交渉
黒衣団の野営地で、ゲラルドが男どもを見下ろしていた。
「いい気分だ。お前らの情けねえ顔を見ながら飲む酒ってやつは」
ゲラルドはワインを飲みながらミディオラの捕虜を眺めまわした。その最後に彼はオッタヴィアーノ公爵に目をやって
「特に公爵様のは最高だ。その怯えきった顔。酒の
オッタヴィアーノは何も言わない。口答えをすれば喉を搔き切られるかも、という恐怖が彼の口を上下でくっつけていた。事実、ゲラルドの背後には自分を売り渡したミディオラ市民がナイフを振り回している。
「団長さん。うちらに何か褒美はありやせんか?」
裏切り者の一人が手をもんで褒美を求めてきた。するとゲラルドは、
「俺の馬に乗っている女を好きにしていいぞ」
と言って、フェデリコ帝の娘コンスタンツァを指差した。幼く美しい少女が褒美と知ると裏切り者たちは大興奮。しかし、
「おい、分かってるだろうな? 皇帝陛下の娘ってのを考えて
竜の兜を被ったゲラルドの鋭い目付きに裏切り者たちは竦みあがって「分かりました!」と答えざるをえなかった。
「団長! 良い女を捕まえてきやした」
南に放った偵察部隊が一人の女を引っつかんで現れた。
「離せ、私に汚らわしい手で触れるな! 屑どもが!」
喚きつつ男の手を振り落とそうと無駄な抵抗を試みながら、イザベラが連行されてきた。彼女は喉が潰れる勢いで声を張り上げる。
「あんたたち、きっと殺されるわ。そうよ、傭兵なんて所詮は捨て駒。ボロ雑巾のように使い捨てられるのがオチよ。あーあ、あんたたちが本当に憐れで――」
「お前、今の自分の立場を分かっていないようだな」
イザベラの喚きをゲラルドが剣で抑えた。首元に屠った者の血が付いたままの剣を押し付けられて、さすがの公爵令嬢も唇が震えて何も言えなくなる。
「おい、娘は関係ない。逃がしてくれ」
「何言ってやがる? 僕らはあんたの娘が馬車で逃げるとこを見たんだぜ。生かしておくわけが――」
オッタヴィアーノの嘆願に、裏切り者の男が唾を吐きかけて拒もうとした。その男に剣が向けられる。ゲラルドのものであった。
「お前に交渉権を与えた覚えはない」
イザベラに剣を向けつつ、ゲラルドは男にも剣をあてがう。彼は世にも珍しい双剣使いであり、このような動きは朝飯前であった。
男は口を閉じて後ずさりをし、それ以上何も言えなくなる。
「さて、公爵様。交渉に入ろうか」
「だ、誰が傭兵隊長と交渉なんぞ」
公爵の言葉を受け、ゲラルドはイザベラに向けたままの剣を押し込もうとしてみせる。そのまま突き進めば娘の命はないぞという脅し。それにオッタヴィアーノが折れる。
「要求は何だ? 金か」
「金じゃない。あんたが支配するミディオラの領土全てを俺に譲ってもらう」
「な、なんだと?」
ゲラルドは明らかにふっかけていた。
戦争はビジネスであり、敵将や重臣たちを捕縛しても金さえ払えば釈放するのが常識であった。しかしゲラルドは金ではなく土地を、それも大小三十を超える都市を抱えたミディオラ全土を寄越せと言ってきたのである。非常識にも程があった。
「金なんぜ、これまでに略奪した分で一杯で持ち運びが大変なんだ。だから、あんたの持つ品なんざ持てない。でも、土地の支配権なら紙一枚で済む。簡単な話じゃないか。ペンを持って署名するだけで命が助かるんだぜ?」
先ほどまで裏切り者の男に向けていた剣が、今度はオッタヴィアーノに向けられる。口をカチカチさせるオッタヴィアーノ。
「そんなことをして何になる? そもそもこの国の支配権を……私は皇帝陛下から与えられているのだぞ。お前が陛下に雇われていることは……知っておる。背信行為になるのではないか?」
「だからこそさ」
ゲラルドは両手に持つ剣を公爵とその娘から離すと、自身の企みを話し出す。
「ミディオラは元々帝国領。俺があんたから取り上げた後で、その地を陛下に寄進するのさ。『計画から外れた行動に対するお詫びのしるしにお受け取りください』ってな」
ゲラルドはフェデリコ帝に言われた通りの行動を取っていなかった。そもそもの皇帝の目的は法皇国での戴冠であり、黒衣団には法皇国に至る道中の国々の屈服を命じていたに過ぎなかった。だが、ゲラルドは南ではなく西に向かっている。皇帝が不審に思わないはずがない。
そこでゲラルドは、半島北部の国で最大勢力を有するミディオラを「お詫び」として差し出すことを思いついた。この提案を皇帝は高確率で受け入れると考えていた。なにせ半島北部は元々そのほとんどが帝国領になるはずだったのだから。
遥か昔に一人の女性が甲冑を纏い、抵抗運動を開始しなければ。
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