甘美な小悪魔、法皇のお膝元に潜入する

 クラウディアがラティニ市内へと飛び出していく。


(お父様は私を女として見ていないのよ)


 ぷんすかぷんすかと怒ったままで市内を適当に歩いくクラウディア。彼女はやがて裏路地に到着。すると、


(どこ……?)


 なんと、自分が今どこにいるのかが分からなくなってしまった。いつもなら護衛や従者が先導してくれて道に迷うことはないのだが、今回は怒りに任せて先導役を付けずに出歩いたことで迷子になってしまったのである。


「どうされました? 高貴なお嬢様」


 そんな時、クラウディアに近づいてくる一人の男が現れた。ゆっくりと振り向く法皇の娘。とそこには、


(やだ、イケメン!)


 クラウディア好みの、端正な顔立ちの色白なイケメンが立っていた。彼は赤いチュニックに頭には頭巾シャペロンという、半島内の貴族の間で流行していた最先端ファッションを上手に着こなしている。


「み、道に迷ってしまいまして」


「そうですか。どちらに出かける予定で?」


「え、えーと、お父様の邸宅へ」


 クラウディアはここまでの経緯を話して聞かせた。突如目の前に現れたイケメンに心をとろかせながら。


「なるほど。では僕と一緒に、あなたの自宅について調べましょう。この私、吟遊詩人で劇役者のオヴィーディオが協力いたします」


 そう言うと、オヴィーディオはクラウディアの手の甲に長い口づけをした。


 法皇の娘はころりと落ちてしまった。彼女の口は軽くなり、彼と二人で自宅まで向かう道のりであらゆることを話した。


「へえ、ではあなたは法皇猊下げいかの実の娘なのですか」


「そうよ。びっくりした?」


「もちろん! ここに来て初めて声をかけた女性が、まさかこの世界で一番偉いお方の親族で、それもこんなにも美しいあなただなんて……まさしく、この出会いは神様が仕立て上げた『運命の出会い』に違いありません!」


「あらあら、随分と信心深いのですね」


「僕は敬虔けいけんな神聖教徒ですから。日々の礼拝は欠かせません。今日は奮発して、この世界一の都市にある『至天城』近くの『聖ラテン教会』に行くつもりだったんです」


 「至天城」とは戦争が生じた際に法皇が立てこもる城塞を指す言葉であり、その近くに「聖ラテン教会」という世界最古の神聖教教会があった。


「あの、ごめんなさい。その、予定を狂わせてしまって」


「お気になさらず。教会には時間が許す限り足を運ぶことができます。ですが」


 男は一目につく市内の大通りで、周りに見せつけるように、クラウディアを宿屋の壁際に追い詰めた。彼は法皇の娘の脇に手をつくと、


「あなたという天使に出会えたのですから」


と壁ドンの後でクラウディアに熱いキスをした。たっぷり五秒も。


 既にとろけ切っていたクラウディアの心は、今やオヴィーディオに完全に開かれてしまう。


「オヴィーディオ様」


「どうされました? 愛しのクラウディア」


「あなたはあと何日ここに滞在なさるおつもりで?」


「さあ。でも、聖ラテン教会で礼拝ができたら、別の都市に向かうつもりです。僕は吟遊詩人ですからね、クラウディア。僕の歌を求める人がいれば、風のように飛んでいくつもりです」


「待って! 行かないで。私と一緒にいてほしいの!」


 クラウディアは強く懇願したが、オヴィーディオは困惑するばかりであった。


「クラウディアさん。僕との付き合いは今日限り。あなたと僕では釣り合いません。先ほどあなたのくちびるを奪ったのも、今思えば僕の過ち。どうか忘れてください」


「嫌! ずっと一緒にいて。私を太っちょ王なんかのところに行かせないで!」


「困りましたね……。僕は一体どうすればいいのでしょうか」


 お手上げのポーズをして見せるオヴィーディオに、クラウディアはこんな提案をした。彼女の頭をフル回転させて導きだした、何とも浅慮せんりょな考えを。


「私があなたを雇えばいいんだわ!」


「雇う?」


「ええ、そうよ。お父様の屋敷で働く、私直属の吟遊詩人として」


「そんな無茶な!」


「無茶じゃないわ。必ずお父様に認めさせてやるわ。『もし受け入れてくれないなら、私はあの太っちょ王の元に嫁ぎません』と脅してね」


 言うが早いか、クラウディアはオヴィーディオの手を強く握るとせっかく辿り着いた屋敷には入らずに、父のいる教会の政務室へと走り出す。感情と行動が直結している彼女らしい行動であった。


 そんなクラウディアの勝手気ままに、さぞオヴィーディオは焦ったかと思えば、実はそうでもなかった。


 彼は内心でほくそ笑んでいた。


(法皇の首根っこを押さえられそうだ……。幸先が良いね。後はゲラルド殿に根回しをしておくだけだな)


 クラウディアは気付いていなかった。


 自分が小さな悪魔を近くに住まわせたことに。

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