第九章 最終決戦

戴冠式の挙行

 情勢は目まぐるしい変化を見せた。


 共通の敵は半島に混乱をもたらすゲラルド。


 各国の指導者がそのような認識に至ると、遂に法皇は決断した。


 皇帝に帝冠を授ける、と。


 ただし、皇帝に「『半島情勢に介入しない』と神の面前で誓わねば戴冠式は行わない」と通知して。


 フェデリコ帝は当初の目的が遂げられるならばそれに越したことはないと考え、黒衣団との間の契約を破棄。また、コンスタンツァの即刻返還を伝える使者も送った。それにゲラルドは、


「連れていけ。部下の誰一人、彼女を辱めたりはしていないと言い添えてな」


と答え、彼女を返した。恋の魔法を解いてやってから。


「あなた。私に何を……」


 二ヶ月も見知らぬ地にいさせられ、それも男たちに囲まれて過ごしたコンスタンツァ。そんな彼女は魔法を解かれた途端、馬上から眼下にいたゲラルドに侮蔑の念を込めた目を向けた。


 ゲラルドは去り行く皇帝の娘の背中に向けて言った。


「何もしていませんよ。末永くお幸せに。汚れを知らぬ娘さん」



「グロウディッツに栄光あれ!」


 歴史的瞬間が訪れた。


 法皇が帝冠をグロウディッツ皇帝の頭にせる。


 たったそれだけのことのために、これまでにどれほどの血が流されたことか。


「今から三百年前。皇帝を自称したエンリコ帝の御代みよに半島は二派に分断された。時の法皇ウルバーノが皇帝軍の侵攻で危機的状況に陥った中、ある女領主を頼ったことは半島に暮らす我々にとって誰もが知るところでありましょう」


 参列者は無言で頷く。半島内に勢力を持たないグロウディッツの廷臣たちや、ロレニアの愚王ルイージでさえも。


「忘れられるもんかいな。エンリコ帝の妃は俺たちロレニア王家の分家筋なんだからさ。ふんっ、忌まわしい女がいたもんだ」


 右手にパンケーキを持ち、左手に妾を侍らしながら、ルイージが独り言ちる。


「マチルダ女伯が法皇をサン・ペルジーノ城にかくまわなければ、私が治める国も、半島内の都市国家も、全てはエンリコ帝の領土と化していたでしょう」


 皇帝の廷臣たちに目をやる法皇。その中には露骨に不快な態度を見せている者もいたが、法皇は気にせず続ける。


「我々の祖先は恥ずかしながら、一人の未亡人が剣を手に取り、サン・ペルジーノから皇帝軍に撃って出たときになってやっと敵に戦いを挑もうと決意するに至りました。偽りのない真実であります。


 ですが今は、過去のいさかいを水に流すべきときでしょう。ご参列の皆様も思うところはあるでしょうが、どうか半島の平和実現のため、今回の私の決断を支持して頂きたい」


 しばしの沈黙が会場を包み込む。やがて、来賓席から一角から声が上がった。


猊下げいかの英断を支持します!」


 ジュリアーノの声であった。彼は隣に座る妻エヴァとともに法皇を称賛。続いて、二人の周囲に座る国家の指導者たちも賛意を示していった。


 彼らは内心でジュリアーノに合わせねばマズいと思っていたのである。


 半島を裏で操るフィクサー。


 それがジュリアーノの真の姿であった。


 ジャン王と秘密裡にコンタクトを取り、亡命先と予測された法皇との会談をセッティングする。


 皇帝に手紙を書き送り、戴冠と引き換えに黒衣団との契約解除を求める。


 首都に居座った黒衣団の一隊にチェーザレを向かわせ、人質にされたクラウディアを無傷で救出させて法皇に恩を売っておく。


 最後に、世界各国の全ての王や諸侯に「借金返済を猶予する」と伝え、彼らを安心させてから戴冠式への出席を勧める。


 たった一人で周到な根回しと借金を人質にとった外交を展開できたのは、ジュリアーノの政治的センスの成せるわざとしか言いようがなかった。


 もし彼がいなかったらと思うと……半島はどうなっていたことやら。


 平和にもっとも寄与したのが王や法皇ではなく一銀行家であったことは「身分や信仰や武力よりも『金』と『政治力』の力がそれらを上回る」という意味に捉えていいものだろうか。


 ただ、これだけは断言して差し支えないであろう。


 冴えない見た目の彼こそが、並み居る男たちを遥かに上回る実力者であると。


「ねえ、あなた」


「どうしたんだい? エヴァ。不安そうな顔をして」


 式典が終盤に差し掛かった頃。エヴァは夫ジュリアーノを連れ出し、会場の外で話し出した。


「心配ではないのですか? ベアトリーチェさんのことが」


 式典にベアトリーチェの姿はなかった。また、レオナルドとチェーザレも式典を欠席していた。


「あの人なら死にはしないよ」


「……」


「エヴァ、君だってベアトリーチェさんの力を間の辺りにしているだろ? 負傷して、フロレンスに搬送されてきた彼女が僕やチェーザレになんて言ったか、君も聞いているはずだよ」


「確かに聞きましたよ。『私が至らなくて申し訳ありません』って」


「ああ、そうだ。あの人には自分の過ちを素直に悔いることも、過ちをすぐに改善しようと励む稀有な力が備わっている。敗北の原因が自分だと分かってる今の彼女なら、きっとチェーザレ殿の言葉に耳を傾けて、半島に真の平和をもたらす立派な役回りを演じてくれるさ」


「そう……ですね」


「ああ、それに約束してしまったからね」


 ジュリアーノはエヴァを抱き寄せると、彼女の腹をさすりながら北の方角に目を移す。


「『戻ってきたら、屋敷で毎日たくさんの子どもたちと会食をさせます』って。さあ、式典が終わったら彼女を迎える準備をしなければいけないよ。手伝ってくれるね? いずれはその子たちとが仲良く食事を共にするのだからね」

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