エピローグ

エピローグ①

 戦争は終結した。


 黒衣団はゲラルドを失ったことで瞬く間に瓦解。残党は居場所を求めて半島を彷徨うこととなった。


 そんな彼らを温かく迎える人が一人。


 新たにサン・ペルジーノ女伯じょはくとなったベアトリーチェであった。


『仕事を斡旋あっせんしますのでどうぞお越しを。過去は問いません』


 彼女がそのような寛容さを見せたのには理由があった。


 ベアトリーチェは、マチルダの過酷なやり方が一度は実現するかと思われた平和を破壊してしまったのだと考えていた。

 

 マチルダは生前、フロレンスを中心に半島北部のほぼ全域を支配していた夫のボニファチオ伯爵にこう遺言されたと伝わっている。


『わしが死んだら、領民たちに自由を与えてやりたい。自治権を与えれば各都市で自由の風が吹く。わしゃ、それでよいと思うとる。


 マチルダ、君とはロレニア王家との政治的な結びつきを強める目的で結ばれたわけじゃが、二〇年も老いたわしに長く付き合ってくれてありがとう。


 わしを今でも愛してくれてるなら遺言を果たしてほしい。


 君の姉君であるロレニア王家の血を引くヨハンナと敵対しようともな。


 お願いだ。姉君の夫エンリコにわしが愛してやまなかった土地を渡さんでくれ』


 未亡人となったマチルダは亡き夫の遺言を忠実に守ったに過ぎなかった。


 夫の遺領を相続した半島初の女伯じょはくは一生懸命に生きた。


 ただ、彼女はあまりにも苛烈で一切の容赦を見せなかった。


 逃げる者は地の果てまで追え。


 敵に情けなどかけるな。


 慈悲など見せずに殺せ。


 我が夫の遺した遺産を盗み取ろうとする者に死を!


 法皇国に残された文献から窺えるマチルダは確かに『女傑』であるが、周囲が見えなくなるという致命的な欠点を併せ持つ、困った女騎士でもあった。


 それが自身の死を招き、遺領が百を超える都市国家に分裂した後で法皇派と皇帝派という派閥を生み、半島の平和をぶち壊した。

 

 これが新たな女伯の私見であった。


 なら、自分が同じ過ちを犯さなければ今度こそ半島に真の平和をもたらせるかもしれない。


 そのために私は残りの生涯を費やす! 


 誰から何と言われようとも私は折れない!


 サン・ペルジーノの二代目女伯は就任早々に動いた。


『寛容を、自由を、愛を! 半島の隅々にまで!』


 彼女のスローガンは各国の指導者に届けられ、様々な反応があった。


 フロレンスの執政官コンスレジュリアーノからは、


『喜んで賛成します。新たな女伯。我がフロレンスをくびきから解放してくれた、かつての女伯の意思を継ぐ者に永遠とわの協力を誓います』


 ノマーニャ王ジャンからは、


『女伯の考えを全面的に支持します。王として、あなたの弟として』


 ロレニア王ルイージからは、


『私は女伯の兄である以上、あなたの考えを退けられない。賛同する』


 グロウディッツ皇帝フェデリコと法皇マルティヌスからは返事がなかった。戴冠式を終えようとも、両者は腹に一物いちもつがあるらしく……。やはり平和を望まない勢力は存在するようである。


 しかし、ベアトリーチェ女伯がいる限り、平和への道が閉ざされることはないであろう。


 強い意思を持ち、慈悲深く、果敢で、人々を勇気付ける貴婦人は、今度こそ平和をもたらしてくれるに違いない。


 互いに深く愛し合った伴侶とともに。



 戦争終結から十年。 


 太陽が西に沈み、辺り一面が闇を支配した頃。


 サン・ペルジーノで最も高い塔の一角が明るくなっていた。


「ママ。今日の話はもう終わり?」


 一人の少年がベッドに寝かしつけられるのを嫌がり、隣に佇む母に話をせがんでいた。


「ダメよ、ロミオ。夜更かししちゃ。ちゃんと寝ないと大きくなれないわよ」


「でも、僕ね。ママの昔話をもっと聞きたいんだ。レオナルドパパとの結婚式とか、チェーザレおじさんの面白い話とか、あと、ジュリアーノおじいちゃんとエヴァおばあちゃんと楽しくお食事したって話も」


「あら、そんなにママの昔話が好き?」


「うん。僕、ベアトリーチェママのお話が大好き! あ、もちろんママも大好き!」


 無邪気な息子ロミオの笑みに、ベアトリーチェも笑う。


「じゃあ、一つだけ話してあげる。どんな話が聞きたい?」


「えーと、じゃあ、 ママとパパはいつ、どこで初めてチュウってしたの?」


「え?」


 十歳の我が子からおませな質問が飛び出すとは思わず、ベアトリーチェはうろたえた。


「どうしてそんなこと聞きたいの?」


「だって、パパとママがチュウしたから僕が生れたんだってパパが。でもね、詳しいことは教えてくれなかった……。ママなら知ってるでしょ? ねえ、いつしたの? どこで僕は生まれたの? ねえ?」


 息子の質問責めに、ベアトリーチェは隠さずに答えてやった。


「ここよ」


「ここ?」


「そう。十年前にパパとこれから戦うぞってときにね。ママ死ぬかもしれないって怖くなっちゃったの。そんな時、パパがママにチュウしてくれたの。それでママは勇気が湧いてきて勝つことができたの!」


「そうだったんだ。ねえ、僕もいつかは好きな女の子ができたらチュウしていい?」


「もちろん! ロミオに好きな人ができて、相手の人もロミオのことが好きならチュウしてあげなさい」


「うん! あ、でも」


「?」


「チュウってどうやればいいの? ねえ、今度パパにして見せてよ。ねえ、ねえ」


「え? それは……パパが仕事で忙しいからまた今度ね。その時はロミオの前でだけ見せてあげるから」


「分かった!」


 こうして母と子の会話は終わった。


 ロミオは母に見守られて安らかな眠りにつく。それを見届けると、ベアトリーチェは室内に飾られた二つのものに目をやった。


 一つは夫レオナルドが描いてくれた自画像。つい最近書き上げたものだというのに彼は十年前の自分を描いたものだからつい、


『私はもう若くないわ』


と言ってしまった。そんな妻の言葉にレオナルドは、


『何言ってるんだ。君は十年前と同じだよ。今でも美しい乙女さ』


臆面おくめんもなく言ってくれた。「もう、そんなこと言って!」と誤魔化したが内心ではとても嬉しかった。


 もう一つは、その隣にあるテーブルに置かれた花瓶。三本の花がされていた。


 それは赤、紫、白の三色のアザミ。花言葉は、


 赤が「復讐」


 紫が「高貴」


 白が「自由」


 三本の花は何を意味するのであろうか。赤と紫のアザミが枯れているのも何か意味深に思えるが……。

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