政略結婚

 一年前のある日のこと。


 ベアトリーチェ――故郷でベアトリスと呼ばれていた彼女は、父王カールに呼び出された。


「今日はどんなことで怒られるんだろ?」


 ベアトリスは様々な言い訳を考えた。


 市内で遊びほうけていたことは「下々の人との交流は大事だから」


 勉強をサボっていたことに関しては「私は領主にならないから無意味」といった具合で。


 ベアトリスは真面目ではなかった。彼女は狭苦しい王族の生き方なんてまっぴら御免と考えていたのである。


「失礼します」


「よく来てくれた。ベアトリス。お前に大事な話があってな」


 ベアトリスが応接間に入った途端に父王カールは話し始めた。娘の心中などお構いなし。せめて、少しは雑談でもしてから本題に入ってほしいと思ったベアトリスはだが、今は黙って父の話に耳を傾ける。


「手短に言おう。ミディオラに嫁いでくれ」


「……はい?」


 口をあんぐりと開けて情けない顔をするベアトリス。あまりの急展開に思考が停止してしまったのである。いきなり結婚を強いられたのだから無理もない。


「お父様。どうしてそうなるんです?」


「実はな」


 カールは仔細しさいを語った。なんとも身勝手な経緯を。



 ロレニア王国は、南で国境を接するミディオラに戦争を仕掛けていた。理由は領土の拡張と名誉の獲得。しかし、王の予想とはうらはらにミディオラは強かった。


 僭主せんしゅオッタヴィアーノ。


 当時この老領主は武力でミディオラの支配権を獲得し、それを十年も維持していた。そんな彼の国に攻め込んだカールは間もなく己の無謀に気付かされる。


 オッタヴィアーノは強い。このままでは我が国の領地さえ危うくなりそうだと。


 新たな領地と名誉を得るどころか失いかねないと悟ったカールは、オッタヴィアーノに和睦を申し込んだ。損失を出す前に矛を収めるための英断……と言えば聞こえはいいが、実際は敵の強さに震え上がったためになされたことであった。


「陛下。これっぽちの領土割譲と賠償金で兵は退きあげられませんな」


 足元を見るように、オッタヴィアーノは割譲領土の増加と賠償金の吊り上げを試みた。カールは困った顔をした。


 その理由は財政の窮乏にある。


 高貴な身分の者にはありがちだが、カールは贅沢にふけり、しかもその生活を改めようとはしなかった。生まれた時点で世界の上位数%の暮らしができるうえに世間体もあってか質素な暮らしなどできない。そんな王が財政を理解しているわけがない。


 また、カールは銀行からの借金も重ねていた。そして、返済期間も迫っておりふところ事情は最悪。よって、オッタヴィアーノに支払う金はない。その支払いに充てるための増税を行おうものなら民衆が暴動を起こしかねないし、貴族たちがそれに乗じて謀反だって起こしねない。


(なにか代わりになる物は……そうだ)


 カールはひらめいた。屈辱的な講和を、祝福すべき出来事に代える妙案を。


 王は知っていたのである。目の前の老人が美女には目がないことに。


「オッタヴィアーノ殿。領土を諦めて頂けるのなら、金子きんすと我が娘を『嫁として』送りましょう。どうですか? お互いの利益のためにも」


 カールの提案に、オッタヴィアーノはにわかに目を輝かせた。王家の娘と姻戚いんせき関係を結べるだけでなく、ロレニアの女性は美人が多いと聞き知っていたから。


「陛下、ではそれで手を打ちましょう。いやあ、良いものが手に入れられて良かったですわい」


 こうして、ロレニア王カールは敗戦の傷を小さくすることに成功したのである。



 カールが全てを語り終えると、ベアトリーチェはおもむろに口を開いた。


「お父様。私はお父様の尻ぬぐいで見知らぬ地に飛ばされるのですか?」


「……そうなるな」


 他人事ひとごとのように答える父に、ベアトリスの怒りは爆発。彼女は大股開きで歩いて父に詰め寄ると、


「なんで、私の承諾もなしで話を進めてるのよ!」


と猛抗議。自分は行きたくない、今からでも遅くはないから約束を無効にするよう促した。


「ベアトリス。約束は実行されねばならないのだ。それに……悪く思わないでほしいのが、オッタヴィアーノ殿に差し出せる娘はお前しかいないのだよ。お前はもう十五。結婚はできるし、何よりオッタヴィアーノ家を味方にだな――」


「もういいです!」


 ベアトリスは扉を力任せに閉めると、そのまま二階の寝室に引きこもってしまった。


「これじゃ私は生贄じゃない……」


 政略結婚が当たり前とはいえ、知人のいない隣国に、それも五十近い老人との婚約など若いベアトリスには耐えられなかった。


 嗚咽おえつとともに涙がベッドに染みていき、それは朝まで止むことはなかった。

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