東のグロウディッツ

 東のグロウディッツも開戦を急いでいた。


 ロレニアに放った間諜が、ルイージ王の命で徴兵が行われているとの情報をもたらしたからである。


 グロウディッツ帝国の宮廷はにわかに慌ただしい雰囲気となる。特に皇帝フェデリコと近臣たちの慌てっぷりたるや、さながら喜劇の様相を呈していた。


 少し前にロレニア王国は南のミディオラに打ちのめされた。まさか、再度の戦争を仕掛ける余裕などあるはずがない。


 宮廷ではそんな予測がなされていた。至って常識的で理にかなっている。


 しかし彼らはルイージ王の無能さを理解してはいなかったらしい。


「陛下。ロレニアの侵攻は確実でありましょう。大がかりな動員令からして、王の本気度がうかがえるかと。我々も手を早急に手を打たねば」


 近臣の一人がフェデリコ帝に進言する。対して、皇帝は右手で赤いひげ――『赤髭帝』と称される所以の立派なそれをいじりつつ、苦し気な表情で答えた。


「わしもそうしたいのじゃが金がのうてなあ」


 皇帝は一枚の金貨を取り出す。それが意味するのは資金難。


 帝国はミディオラのオッタヴィアーノ、エミリアのジョバンニから爵位の授与と引き換えに多額の金子きんすを受け取ったのだが、それも蕩尽とうじんされて国庫を開けば中身はすずめの涙ほどの金貨しかない。


 爵位と引き換えに受け取った金子が、なぜあっという間に尽きるのか。


 理由は……高貴な血筋に生まれた者のさがという他あるまい。自由に金が使える環境が物心ついた時からあって、まともな金銭感覚が育つ方が不思議というもの。


 それに加えて、グロウディッツ帝国の政体及び歴代皇帝が推し進めてきた政策にも原因があった。


 まずは帝国の政体について。


 帝国内には百を超える領邦、即ちその地を治める貴族に徴税権などの広範な権限を付与した実質的な独立国が存在しており、彼らの中には皇帝すら凌ぐ勢力を築く者さえいた。そのような勢力を歴代皇帝は叩き潰す方針を執ってきたため、現皇帝のフェデリコもそれを踏襲して己の権力維持に心を割いてきた。


 次に帝国の財政赤字を生み出す要因となったのは、三百年以上も断続的に行われたラティニカ政策。


 これは帝国の創立に関係している。


 初代皇帝エンリコはラティニカ半島中部を治める法皇国の君主、即ち法皇から戴冠たいかんされて正式な皇帝と認定された。以後、歴代の皇帝たちは帝位継承の際には半島を縦断して、法皇国で戴冠式を行う慣例ができた。だが、これも半島北部に情勢変化によって事情が変わった。


 元来、ラティニカ半島北部は帝国領に組み入れられていた。しかし、その統制を逃れて無数の小国家が乱立すると二つの派閥が形成されてしまった。


 皇帝派と法皇派。


 前者は皇帝の政策を容認する派閥で、後者はそれを否定したうえで皇帝の南下を阻止するために法皇との結託を目論む派閥となる。


 両派閥が北部の小国家群でモザイク状に形成されると派閥争いが本格化し、皇帝の軍と法皇の軍が介入。戦争に発展する事態が多くなった。


 皇帝は北部を取り戻したうえで、戴冠式をすんなりと行えるようにしたい。


 法皇は皇帝の南下を阻止――法皇にも領土拡張の野心があったから――するために法皇派の国々に発破をかけて皇帝の南下を食い止めさせる。


 国内の貴族抑圧政策と国外のラティニカ政策。これが帝国の財政赤字を生み出していたのである。


「ですがね、陛下。陛下は戴冠を済ませておりません。それで国内の貴族が陛下を侮っているのも事実。失礼を承知で申し上げますが、皇帝として正式な手続きを済ませるというのは、如何なる大金を支払ってでも執り行うべきことかと」


 廷臣の言う通りであった。フェデリコ帝は即位して三年だが、まだ頭に皇帝の冠は被せられていない。彼は自身の権威が軽んじられていることに苛立っていた。よって、できることならラティニカ政策を実施したいのだがそれを遂行するための資金はない。


 無い袖は振れないが冠は欲しい。


 皇帝は悩んだ。何か解決策はないものかと。


 そんな時、そんな皇帝の悩みを解決する妙案を進言する者が現れた。


「陛下。傭兵団を送ってみては? 彼らに半島北部を荒らしてもらえば陛下の望みも叶うかと」

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