あんただけは許さない!

 戦場はサン・ペルジーノの北方を流れるアルナ川にかかる橋付近となった。


 ベアトリーチェを総指揮官とするフロレンス・ルッチア連合軍は総勢四千で先んじて橋を先に占拠。ゲラルド軍の渡河を阻止しようと企てた。


「ほれ、俺様の作戦はやっぱ一流だろ?」


「そうですね。さすがチェーザレさん」


 自画自賛するチェーザレに調子を合わせるレオナルド。敵が最短ルートを採るだろうことを見越して立てた作戦が上手くはまったのは間違いなかった。


「チェーザレ様。私からもお礼を言わせてください」


「あん? 何だい、ベアちゃん?」


 ベアトリーチェは「ベアちゃん?」と困惑した顔を見せる。愛称じみた呼び方をされると思っていなかったのである。


「あ、すまねすまね。お前さん緊張してるみたいだからよお。ちっとほぐしてやろうかなって」


「チェーザレ様……」


「さ、二人とも生きて帰ってくるんだぜ。だろ? からなあ。あ、こりゃ失礼」


 若い男女は、傭兵隊長の言葉を耳にして顔を真っ赤にするのであった。



 他方、ゲラルド・イザベラ連合軍は川を渡り終えると布陣する敵勢の姿を三km先に確認した。


「姉さん、こっちが勝ったも同然じゃないか!」


 急に元気を取り戻したのはイザベラの姉ニッコロ。法皇の娘クラウディアとの婚姻が破談にされた挙句、聖職者として確固たる地位の授与も取り消されたという、まさに踏んだり蹴ったりな彼ではあったが、


「勝ったらきっとクラウディアさんも見直してくれるだろうなぁ。『きゃあ、ニッコロ様。かっこいいわ』って!」


と早くも勝利の皮算用をしていた。


「まだ始まってもいないのに何言ってんのよ。そんなの、勝ってから考えなさい」


「でもさ、姉さん。こっちにはゲラルドがいるんだよ? 勝ったも同然じゃない?」


 能天気なニッコロとは対照的にイザベラはゲラルドを心の底から信用できないでいたし、何より彼の様子がエミリア占領時と比べて随分と衰えたように思えて心配でならなかった。


(あいつだけが唯一の希望だってのに、ぼうっとして! 何があんたをそうさせたの? まさか、あの小娘が死んだのがそんなにショックだったとか? まさかね)


イザベラはとにかく落ち着かなかった。


 軍を率いる男がたかが一人の少女の死で心を惑わす訳がない。いや、そうであってほしくない。もしそうなれば、代わりに指揮を執れる者がいなくなるのだから。


 私たちは兵法なんて知らない。父が生きていたらゲラルドなんて男を頼らずに済んだのに……。一度負けたぐらいで死んじゃうなんて!


 どうしてこうも運が悪いんだろう。


 いつだってそう。こんなに恵まれた美貌を持って生れてきた私が、なんで肝心な時には不運が襲うのか。


 ああ、私って不幸な女!


 イザベラの悲痛な嘆きは終わる気配がなかった。


「ね、姉さん。あの、ゲラルドさんが」


「うっさいわね! 何よ!」


「ひえぇっ!」


「あっ、ごめんなさい。ニッコロ。なに?」


「ゲラルドさんが持ち場に付いてくれって」


「あらそう」


 イザベラは悲劇の女性を演じるのを止めて、事前に打ち合わせた通りの場所に馬にまたがりながら中央陣の先頭へと移動する。


 ふと左右を見回すと、右翼にはゲラルドが、左翼には大急ぎでニッコロが向かうところであった。


(レオナルドは……)


 視点を前方の敵軍に移すイザベラ。敵もこちらと同様に左翼・中央・右翼に別れて戦陣を敷いている。そして、意中の人レオナルドは自分から見て左側、つまり敵の右翼を指揮するのが分かった。


 彼は、青地に獅子の紋章が刺繍されたサーコートに身を包んでいた。


 それを見て一瞬乙女となるイザベラであったが、やがて眼を右隣りの敵中央陣に向けると心は消えぬ憎悪へと変わる。


(ベアトリーチェ! 生きてたのね!)


 ロレニア王家を象徴するアザミが大きく刺繍されたサーコート、黄金色の鎧兜、露わにされた生足、そして立ち振る舞い。馬上槍試合の時よりもさらに勇ましくなった宿敵の騎乗する姿がそこにはあった。


「あんただけは絶対に許さない!!」


「姉さん!」


 嫉妬に突き動かされたイザベラは、ニッコロの制止も聞かずに突進していく。


 運命を決める一戦が幕を開けた。

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