祖国のために

 市内を人が行きった。


 ある者は家から凶器を持ち寄り、ある者はガタガタと震えてその場から動けずに泣き、またある者は法皇国の旗の下に集まって革命に協力している。


 混沌とはまさにこのこと。


 そんな光景が展開されるフロレンスの細い街路を、ベアトリーチェは一心不乱に駆けた。


(あの子たちはどこ?)


 無秩序になれば真っ先に被害者となるのは子どもや女性、お年寄りと相場が決まっている。ベアトリーチェは急いだ。一人でも犠牲になる者を減らすために。


 その志は紛れもない騎士の生き方そのもの。


「お姉ちゃん!」


 やがて、彼女は見知った顔の少女に出会う。劇を見に行こうと勧めた女の子であった。ボロの衣服をまといながらもはちきれんばかりの笑顔を絶やさぬ彼女はだが、今や恐怖に顔を雲らせている。


 少女の前には三人の警備兵が仁王立ちとなり、


「おい、お前たちはアベラルド様の言う通りにするのか。答えろ!」


と言って、子どもたちの親にアベラルド――ジョルジョと同様に革命の首謀者で、ベアトリーチェに利用価値があると裏で話し合っていた三人の内の一人――の名を叫び、言うことを聞かなければ殺さんばかりの目付きをしていた。


「ちょっと、あなたた――」


「あっ、隊長殿。こちらは順調であります」


 ベアトリーチェの声掛けに警備兵が振り向いて、そう告げた。彼はベアトリーチェが着用していた兜の頂点に房飾りが付いていたことから、彼女を警備隊長と勘違いしたらしい。


「……?」


「お忘れですか。我々の役割を。アベラルド司教から金子を渡された時に散々聞かされたでしょうに」


 警備兵は目の前の人物がベアトリーチェとはまだ気づいてはいない。そこで、公爵夫人は男声を装って尋ねる。


「すまない。私は金子のことで頭が一杯だったから、あの方が何を話していたか憶えてないんだよ」


「あれまあ、俺っちと同じだ。まったく、司教様の話は小難しくて眠くなっちまうぜ」


 すると別の警備兵――ベアトリーチェと同じ型の兜を被る隊長格の男が、二人の会話に割って入る。


「おいおい、忘れちまったのかあ? 仕方ねえなあ。まあいい、確認するか。俺たちはアベラルド司教様から『貧民窟の人々は神に救われる価値もないから、フロレンスから追放するか、さもなくば殺せ』とお達しを受けた。今はそれを実行中って訳。ところでお前さん、ここへはどういった――」


 突然の訪問について訳を尋ねる前に、男の頭蓋骨はかち割られていた。感情に任せて振り下ろされた剣の一撃が瞬時に命を奪ったのである。


「お前、何者だ!」


 残りの警備兵が剣を抜いた。現場に緊張が走る。無力な子どもたちは大きく泣き叫ぶばかり。その親たちも同様に何も出来ずにいた。


「ベアトリーチェ・ド・ロレニア。騎士だ!」


 名乗りを挙げる公爵夫人。その名を聞いた子どもたち、特に少女たちの心には大きな希望をもたらし、対して警備兵は恐れをなした。


「お姉ちゃん! 助けに来てくれたんだね!」


「が、ガーターを履いた女騎士か! でもこっちは二人で、あんたは一人だ」


 警備兵の一人がベアトリーチェに立ち向かおうとする。


「やめようぜ。お前さんじゃ勝てねえ」


 だが、それをもう一人の警備兵に引き留められた。


「あんだよ。やってみなきゃ分かんねえだろ」


「そのガタガタさせてる足で? 無茶言うな。ろくに訓練も受けていない俺たちじゃ相手になんねえっての」


 フロレンスに限らず都市の警備兵は日雇いの者が多く、また粗末な武器とお下がりの安物甲冑を持たされて任務に就かされるのが常であった。男の言うことは的を射ている。すると命惜しさに臨戦態勢であった警備兵は剣を降ろし、


「お願いだ! 命だけは奪わねえでくだせえ、女騎士さまあ……。俺には老いたおっかさんに、小っちぇえ子もいるんだよ。償いはするから、どうか堪忍してくだせえ……」


 強いなまり口調で、先ほどまで威勢の良かった男は慈悲を乞うた。


 ベアトリーチェは剣をさやに納めて、男に手を差し伸べる。


「なら、私に付いてきて。あなたの仲間たちに呼びかける。『奴らの言いなりにならないで』って。協力して」


「そんなことをしても、無意味だぜ。公爵夫人さん」


「どうして?」


 大人しく降伏を促した男が、ベアトリーチェに消極的な態度を見せた。


「俺たちもそうだが、警備の連中は金に負けて奴らに協力した下衆なんだぜ? あんたの言葉に耳を貸すとは思えない」


 彼らが報酬に目が眩み、間接的に祖国を陰謀者に売り渡そうとしたことは事実である。


「でも、今すぐに動かないとここが奪われるのよ。……ならいいわ。たとえ無駄でも、あなた方が付いてこなくても、私は動くから!」


 言うが早いか、彼女は貧民窟のあたり一帯を走り回って今すぐに住民を傷つけないように呼び掛けていく。狭い区域であったから、公爵夫人の必死な姿は多くの住民と警備兵たちの目に留まった。


 耳を傾ける者。そうでない者。警備兵の対応は真っ二つに分かれてしまう。


 中にはベアトリーチェに食ってかかる者もいた。


「あんた部外者だろうが。なんで、わしらのためにそこまでするんじゃい」


 食ってかかったのは老人。やっとの思いで薄い甲冑をまとう、見るからに頼りなさそうな男であった。


「わしゃな。こんな年まで働かなきゃ妻も食わせてやれんくらいには貧乏なんじゃ。そんなわしの苦労なんぞ若いお嬢さんには分かるまいに」


 ベアトリーチェの胸に老人の言葉が突き刺さる。


 生まれの違いでその後の暮らしが決まってしまう。 それは紛れもない真実。反論のしようがなかった。一体この人にどう答えればよいか分からず、彼女は沈黙してしまう。


「そんなことないもん!」


 思わぬところから老人への反論があった。それは小さな子どもたちによるもの。


「ベアトリーチェお姉ちゃんは、私たちに良くしてくれたもん。だって一緒にお風呂に入ってくれたんだよ。勉強だって教えてくれたし、ジュリアーノおじちゃんから紙やペンも買ってくれたのに……どうして、おじいちゃんはそんなこと言うの!」


 少年少女一同は老人にある物に軽蔑の眼差しを向けると、彼らのまなこからは涙があふれてくる。大好きな人を悪く言われて悲しくなったのである。


 老人はその光景に改心したのであろう。少年少女たちの頭を優しくででやってから、ベアトリーチェに向き直る。彼は金属の擦れ合う音がする包みを遠くに放り投げてから言った。


「すまんの、お嬢さん。あんたにあれこれ言う前に、わしが金貨で釣られて故郷を売ろうとした阿呆には違いない。とやかく言える立場じゃなかったわい」


 ベアトリーチェはそんな老人の肩に手を置くと孫娘のように語った。


「大丈夫、おじいちゃん。まだやり直せる。私と一緒に悪い奴らと戦って。私はもう部外者じゃありません。あなたたちのために戦いたいんです」


 私は部外者ではない。


 その言葉が警備兵たちの気持ちを変えた。


 異国の公爵夫人が自分たちを悪しざまに罵るのではなく、何の縁も所縁もないはずの故郷のために命をかけてくれる姿に、彼らは金子以上の価値を見出したのである。


 至る所から包みが投げられていく。それは警備兵が決意を固めた証。


「ベアトリーチェ殿。私たちを導いてください」


 先ほど戦闘を中断させた男が代表して公爵夫人の指示を待った。さながら女王に忠誠を誓った家臣団のように。


 ベアトリーチェは勇ましく号令する。


「ジュリアーノ様とエヴァ様を助ける。それと革命の首謀者たちも捕らえに行くわよ!」

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