舞踏会

 歓声が一際大きくなった。


「ベアトリーチェ様!」


「こっち見てー!」


 女性たちの呼びかけにベアトリーチェは手を振って見せた。反響が一層大きくなる。


「ふん、庶民風情が持てはやしおって」


 対して、一段高い場所に座り観覧者を見下ろす形の貴族たちは苦い顔をした。


 貴族の娘が生足を晒し、あろうことか男の真似事をして騎士として振る舞うなんてあり得ない。


 彼らの気持ちは一致していた。


 そんな中、貴婦人が何やらコソコソ話をしている。


「あれがミディオラ公爵の新しい奥様? 随分とお若いのねえ」


「十六歳らしいですわよ」


「十六!? 確か公爵様は――」


「間もなく五十。まったく、若い女が好きみたいね」


「老いた女には興味なしってことかしら。いやね、歳を取るのって」


 二人の貴婦人が愚痴りながら笑っていると、近くにいた男二名からコホンと咳払いがあった。


((聞こえるように言ってやったのよ))


 そんな貴婦人たちの心中を無視して、二人の男――方やエミリア侯爵ジョバンニ・ダ・ガッラ、片や貴婦人が話題に挙げたオッタヴィアーノ・デ・サルビッチ公爵その人――は気まずい雰囲気を紛らわすように語った。


「公爵殿。ベアトリーチェ様は宮廷での暮らしに慣れましたかな?」


「いえ、どうにも居心地が悪いようで。ロレニアでの暮らしとは違うことに戸惑っておるようです」


(嘘だな。君を嫌っておるのだろう)


 ジョバンニ侯爵には隣に座る公爵の言葉が誤魔化しだと分かっていたが、そこは納得した風をしてみせた。


「侯爵殿の御子息は立派になりましたね」


「ありがとうございます、閣下。息子も閣下の御令嬢と結婚できることを、とても嬉しがっておりました。きっと良い縁組となりましょう」


 建前には建前。ジョバンニ侯爵も格上のオッタヴィアーノ公爵に上手く返す。


「きっとベアトリーチェも喜びましょうな」


 オッタヴィアーノが新妻の名を出した直後、会場の熱気は最高潮となる。騎士の一人が馬上から落ち、勝敗が決していた。


 サーコートに掲げられた白いアザミの紋章が、勝者を観衆に知らせてくれた。


 勝者はベアトリーチェ。


 その日の馬上槍試合で、この瞬間に匹敵する盛り上がりはなかった。



 後日、ジョバンニ侯爵の館で舞踏会が催された。


 男性は燕尾服、女性はボールガウンに身を包み、夜の社交場に姿を見せる。会場の至る所で社交ダンスが展開されていく。華やかな上流階級の世界がそこにはあった。


(つまんないな)


 そんな中、ポツンと壁にもたれかかる女性が一人。ベアトリーチェである。彼女は社交の場が嫌いなようで、できることなら今でもそこから立ち去りたい気分であった。


 公爵夫人。


 字面だけ見れば羨ましい限りの身分だが、その実態はであり、でしかなかった。


「はあー」


 溜息をつくベアトリーチェ。彼女は思った。もし自分が貴族ではなく庶民に生まれたなら、今より貧しい暮らしにはなるだろうけれど、きっと窮屈さを感じずに済んだであろうと。


 使いきれないほどの金があっても、高貴な身分であっても、心の隙間は埋まらないのである。いっそ何もかも捨ててどこかへ逃げたいという欲求が、ベアトリーチェを襲う。


「そこのあなた。僕と踊ってくれませんか」


 不意に声をかけられ、ベアトリーチェは声のする方に振り向いた。


 金髪のショートカット。子どもっぽい顔立ち。見る者の心を奪う笑みに、小鳥のさえずりに似た優しい声色に白い肌。


 レオナルドが立っていた。


「レオ。あなたはもうすぐ」


「いいから。僕と踊って。今日が最後になりそうだから」


 断ろうとするベアトリーチェを、レオナルドは丁寧にエスコート。馬上槍試合トーナメントの時とは違い、この時のベアトリーチェは極めて消極的である。そんな彼女を侯爵の息子は半ば強引にダンスへと誘う。


「僕に合わせて」


「分かってる」


 二人のダンスは周囲の注目を集めた。主導権を握っているのはレオナルドで、ベアトリーチェはそれに合わせているのがまる分かりだったからである。


「あっ、ちょっと待って」


 ベアトリーチェが、レオナルドにダンスの中断を願い出る。何事かと思ったレオナルドが訳を尋ねると、彼女は足元を指差した。


 ガーターが外れて床に落ちてしまったのだ。それをすぐさま取ろうと、体をかがめるベアトリーチェ。


「あら、はしたない!」


 そんな時であった。ベアトリーチェを侮辱する声が、舞踏会場に響いたのは。

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