窮屈な暮らし

「イザベラ、ニッコロ。新しい妻のベアトリーチェだ。挨拶なさい」


 否応なく婚約させられ、ミディオラに移住を強いられたベアトリーチェ。彼女が初めに受けた洗礼は、夫オッタヴィアーノと亡くなった前妻との間に生まれた二人の子との対面であった。


「ふうん、あんたがロレニア女のベアトリーチェねえ。まあよろしく」


 のっけから手酷い対応を見せたのはイザベラ。新妻ベアトリーチェより二つ年上の彼女は明らかに見下した態度を取った。


「へえ、ロレニアの女性はきれいって噂は本当だったんだ。やった! よろしく、ベアトリーチェさん」


 こちらはイザベラの弟ニッコロ。絵に描いたような駄目男で、自分と同い年の新妻に早速恋心を抱くような奴であった。


「おい、お前達。失礼な態度を取ってはいかんぞ。さあ、ベアトリーチェ。屋敷を案内するからついてきなさい」


 夫であり家の主人であるオッタヴィアーノの言葉に逆らうことはベアトリーチェにはできない。男性優位の社会において女性は所有物。決定権はなく、何をしようにも夫の許可が必要となる。


 それからベアトリーチェは、オッタヴィアーノの案内で屋敷についての説明を聞かされた。特に目新しい物はなかった。婚約前まで住んでいたロレニア王宮の方がずっと華やかで印象的だったからである。


 壁に掛けられたタペストリー、クロスの掛けられたテーブルと椅子の置かれたダイニングルーム、天蓋てんがいとカーテンの付けられたベッド等々。


 装飾は同じだが色見は暗い、とベアトリーチェは感じていた。


 ロレニアは青を基調とした彩りで飾り立てていたから空のように澄んだ印象であったが、ミディオラは赤を基調とした彩りが施されていた。


 どこか血を連想させるが、実のところ、ミディオラは流血の末に建国されている。


 ミディオラの領主オッタヴィアーノの祖先は、世界にあまねく信仰されている神聖教の高位聖職者であった。中には宗教界のトップである法皇にまで上り詰めた者もいたが、その即位に関しては黒い噂が伝わっている。


 金で法皇の地位を買った男。


 そんな噂が立つような人物が祖先にいるのだから、子孫のオッタヴィアーノもまともな男とは言い難かった。


 若い女漁りを好む、老いてなお盛んな男。


 オッタヴィアーノに対する領民の評価である。三十歳以上も年下のベアトリーチェをめとった理由も、金よりも彼女が欲しかったのだろうとの噂が絶えなかった。


(はあ、窮屈だわ)


 嫁ぎ先に着いて早々、ベアトリーチェは心中で大きな溜息をついた。



 嫁いでから三カ月。未だベアトリーチェは馴染めずにいた。


 何もかもが苦痛であった。


 朝の起床から夜の就寝までずっと。


 食事の時間になると、イザベラとニッコロからかけられる言葉が耳をつんざいた。

イザベラは己の優位を押し付けようと懸命になり、ニッコロはアプローチを止めない。


 余暇の時間に催される吟遊詩人の語りや芸人の芸も、彼女には何の感慨も起こさせない。同じ余興は故郷で飽きる程に見てきたが、元来貴族的なものを嫌うベアトリーチェには場所が変わろうとも退屈にしか感じられなかった。


 だが、特に苦痛だったのは就寝時間。


 夫がこっそりとベッドに潜入し、新たな世継ぎをつくるためのを要求してくるのだから、若いベアトリーチェには堪ったものではなかった。


 「出てって!」


 枕やその辺にある調度品を手当たり次第に投げて、好色な夫を撃退することが続いた。やがて二人は同じ屋敷に住みながら実質別居状態となる。夫オッタヴィアーノが妻に付けられる生傷が増えていくのを恐れたのである。


(お父様。なんてことを……)


 ベアトリーチェは枕に顔をうずめ、故郷にいる父に恨み節をぶつけた。だが間もなく父カールの死が伝わると、彼女は怒りのぶつける相手がいなくなり、どうしたものか分からなくなってしまう。


 豪華な牢獄に押し込められたはと


 ベアトリーチェは枕を涙で濡らすことしかできなかった。

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