予期せぬ襲来

 侯爵の異母兄妹がアトリエで思いをぶつけ合った翌日のこと。


 ラエミリアの住民に戦慄が走った。


『黒衣団がエミリア侯国北端の都市モイラを占領。そのままの勢いで南下中』


 住民は知らせを聞いて市内を駆け回りだした。まさか皇帝派の国に住まう我々の領土に皇帝の犬どもが襲いかかってくることなど思いも寄らなかったから。


「ええい、皇帝陛下の傭兵団が何故我が領土を侵すのだ!?」


 エミリア侯爵ジョバンニがそのように狼狽ろうばいしたのは、なんと首都が三方向――北・西・南の陸路を封鎖されてしまってからのこと。幸いにも首都の東側は海に面しており、完全な封鎖は免れていたものの補給は絶望的。首都の備蓄が尽きれば籠城は時を経ずして飢餓をもたらすに違いない危機的状況にあった。


 ここでジョバンニは二つの手を打った。


 まずは首都を包囲中の黒衣団に使者を送り、彼らの非を鳴らした。一体全体、何の道理があって皇帝派の国を攻めているのかと。


 これに対するゲラルドの返事は、


『私は皇帝陛下から露払いを命じられているに過ぎない。よって、法皇国の手前にある国々について、我々がどうしようとこちらの勝手である』


というもの。


 屁理屈をこねているとしか思えなかった。 「特に何も言われていないから、自分たちの好きにさせてもらう」なんて論理がまかり通るはずがなかろう。


 しかし、万を超える勢力で進軍してくる黒衣団にジョバンニは抗弁できなかった。


 所詮、この世はより強い暴力を行使できる者が滅茶苦茶な理屈を押し通せるようにできている。この場合、兵力で劣るジョバンニの方が理屈を引っ込めざるをえなかったのである。


 一つ目の策は失敗に終わったが、もう一方の策はどうであったか。


 侯爵はある人物に宛てた書簡を送っていた。


「皇帝陛下の犬どもが、神がお認めにならぬ偽りの正義でもって我が領土を侵しております。どうか法皇猊下げいかには、この不埒ふらちな輩に正義の鉄槌を下して頂きたい」


 そう、ジョバンニは皇帝派の国を治めているにも関わらず、対立勢力の長である法皇に援軍を求めたのである。


 これにすぐさま法皇が応えて軍を送っていたならば、エミリア侯国の運命は変わっていたかもしれない。


 だがこの時、法皇マルティヌスは動かなかった。黒衣団のエミリア侵攻と時を同じくして、法皇はフロレンスで画策していた革命の最終打ち合わせに注力していたからである。


 法皇にとっては侯爵に恩を売るよりも、宿敵ジュリアーノが治める国の政権掌握の方がより優先すべき事柄であった。そして、その結果は既に述べた通り。


 そして、計画失敗を知らされた法皇は気落ちして侯爵への返事さえしなかった。


 だが、ジョバンニにはまだ希望が残されていた。


 敵は傭兵。


 ならば、こちらも傭兵を雇えばよい。


 ジョバンニはすぐさま行動を開始した。攻囲されている状況下で、ルッチアの領主チェーザレに使節を派遣。夜間で視界が制限された中で放たれた使節は、幸いにも黒衣団の監視網にかかることなく、全速力で馬を走らせてルッチアに到着。


 そして、チェーザレは侯爵の要請を承諾すると自らが軍を率いて進軍。道すがらフロレンスで援兵を加えた後、エミリアに向かう途上にあった。



 以上が、黒衣団のエミリア侵攻とその後の首都ラエミリア包囲、そしてジョバンニ侯爵が採った対策とその成否、及び周辺諸国の動向についてのまとめとなる。


 首都でいつ訪れるか分からぬ死の恐怖に怯えつつも、市内の住民はまだ微かな希望にすがりつくことでどうにか平静を保っていた。


 戦況は絶望的で食料備蓄は払底寸前。排水設備のない市内には疫病に倒れる者が出始め、神への祈りと遺族のすすり泣く声が聞かれる中にあっても、庶民はたくましく生きようとしていた。


 だがそんな状況下で最悪の出来事が起こってしまう。


 エミリア侯爵ジョバンニ・ダ・ガッラが殺害されたのである。

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