確認しておきたいこと

 かつてマチルダ女王が治めたサン・ペルジーノ城に、ベアトリーチェの姿はあった。エヴァから渡された黄金色こがねいろの鎧兜一式を装備した状態で、左右にレオナルドとチェーザレを控えさせながら。


「見えたわ」


 市内で一番高い塔――高さ五十mを誇り、三百年前にマチルダが姉ヨハンナに毒殺された現場――の地上四五m地点から眼下を見下ろし、黒衣団の接近を察知する。


「やっぱ来たか。まあ、あの野郎はあんたに執着してやがったからな。あんたがいる場所を流してやった甲斐があったってもんだ。はっ、意外と単純だな、あの野郎」


 宿敵のゲラルドがこちらの思い通りに動いてくれたことを喜ぶチェーザレ。エミリアでの戦闘で一杯食わされたことをまだ根に持っているらしい。


「でも、チェーザレさん。心配な情報も入ってるのでしょう?」


「あん? なんだって? レオナルドさんや。まさかあんた、ゲラルドの野郎がミディオラ公の娘っこ率いる一団と合わさるのを恐れてんのか?」


 チェザーレを含めた三人は、ミディオラに逃れたイザベラが現地で徴兵令を出し、軍を編成し終えた後でゲラルドと合流するとの情報を掴んでいた。


「そりゃそうでしょう。こっちは全部で四千。相手は合わせたら一万を超えるかもしれないんですよ。どうして合わさる前に戦に打って出ないんです?」


 レオナルドの言いたいことは分かる。基本的に戦は兵の多い方が勝つ。また彼の目算も誤差は少なく、実際にゲラルドとイザベラが連合軍を組めば一万越えは確実であった。


 だが、チェーザレは耳を貸さない。


「まあ、そう慌てなさんな。確かにこっちの方が数は少ねえが、それが有利に働くよう作戦は練ってあんだから」


 チェーザレはそこまで言うと、窓際に立つベアトリーチェの背に向けて言った。


「お前さんの恋人が勝手なことをしやがらなければな」


 ベアトリーチェが、チェーザレの方に向き直って答えた。


「私はエミリアのときとは違いますよ。チェーザレ様。今回はあなたの指示に従います」


「ほんとかあ? 信用ならねえなあ」


 チェザーレは階段の方へと歩いていく。去り際にこう言い残して。


「ベアトリーチェさんや。俺の妻みたいに突っ走って死ぬんじゃねえぞ。大事な人を同じ場所でもう一度失うなんて俺にゃ耐えられねえからよ!」


 チェーザレが去っていくと、残された二人は、


「ねえ、レオ」


「なに? ベア」


と互いを愛称で呼び合って語り出す。


「私たち、どうなるのかな?」


「大丈夫だよ。チェーザレさんは僕たちよりずっと戦上手なんだから。あの人が立てた作戦なら絶対に勝って故郷に……故郷に」


 エミリアからゲラルドは去ったが、首都ラエミリアの復興は遅々として進んでいない。今この瞬間、法皇国で戴冠式が挙行されることで半島の平和が少しずつ現実味を帯びてきてはいるが、破壊に見舞われた都市の復興はまだ先の話であった。


 故郷を捨てて今はサン・ペルジーノにいるという事実が、レオナルドに突き刺さる。


 ジュリアーノからは自身のエミリア侯爵就任が各国首脳との会談で承認されたと伝えられてはいたが、それでもレオナルドは悩んでいた。


 果たして、自分に侯爵の実力があるのか?


 最後まで応戦せずに祖国を捨てた侯爵の遺児が領主として舞い戻ったところで、領民は自分を温かく迎えてくれるのだろうか?


 自分に指導者としての器があるのか? 


 父の言う通りに生きてきた自分に?


 レオナルドが浮かない顔をつくる。


「レオ。あなたの気持ちを当ててやろうか」


「え?」


「『悩み事があり過ぎてどうしたらいいんだろう』って考えてるでしょ」


「そうだよ。でも、ベアは? 何も心配してないの?」


「あるに決まってるじゃない。死んじゃったらどうしようとか、私は生き延びたけどあなたが死んじゃったらとか。他にもあるけど考えたって何にもならないもの。なるようにしかならないんだから」


「そりゃ、そうだろうけども」


「こういうときは深く考えないで、やれることを精一杯やるのが一番だって思ってる。だから今ははやる気持ちを抑えてチェーザレ様の指示に従う。これが最善なはず。勝敗は後でついてくる。それ以上は考えないわ。だって」


 レオナルドに振り向いたベアトリーチェの顔は涙にれていた。


「そう考えてないと怖くて逃げだしたくなるじゃない」


 人生初の戦闘を経験してから二週間。いくら彼女が馬上槍試合で勇ましくあろうが、戦場での恐怖を忘れ去るには時間が足りなかった。武具を装着していない下半身から覗く色白の足が小刻みに震えているのが何よりの証拠である。


「ベア。戦に出る前にどうしても確認しておきたいことがあるんだ。受け止めてくれるかい?」


 レオナルドが、泣きはらしたベアトリーチェの顔に自分の顔を近づけていく。熱気を帯びた息がかかる距離にまで一気に、一切の躊躇ちゅうちょなく。


 男の手で若い乙女の体から甲冑が丁寧に外された。


 心の鎧さえも取り除かれた乙女は、自らの手で対面する男の体を抱き寄せる。


 乙女の願いを全力で受け入れようと、男は唇を彼女の方へと近づけていき……。


「さあさ、もうすぐ本番だ。今日こそあの野郎の鼻を明かしてやらあ」


 数十分後、階段を上ってきたチェーザレが二人に戦の準備をするよう促すために戻ってきた。だが彼は窓の格子から室内を窺うと、 


(戦の直前だってのにお盛んだねえ。をおっぱじめんのかいな。たくよっ、若いっていいなあ)


 罰の悪さからその場を去っていくのだった。

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