新たな契約
オッタヴィアーノは力なく答えた。
「分かった。土地を差し出す」
拒否は即ち死。
そうだと言わんばかりの態度を見せる傭兵団長に、スケベで、金が好きで、自己中心的なオッタヴィアーノは屈したのである。
「駄目。パパ。そいつの言うことを聞かないで!」
父の決定に異議を挟むイザベラ。囚われの身であるにも関わらず、彼女は吠える。
「領地を手放したら、どうやって生きていけばいいの? 私がレオナルドに持っていく持参金はどうすればいいのよ! ねえ、パパ。パパ!」
彼女はどこまでも身勝手であった。自分の結婚がまだ成立すると思っている。今はそんな話をしている場合ではないというのに。
場の空気を読めないでいるイザベラに再び剣が向けられる。ゲラルドはより狂暴な目つきをして詰め寄ると、
「うるさいぞ、公爵令嬢。耳障りな声を上げるな」
とドスの効いた声で脅す。蛇に睨まれた蛙とはこのこと。イザベラは蛙のように縮こまり大人しくなってしまう。
「紙とペンを」
「はっ」
ゲラルドの部下が団長の指示を受けて筆記具を準備する。それを見ていることしかできないオッタヴィアーノとイザベラ親子。二人とも歯がゆい気持ちになり、己の無力を悔いる。
自由を奪われてはどうしようもない。
でも一体、これからどんな運命が待っているのだろう?
オッタヴィアーノは諦めきっていた。長く生きた彼にはこれが年貢の納め時と考えたのかもしれない。ロレニア王家の娘を娶り、持参金で公爵の地位を得た彼の絶頂期は一年も続かなかった。悪辣な彼はこれを己の傲慢にあると今になって悟る。この男にはまだ自分を省みることができたらしい。
「待って!」
だが、イザベラは違った。往生際の悪い公爵令嬢は、椅子に座り休息を取ろうとしたゲラルドに訴える。
「あんた、私と契約するつもりはない?
イザベラはとんでもないことを言っていた。捕虜の身で自分を捕らえているゲラルドに契約を勧めたのである。己の立場をわきまえないだけでなく、ここから逆転を狙おうと画策する公爵令嬢の姿は、そこいらの男よりずっと肝が据わっていた。
本来ならば無視しても問題はない提案であったが、ゲラルドは彼女に顔を向けると一言。
「言ってみろ。何をしてほしい?」
ゲラルドは瞬時に交渉人の顔になってイザベラに近づく。彼女の諦めの悪さに惚れたのであろうか。
イザベラが答える。
「ミディオラの占領は後にして、代わりにフロレンスを攻撃してちょうだい。そこに私が大嫌いな相手がいるの。そいつもろとも滅ぼして」
「ほお、フロレンスか。南下には邪魔な存在だから、どのみち滅ぼすつもりだったが。いいだろう。ところで」
「何?」
「その『私の大嫌いな相手』とは誰だ? 随分と憎んでいるように見えるが」
「あったりまえよ! 私の婚約相手に色目を使ってキスまでしたのよ。ベアトリーチェを消すためだったら、私は何だってするわ!」
イザベラは勘違いをしていた。ベアトリーチェとレオナルドは口づけなどしていない。
レオナルドは自己嫌悪に陥っていたベアトリーチェの口を人差し指で抑えて、それ以上自分を傷つけないようにしただけ。だがそれを遠目で、しかもカーテン越しに見た彼女はそれを口づけと早合点したのである。
己の勘違いで嫉妬を殺意にまで発展させたイザベラは、せめて殺される前にベアトリーチェを道連れにする決意であったらしい。
「分かった、公爵令嬢殿。契約内容はミディオラの支配権譲渡の一時保留、そしてフロレンス共和国の滅亡とベアトリーチェの殺害。これでよろしいかな?」
「ええ、それで交渉成立よ」
「ところで、交渉成立の条件をもう一つ付け加えたい」
「なによ?
イザベラの言葉に、ゲラルドは木箱の中身を確認する素振りをしてみせた。ひい、ふう、みいと数え上げると彼はおもむろに立ち上がり、
「足りないんだ。これだとフロレンスを滅ぼすことはできても、ベアトリーチェとかいう女を殺すには足りない」
「はあ? 何言ってるのよ。フロレンスを滅ぼせば、ベアトリーチェも殺せるじゃない! あいつは軟禁されてるんだから」
「そんなことは知らない。俺が
まるで呑み込めない。
イザベラはそう思った。
ゲラルドがこれ以上に何を要求するつもりか検討がつかなかった。
「じゃ、何を差し出せばいいの? はっきり言いなさいよ」
「それはだな」
ゲラルドはイザベラの腹部より下を指差した。これが何を意味するのか、公爵令嬢は瞬時に悟った。
「この下衆男! あんたと添い寝なんてまっぴら御免よ!」
「そうかい。じゃあ、交渉はなしで。あんたも親父さんも陛下に差し出そう。ベアトリーチェの件についても俺が勝手に決めさせてもらう。生かすも殺すも俺の自由だ」
ゲラルドは天幕に下がろうとした。
このままだと彼がベアトリーチェを生かすのではないか、とイザベラは危惧する。
そんなの耐えられない。
私が死んで、あの女が生きている世界なんて!
あの女が幸せになるだなんて!
「分かったわよ……私を好きにしなさい」
「よろしい。では、俺と楽しいひと時を」
そう言ってコンスタンツァに使った「アモルの目」を発動。イザベラを自分の支配下に置こうと企んだ。しかし……。
パチンッ!
彼の頬に乾いた一撃が飛んだ。唇から滴る血を拭うゲラルド。
「あんたの噂は聞いてるわ。女を隷属させる力があるんですって? どんな原理かは知らないけれど私には使わせないわ。ほら、さっさと案内して」
それを受けてゲラルドは部下に告げた。
「おい、この女を好きにしていいぞ。俺の代わりに楽め!」
これを聞いた傭兵たちは大挙してイザベラの元に押し寄せた。
その後に何が起こったかは……推して知るべし。
◇
ゲラルドは己の天幕で休息を取った。目を
(ベアトリーチェ。どんな女か楽しみだ!)
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