第四章 黒マント、戦場にはためく
戦争の開始
ラティニカ半島北部の小国家群は、瞬く間に日常を失った。
最初に被害を
数時間前までは小鳥の
きっかけは些細なこと。
「おい、誰かこっちに向かってくるぞ」
城壁の
衣服はボロボロ、髪は乱れ、彼らの背後の森からは火の手が上がり始めている。
「木を切り倒していたら、いきなり敵が……。助けてくれ、このままじゃ殺される!」
林業に携わる一団の一人がそう告げた。城門を開けなければ彼らを安全な市内に入れられないので、話を聞いた見張りは付近の休憩所にいる上官に開門の許可を得ようとする。
「それはいかん。すぐに開けろ」
許可が出され、重苦しい音とともに城門は開かれた。それを見た人々は我先にと市内に入っていく。
「ありがとよ。間抜けな見張りさん」
彼らが懐に武器を隠し持っていたこと、襲撃の被害者を装っていたことも知らずに。だが、致命的なミスを犯したと見張りが知るのは最期の瞬間であった。
城門が開くとすぐさま、森の方から黒マントの集団が大挙して押し寄せ、市内に乱入すると殺戮と虐殺を繰り広げた。兵士も住民も何が起こったかを理解する時間さえも与えずに。
ゲラルドは相手に抵抗する暇も与えず、卑劣な手段でチロリヤを容易く占拠してしまった。
「団長、幸先がいいっすね」
「当たり前だ。俺の作戦は完璧だからな」
勝者となったゲラルドの姿は、市内でメラメラと燃える
「さすがですわ。ゲラルド様」
コンスタンツァが、ゲラルドに賛辞を述べる。だが、彼女の言葉はゲラルドには届かなかった。
陶器のように固い心には、幾度となく告げられた空疎な言葉など響かない。
◇
皇帝が雇った傭兵団がラティニカに侵攻。チロリヤを
噂は風に乗り、半島を南端まで突き抜けた。
それに対する半島内の国々の反応は様々であった。
エミリア侯ジョバンニは黒衣団の侵攻に静観を決め込んだ。侯国は皇帝派の国であるから、その皇帝が雇用した黒衣団が我が領土に攻め寄せるはずはないと考えたのである。
「父さん、僕たちは何もしないですか?」
ただ、侯爵の息子レオナルドは若さからくる正義感によるものか、邸宅から見える北部の惨禍を座視することに耐えられなかったようで、父ジョバンニの決断を責めたてた。
「レオナルド。私がここで奴らの行いを
レオナルドは納得できず、北部に面した窓の手すりを叩く。
「何もできないだなんて!」
レオナルドは静観するしかできない現状を嘆くばかりであった。
◇
同国より南に位置する法皇国の対応はどうであったか。
まず、法皇マルティヌスは無関心であった。
宗教界の長たる法皇には、黒衣団の侵攻よりも重視しなければならないことがあった。
それはなんと愛娘のための豪華な結婚式。
法皇は己が溺愛する娘クラウディアの晴れの日を祝う方を、半島の危機より優先したのである。これに不満を感じる人々は身分に関係なく大勢いたが、もしこの決定に異議を唱えれば、
『破門を宣告する』
の一言で死後の地獄行きが確定するため、それを恐れて誰も口を挟めなかった。もっとも、教会関係者に言わせれば、
『地獄行き確実のあなたにだけは言われたくはない!』
と忠告してやりたいぐらいであったが。
神聖教の聖職者は婚姻が許されない。神に仕える者が色欲に溺れることはご法度。しかし、法皇は愛人を教会内の秘密部屋に女性を招き入れて一夜を過ごしていることは公然の秘密となっていた。
これだけでもマルティヌスに法皇の資格などないことが分かるが、彼の背後に強国ロレニアがいる以上は法皇の身勝手な振る舞いは止めようがなかった。法皇はロレニア王家の分家筋の生まれであるため、その意向に異議を挟むことはロレニアとの関係悪化を招くからである。
「ミディオラ公爵の子息ニッコロ様と法王猊下の姪クラウディア様に、
そして、現在進行中の婚姻によって法皇はミディオラ公爵家との婚姻関係を結ぶことを急いだ。そこには、グロウディッツ皇帝の臣下であるオッタヴィアーノを自陣営に招き入れる意図があった。
ミディオラは教皇派でも皇帝派でもない。オッタヴィアーノが望むのは己の栄達だけ。そのためならばどんな汚い手だって使う。それは公爵の地位を得る資金としてベアトリーチェを求めたことからも明らか。そこで法皇は彼の息子に将来の教会内での地位を約束すると持ち掛けた。
オッタヴィアーノは「よろこんで」と即答。法皇の提案を断る理由がなかったし、息子のニッコロも話に乗り気であったからより好都合であった。
もっとも、勝手に話を進められたことを後で知らされた法皇の娘クラウディアの心境は……お察しいただきたい。ただ、彼女は庶民的で人々に愛される人柄のベアトリーチェとは明らかに違っていた。
典型的な箱入り娘。
そんなクラウディアは後で大きな惨害を引き起こすのだが、それはしかるべき時にお話しよう。
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