運命の出会い
ある日のこと。ベアトリーチェは夫に呼び出された。
(離婚かしら?)
ベアトリーチェは離婚を期待したが、そんなことは起こりえない。神聖教の教義では一度結ばれた婚姻は無効にできないのだから。
オッタヴィアーノは今まで妻に見せたことのない満面の笑み――見る者を気絶させかねない顔で告げた。
「お前の好きになさい。わしゃ、お前の代わりを見つけるよ」
表情とは裏腹な諦めた口調。ベアトリーチェを飼いならせないと悟ったのか、オッタヴィアーノは
ともあれ、ベアトリーチェは夫から解放された。
だが、好色なオッタヴィアーノはちゃっかりしていた。
なにせ、ベアトリーチェが持ってきた持参金で公爵の地位を購入していたのだから。おかげで、それまでは社会的に見て不当な支配者であった
だが、ベアトリーチェには関係なかった。金で社会的地位を得た夫に合わせて自身も公爵夫人となったわけだが、そんなことよりも、
『好きにしていい』
と告げられたことの方が嬉しかった。狭苦しい屋敷から解放された彼女はさながら籠から出された鳥のよう。
(さあて、どこに行こうかしら。楽しみ!)
結婚から半年。ずっと死んだ顔をしていたベアトリーチェに久方ぶりの笑みが浮かんだ。
◇
公爵夫人がミディオラ市外に姿を見せる。
市内に住む人々にその噂が広まるのには時間がかからなかった。普段は姿を見せることのない公爵夫人がどんな人なのか、興味を持った人々が彼女を尾行していく光景が見られた。
「あれが」
「公爵夫人様、なのか?」
高貴なご身分の女性だから雲の上の人に違いない。人々はそう予想し合っていた。だがしかし、それは裏切られた。
大人たちに混じってボードゲームに興じる。
宿屋で酒を飲んで、客との下らない世間話に時間を費やす。
公共の広場では女の子たちとままごと遊びに加わり、大通りでは男の子たちとかけっこをして汗を流す。
とても高貴な生まれのお姫様には相応しくない振る舞いばかり。
けれど、人々も彼女と同じ時を過ごすうちに、
「こんな公爵夫人も悪くはない」
と思うようになっていった。等身大の飾らぬ生き方が受け入れやすかったのであろう。
そんなわけで庶民からの好感度は高かったベアトリーチェだったが、ある日、運命の出会いを果たすこととなった。と言っても、それは書物を通してのもの。
彼女がいつものように女の子たちとままごとあそびをしていると一人の少女が、
「じゃあ、今日は『マチルダ女王様ごっこ』しよう!」
と提案してきた。遊びに加わっていた他の少女も「やるー!」と大喜びしたが、ただ一人ベアトリーチェだけは置いてけぼりにされた感じがしたので、
「マチルダ女王様?」
と聞いてみる。すると少女たちは「知らないの?」とでも言いたそうな顔をして、こう答えた。
「南にあるフロレンスって国の偉い女の人。ずっと昔に生きててね、すっごく強くて、武器を振り回して悪い人をやっつけたんだって。だからね、みんなから『女王様』って呼ばれて尊敬されてたの。あたしもそんな風になりたいって思ってるんだ!」
少女の無邪気な返事に「えー、ずるい」とか「私がなるの!」とかの声が飛び交い、女王様役の争奪戦が繰り広げられたのだが、ベアトリーチェだけは別のことを考えていた。
「マチルダについて詳しく調べてみたい。自分もそうなりたい」と。
◇
数日後。
ベアトリーチェは人生で初めて自主的に書庫に足を踏み入れた。今まで一度たりとも進んで座学に取り組んだことのない彼女が、好奇心に突き動かされて読書に勤しんだのである。
フロレンスの英雄。男勝りの女王。ガーター履きし女騎士。
そして、不可解な死を遂げた悲劇の女性。
ロレニア出身のベアトリーチェは知らなかったが、どうやらマチルダはラティニカ半島――彼女が嫁いできたミディオラを含む南北に伸びた半島――では有名人ということだけは分かった。しかし、その文量は僅かでどこまでが真実かははっきりしない。
それでもベアトリーチェは決めた。マチルダのようになりたいと。
決断した後のベアトリーチェの行動は早かった。彼女は市内にある訓練場にアポなしで突入すると、
「私を騎士にして!」
と道場破りよろしく大声でお願いした。面食らったのは男たち。暑苦しい男の世界にうら若き乙女が乱入してきたのである。これで何も思わない方がどうかしている。
だが、ベアトリーチェの人となりはミディオラの人々に知れ渡っていたこともあって、彼らは公爵夫人を受け入れた。なお、その背景にはオッタヴィアーノからのお達しも影響していた。
「出来るだけ長く、妻をしごいてやっておくれ」
彼は妻が根を上げて勝手に祖国へと帰ってくれれば最上、そうでなくてもベアトリーチェが屋敷を留守にする時間が長くなれば、その分長く
一方で、公爵はスケベで
妻を客寄せパンダならぬ客寄せ女騎士として、馬上槍試合で各国の領主に披露すれば注目する者が出てくる。そして、彼らと手を組み、いずれはその領地の支配権を握る足掛かりにしていく。
ゆくゆくは自分が「ラティニカ半島の王」として君臨し、百を超える領主が自分に
妻にはそのための駒になってもらう。
(お前をとことん利用させてもらうさ。わしの野望のためにな)
公爵オッタヴィアーノとはそういう男であった。
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