決着

 中央陣では二人の女性が戦っていた。


 風にたなびく二本のアザミの花。


「どうしてレオナルドが、あんたなんかを選んだのよ!」


 紫のアザミが刺繍されたマントを羽織るイザベラが剣を振り上げる。


「彼が私を選んだからよ!」


 ベアトリーチェも負けじと槍をイザベラの馬に向けて突き出した。


 両者の放った一撃がともに馬を直撃する。


 振り落とされる二人の女性。


 だが、体中の痛みなど何のその。今度は徒歩かちで向かい合う。


「納得できないわ!」


 兜を投げ捨てて刃こぼれした剣も放り投げると、イザベラは膝立ちしているベアトリーチェに走り出した。


「それでも事実なの!」


 売り言葉に買い言葉。ベアトリーチェもイザベラと同じように兜も槍も投げ捨てて立ち上がると、宿命の相手を前にして拳を構えた。


 素顔を陽光に晒した二人の乙女。一人の男を賭けた原始的な戦いが幕を開ける。


 自分の拳で恋敵を屈服させ、レオナルドを諦めさせるために。

 

「うるさい!」


 イザベラの右ストレート。嫉妬のこもった真っすぐな一撃であったがベアトリーチェには届かず、


「あなたこそ!」


と反撃の左フックが飛び出した。イザベラの右頬に直撃し、乾いた音が響く。だが悪女の強い思いを挫くことはできず、両者は殴り合いを演じていく。


「えぇ……」


 二人の女性が見せるあまりに強烈な死闘に、やがて周囲の男たちが集まって円陣を作りだす。


 普通ならあり得ない光景であった。


 全身から汗を流し、髪が乱れるのも構わずに拳を振るう二人の女戦士。いや、愛する者を賭けて戦う二人の騎士の姿を見た男たちは思った。


 とても自分たちには止められないし止めようがない。「私たちの戦いに口を挟まないで!」という空気が二人を包んでいたから。


 かくも一人の男を巡って女性は争えるものなのか。


 公爵夫人と公爵令嬢の殴り合いは果てしなく続くかと思われた。


「この泥棒猫! ふしだら女!」


とイザベラが悪口雑言とともに右手からビンタを放つと、それはベアトリーチェの予想外であったようで危うく直撃しそうになるも、どうにか彼女はそれを躱してみせる。


「もらった!」


 だが、態勢を崩したベアトリーチェの見せた僅かな隙をイザベラは見逃さず、追撃の左フックをお見舞いしようと進み出る。


(マズい!)


 炎天下で行われた合戦は三〇分が経過し、さらに通気性が最悪の鎧兜をさっきまで着用していたこともあって、ベアトリーチェは体力の限界を迎えていた。そこにイザベラから食らった数発の打撃が彼女の精神をすり減らしていた。


 イザベラの握り拳が、ベアトリーチェの右頬に痛撃を与えるかに思われた……その時。


「戦闘を停止してください。黒衣団とミディオラの兵士たち。君たちの指揮官二人は死んだ! エミリア侯爵の子息レオナルドが通達します。武器を捨てて降伏を!」


 出せる限りの大声で、レオナルドが戦闘終了を呼びかけていた。兜とランスが描かれたエミリアの紋章の記した旗を振り上げながら。


「団長が死んだ!?」


「逃げろ!」


 指揮官の死を知り、敗走に転じる黒衣団の兵士たち。そんな彼らを逃すまいとチェーザレ指揮下の兵士たちはいきり立った。


「あいつらを追っかけてやっちまおうぜ!」


「やめて! それは私が許可しないわ」


 復讐に燃える彼らを厳しく叱責したのはベアトリーチェ。彼女は傍らで力なく倒れたままのイザベラに手を差し伸べる。


「何のつもり? いっとくけどね、私があんたの転がした兜に足を取られなきゃ、今頃あんたのあごは粉々よ。ああ、せめてレオナルドの心を奪った美貌だけでも壊しておきたかったのに。ふんっ!」


 勝敗が決しても減らず口をたたいているイザベラに、レオナルドが告白する。


「イザベラ。僕は彼女の美貌に惚れたんじゃなくて、生き方に惚れたんだ」


「な……」


「君や他の女性にはないものに惚れたんだよ。チェーザレさんから聞いたんだ。ベアトリーチェのフロレンスでの暮らしや、住民のために一生懸命に働いたってことをね。君にできるのかい? 誰かのために頑張ばろうって生き方が」


「……」


って僕は思ってる。でも僕は……相思相愛のパートナーを見つけられたんだ。多くの人を愛して、多くの人から愛し返される。一人の女性をね」


 そこまで言ってから、レオナルドは顔を赤くはらしているベアトリーチェの元に駆け寄り、その顔に自分の顔を一気に近づけていった。


「え、ちょっと。レオナルド。みんなが見てる――」


「そしてよ」


 無数の男たちの視線が集まる中で交わされた、若い男女の濃密なキス。それは味方の男たち、敗走に加わらなかった敵兵たちの眼に刻まれ……。


「おう、お前たち。よく生きてやがったな」


 少ししてから場違いな声が響いた。二人が声のする方に振り向くと、そこにはチェーザレが満面の笑みで立っていた。


「おめでとさん! あ、結婚式を挙げるときゃ俺が仲人なこうどしてやっからよお。ちゃんと呼ぶんだぞ!」


 そんな彼の言葉を受けて、ベアトリーチェが目頭を熱くしながら答える。


「もちろんです!」


 事実上の結婚宣言に男たちは拍手喝采。


「……おめでとう」


 これにはさすがのイザベラも、二人の幸せを渋々祝福するしかなかった。

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