最後の希望

 首都の包囲が続いたことで民衆は恐怖に囚われていた。


 絶望の矛先は領主のジョバンニに向けられていった。


『領主様が悪いのだ』


『皇帝派の国に住む我々が攻撃されたのには、領主様が何か一枚嚙んでいるのではないか』


『もしかして、外にいる敵と領主様はグルなのでは?』


 根も葉もない噂が住民の間に広まっていく。すると集団ヒステリーが起こり、やがて住民の中から彼らの指導者――人々を煽るのが得意な連中が現れ、封鎖された市内がにわかに騒がしくなっていく。


「旦那様。大変でございます!」


 その情報はジョバンニの耳にも届けられたが、彼の執事が主人の元に来る頃には群衆が侯爵の屋敷を包囲し終えていた。


 ジョバンニは頭を抱えた。


(チェーザレ殿に救援要請はしたが、奴は果たして私の願いを聞き入れたかどうか……。やはり、傭兵上がりの領主など当てにしてはマズかったのやもしれん)


 だが、非常事態となれば手段を選んでいられないのも事実。


 溺れる者はわらをもつかむというが、この時の侯爵程この言葉がピタリと合う人物もいまい。


 ところで、チェーザレを「頼りたくない相手」とジョバンニが思っていたのには訳がある。それは既に述べた、十年前のリヴォリアナ戦争にあった。



 ジュリアーノの兄が暗殺された後、フロレンス共和国は法皇と対立。その後に生じたのがリヴォリアナ戦争であることは語られているが、その際に


 その理由は、領土的野心と自身への不満の矛先反らしにあった。


 開戦直前のエミリアでは疫病が大流行し、総人口の三分の一近くが死ぬという大惨事が起こっていた。それを民衆は「領主に対する神の裁き」と捉えてジョバンニの上位領主、つまりはグロウディッツ帝国の皇帝にジョバンニの解任を嘆願。


 領民の要請を受けた皇帝は軍を動かしてエミリア領付近に接近した。これは脅しに過ぎず間もなく皇帝の軍は引き上げていったが、それでも民衆の怒りは収まらなかった。


 そんな時、西の隣国フロレンスに法皇が軍を進めているとの情報を得たジョバンニは上手い策、もとい大義名分をつくり上げた。


『我が領地にて疫病が流行ったのは神が私を罰するため。結果、私が愛する住民たちは苦しむことなった。責任は私にある。


 これの埋め合わせとして、私は現在フロレンスに裁きを下そうとしている法皇猊下げいかと協力して西に軍を進めるつもりだ。


 猊下は世界一の神のしもべ。もし私が猊下とともにフロレンスを打ち破れれば、それは即ち神からの許しが得られるということ。どうか私が許しを得られるよう協力をしてもらいたい』


 明かなこじつけであった。そもそも神の名を出して、民衆に戦争参加を求めるなど領主としてどうなのかとも思えてくるが……。信心深い民衆は彼の言葉にあっけなく従い、やがて軍が組織されるとフロレンスへと侵攻。


 こうしてエミリア侯国はリヴォリアナ戦争の当事国となったのだが……。先にも述べたように戦争はフロレンス側の勝利に終わってしまった。


 軍を持たない素人兵ばかりの国に、騎士の家に生まれ物心ついた頃から武芸に励んでいたジョバンニ率いる軍が敗れた。なぜか。


 それこそがジュリアーノが雇い入れたチェーザレの活躍にあった。


 当時、この隻眼男は半島北部を彷徨い歩く傭兵組織「白衣団」を率いて、小国家群の領主に雇われながら生活していた。そんな中で起こった半島中央部の動乱。


 孤立無援であったジュリアーノは根無し草であった彼に、


『ルッチアの支配権を譲渡する見返りとして我が方に付いてほしい』


と要請。これをチェーザレは快諾し、半島西部に敷設されているアッリア街道を通ってフロレンス領内に到着。ジュリアーノと手を組んだ彼は部下とともに戦い、遂に執政官と共和国の防衛に成功したのである。



 以上のことを踏まえれば、ジョバンニがルッチア領主チェーザレを頼りたくないのも頷けよう。過去の戦争で敵同士であったうえ、今でもこの隻眼男とジュリアーノはねんごろな関係であるのだから。


 しかし、彼の予想に反してチェーザレは向かってきていた。


 その胸の内にあったのは「因縁」の二文字。


 彼にとって侯爵を助けるという目的は二の次ではあったが、そんなことはジョバンニには関係なかった。


(あの男が来てくれたか!)


 夜になり辺りが暗くなった時。


 ジョバンニが二階のバルコニーから西の山脈を眺めると、チラチラと明かりが目に入った。おそらく松明たいまつから発せられたもので、それはジョバンニの心をも明るくしていった。


「まだ望みはあるぞ」


 チェーザレの軍が包囲している敵を攻めてくれれば、自分はそれに加勢するために打って出る。そうすれば状況は好転する。ジョバンニには希望が見えてきた。


「こんばんは、お父様。少しだけ、あたしの話を聞いていただけませんか?」


 娘が自分の元を訪れるまでは。

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