好きになりました」
ベアトリーチェの言葉は嘘ではない。彼女はジュリアーノの気さくな人柄に感化されていた。優れた容姿の持ち主ではない彼には、それを補って余りある人の
カリスマ性。
ジュリアーノが有する最大の武器に、ベアトリーチェは惚れていた。彼の近くにいると、王族だからと植え付けられた礼儀や振る舞いを捨てられる。本当の自分も
また、その妻であるエヴァも受動的な女性ではなく旦那の振る舞いに注意をするような暮らしができていることにも、ベアトリーチェは憧れた。ロレニアの宮廷では外国から嫁いできた女性が夫にあれこれ言うことは妻らしくないとされてきたから、この夫婦の姿は一層新鮮なものに映っていた。
理想的な夫婦だな、とベアトリーチェには思えた。
「あ、ベアトリーチェさん。食事を終えたら、オッタヴィアーノ殿から言い渡された事をお伝えするよ」
「分かりました」
「前もって言っておくけれど……どうか、気分を悪くしないでくれ。君が何も悪いことをしていないことは分かっている。だから、私は君にできる限りの自由は与えようと思っているからね」
できる限りの自由? それはどういう……?
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