愚かな男による最期の告白

 イザベラの無謀な突撃が戦闘開始の狼煙のろしとなった。


 川を背に布陣したサン・ペルジーノ防衛軍は、総大将ベアトリーチェが吹く角笛の音色を合図に一糸乱れぬ行進を開始。


 一方で山と山の間にある隘路あいろを背にしたゲラルドを大将とする攻撃軍は、イザベラの突出を援護する形でやや駆け足ぎみに進軍。


 両軍の衝突はまずイザベラとベアトリーチェの中央陣から生じた。


「あんただけは許さないわ! この泥棒猫!」


「そんなこと、あなたに言われる筋合いはないわ!」


 二人の女性による言葉の応酬と同時に、中央陣は土煙が飛び交う乱戦となった。響き合う金属音とともに横たわる人々の山ができあがっていく。


「ベア!」


 時間差で敵と衝突したレオナルドは馬上から剣を振るいつつ、混戦で姿が見えなくなった愛しの女性を探し出そうと懸命になる。だが、ここで邪魔が入った。


「姉ちゃんの恋人、見つけた!」


「うっ!」


 敵左翼の指揮官ニッコロの前のめりに繰り出した突きが、レオナルドの右脇腹付近を通過した。だがその一撃は板金鎧を貫通することはなく、


「うわっ。お、おいどうしたんだ?」


 馬が突然暴れ出したかと思うと、なんとニッコロを振るい落としてしまった。前から落ちた彼は頭を地面にぶつけると動かなくなった。首を折って瞬時に絶命してしまったのである。

 

 不運な形で死んだ彼を見下ろすこととなったレオナルドはだが、そんな公爵家の息子の亡骸からすぐに目を反らし、自分の仕事に戻った。


『誰かの死に動揺していては、次の瞬間には自分が死人になる』


 出撃前に言われたチェーザレの言葉を今一度思い出しながら、若き侯爵家の子息は戦うことに専念した。


 愛する人と生きて帰りたい、という願いを叶えるために。



 ニッコロが予期せぬ死を迎えたのとほぼ同じ頃。二人の傭兵隊長による死闘も展開されていた。


「随分とふぬけちまったなあ!」


 一気呵成いっきかせいに攻めるチェーザレ。精彩を欠くゲラルド。白と黒のマントが戦場の至る所で風により大きくひるがえる中、両者の戦いは熾烈を極めていく。


「何がお前を変えちまった?」


「うるさい! お前に話すつもりなどない!」


「隠し事かいな。お前らしくねえな!」


「お前に分かるもんか! この鉄面皮が!」


「んだと! てめえ!」


 交差する刃。矢継ぎ早に飛び交う言葉。ぶつけ合わされる想い。


 多くの部下を率いる傭兵隊長同士の戦いは、剣が折れても続けられた。


「俺の妻を殺して平然としてるようなお前の気持ちなんざな、これっぽっちも分かんねえよ!」


 チェーザレは戦場に落ちていた刃こぼれした剣を拾い上げると、その切先で兜の面頬めんぽおを刺突する。不意の一撃と頭部に加わった衝撃でふらつくゲラルド。それを好機と剣を縦に振り下ろすチェーザレ。


 それを受け止めきれずにゲラルドは地面に押し倒されてしまう。


「終わりだ!」


 チェーザレは相手の喉目掛けて剣を降ろそうとした。その時。


「ようやく分かったのさ……」


 悲痛な表情でゲラルドは語り始めた。


「愛する人に会えないで……死んじまう悲しさってやつを……あの嬢ちゃんの顔を見てたらなあ……俺が殺してきた奴らもみんな同じだったのかって……思えてきて」


 ふと、ゲラルドの懐から何かが落ちてきた。その表紙にはつたない文字で『ジュリアの生きた証』と書かれていた。


「おい、チェーザレ……頼みがある」


「あんだよ」


「こいつを……日記を……このの兄に届けてやってくれないか……生きてんだろ?」


「ああ、生きてるし戦場にいるぜ」


 そんな二人のもとに駆け付ける騎士が一騎。白馬に跨り、獅子のサーコートを血にまみれさせた馬上の主は間違いなくレオナルドその人であった。


「ほおれ、本人の登場だ。俺が渡すまでもねえ」


「チェーザレさん! 今そちらに」


「おい青年……これをお前に」


 馬を降りて駆け寄るレオナルドに、日記を手渡すゲラルド。目からは光が失われ、死が近づいているのは見れば明らかであった。


「妹の手記だ……読んじまった」


「どうしてあなたがこれを?」


「このを殺しちまったんだ……お前が死んだと早合点しちまって……毒を飲んで……俺をお前と勘違いして……。愛する人を失う悲しみってやつは……自死を考えるほどだって……初めて知ったぜ。ぐふっ」


 吐血するゲラルドに「もう話さないで!」と告げるレオナルド。そんな彼の顔を見るとゲラルドは穏やかな顔をつくり、


「天国に行けるかは……分かんねえけどよ。もし、お前の妹に会えたんなら……『兄貴は元気に生きてる』って伝えてやる。他に何か……伝えることはあるか?」


 レオナルドは答えた。


「『君を愛してる』と伝えてください。それと、妹を看取ってくださりありがとうございます」


 最後の言葉は他ならぬゲラルドへの感謝の気持ち。確かに大勢の人に災いをもたらした彼ではあったが、そんな男にも人の心が一欠片でも残っていた。そう思いたい。


 最期の瞬間、果たしてゲラルドは何を想ったのであろうか。


 眼から溢れる涙は一体何を意味しているのか。


 それは既に旅立った彼の魂に聞くことでしか分からない。

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