公爵の落日

 場所は代わり、オッタヴィアーノ公爵の屋敷。


 屋敷内では人々が慌てふためいていた。蜂がぶんぶんと飛び交うように召使いや女中があちこち走り回っている。理由は一人の女性にあった。


「早く荷物を木箱チェストに詰めて! 装飾品も服も詰めるだけ全部よ。ああもうじれったい。ちょっと、絹の服は高いの。適当に畳まないで!」


 イザベラであった。彼女はレオナルドとの婚約を楽しみにしていたのに、それが黒衣団の侵攻で延期となったことに怒り心頭。せっかくベアトリーチェをフロレンスという檻に入れられてご機嫌だったのが一転、今度は不機嫌になり周囲に八つ当たりをしていた。


 そう、ベアトリーチェがフロレンスに送られたのは、実はイザベラの策略。嫉妬深い公爵の娘は父に、


『ベアトリーチェが、私とレオナルドの婚姻を邪魔してきた。媚薬を使ってまで、レオナルドを自分のものにしようと計画した。目撃者がいたから間違いない』


。それに父は、


『そうか。なら、借金の担保として送ろう』


他人事ひとごとのように答えた。彼はめかけに首ったけとなっていたから、妻を外国に送りつけることには一切の躊躇ちゅうちょを見せなかった。


 このような経緯で憎い女を視界から消し去れたイザベラはだが、今度は自分が危機的状況に陥っていた。


 黒衣団が小国家群にある七つの国を落とし、現在は西に針路を取り進軍中。


 このような情報がミディオラ公国にもたらされていた。なお、黒衣団の半島侵攻から七つの国を落とすまでにかかった時間は僅か五日、総移動距離は二百kmという電光石火の進軍速度で西に進んでいた。この事実はロレニアに苦渋を舐めさせたオッタヴィアーノさえも震え上がらせる。


「ロレニアに援軍要請をせねば!」


 オッタヴィアーノはベアトリーチェとの姻戚いんせき関係を利用し、ロレニアに助けを求める使節を少し前に送っていた。こんな時にまでベアトリーチェを利用して形成逆転を狙う公爵には下衆以外の感想が見つからないが……。ともかく使節は送られた。しかし、


『貴国の港から出航した船団に主要な軍の大半を乗り込ませてしまったので、国内にある軍を貴国に送る余裕はない。我が国も侵攻に備える必要があるので、どうかご理解頂きたい』


という返事を携えて、使節は帰らされてしまった。ここに至って、オッタヴィアーノはロレニアの思惑を悟る。


 先の戦争のことに対する意趣返しをロレニア王や貴族連中は企んだに違いない。

 

 我が国が滅んでくれれば幸いと思っているのだと。


「陛下、続々と救援要請が――」


「分かっておる!」


 ミディオラ公国には、まだ黒衣団の手に落ちていない複数の国からの使節が訪れ公国の支援を求めていた。彼らを見捨てたところで黒衣団は自国を標的にしてくる可能性は高かった。だが、本国を離れて救援に向かうことにもリスクがあった。公爵のいない隙を突いて、ロレニアが南下する可能性も捨てきれないからである。


 しばし沈黙の後、オッタヴィアーノは決断した。彼は執事を呼び寄せて、


「召集令をかけろ!」


と下知。救援要請に応えることにしたのである。


 だが、父が戦う決意を固めたというのに、娘イザベラは勝手な行動を取った。それは先ほど述べた、木箱チェストに金目の物を詰め込んで馬車に乗ってのトンズラ。


 娘は薄情にも父を応援するどころか、のである。


(レオナルド。私はあなたと結婚するまでは死ねないの!)


 オッタヴィアーノは戦争準備に忙殺されていたために、娘の暴走に気付くのが遅れた。


 そのことがミディオラ公爵にとっての致命傷となる。


「イザベラ様が屋敷を出ていくぞ!」


「なんだって? じゃあまさか公爵様も……」


「んなわけあるか! 公爵様は召集令をかけたんだぜ?」


 イザベラの逃亡を偶然目撃した人々がそれを近隣住民に話して回る。彼らは疑心暗鬼となり、公爵が本気で国を守る気があるのか信じられなくなった。そこに追い打ちをかけたのが重税に苦しむ下層民の暴発。


「いっそのこと、黒衣団に国を渡しちまおう!」


「そうだそうだ。俺たちの税で優雅に暮らしてる公爵なんかより、傭兵様の方がましに扱ってくれるだろうさ!」


 かくしてミディオラ市内に内紛が生じた。事態を鎮静化するためにオッタヴィアーノは警備隊を動かし鎮圧に成功するも民心は彼から離れていった。そこから時を経ずして公国軍は東の戦場で黒衣団との戦に臨む。


 結論だけ述べよう。


 ミディオラ公オッタヴィアーノは、自身の主だった重臣たち共々捕虜となる醜態を晒す羽目となった。戦う前から公国軍の結束に綻びがあったことに加え、


「俺たちはあんたらと一緒に戦うぜ!」


 戦闘中に公国軍の一部が寝返り、黒衣団のゲラルドに自軍の総大将を売り渡してしまったことが、オッタヴィアーノに破滅をもたらしたのである。

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