黒衣の傭兵隊長ゲラルド
無機質な足音が宮廷に響く。
一人の男が応接間に姿を見せた。
膝まで届く長さの黒マントを羽織りながら。
皇帝も、廷臣も、女中たちも静まり返って黒マントの男に注目した。竜を模した兜、獅子を肩にあしらった鎧が彼らの目を引かずにはおかなかった。
「陛下。お招き頂き光栄の極みでございます」
(こやつを信用してよいものか)
型通りの挨拶をしているのは明らか。目の前の男から感じられるのは貴族への
とはいえ、正規軍を編成できない以上は彼を頼るほかはない。
「ゲラルド・ネルロ。黒衣団の長でございます。陛下の父上が帝国を治めていた頃に一度お会いして以来でございますかな?」
「ゲラルド。今日は昔話をしたくて呼んだわけではない。口を慎め」
双方が互いを利用したい。
皇帝と傭兵団の長ゲラルドの思惑は一致していた。皇帝は早々に本題に入り、話の主導権を握ろうと試みる。
「単刀直入に言う。お主の兵をラティニカに向けて進めてほしい」
「ほお、それはそれは。何の訳があってです?」
小馬鹿にしたような口調で尋ねるゲラルド。依頼人の立場からそれを咎められないのを口惜しく思うフェデリコ帝。本当なら彼のような卑しい素性の人など雇わずに侵攻を推し進めたいが今はそうもいかない。
(こんな奴に頭を下げねばならぬとは)
皇帝が侮蔑の目を向けたのには二つの理由があった。
一つ目は傭兵に対する印象。
傭兵は「戦争屋」というレッテルを張られがちである。彼らは国家間の争いを稼ぎ時と
事実、ラティニカ半島北部の小国家群では皇帝派と教皇派の小競り合いから戦争に発展するケースが多く、それに乗じて様々な傭兵団が国家元首と契約し、戦争に加勢する組織が
二つ目はゲラルド及び彼の率いる黒衣団の素性にあった。
傭兵という仕事は職を失った男が最後に辿り着くものである。ゲラルドもそれにもれず元々は自作農であった。しかしフェデリコ帝の父、先帝フリードリヒの時代に発生したロレニアとの戦争で彼は農地を失い、しばらくは帝国内をぶらぶらと飲み歩いていたと噂されている。
その間にゲラルドは口説きの技術――
一方で彼の傭兵団は素行の悪さでも有名であった。
『一たび都市を陥落させると後は地獄ができる』
との言葉が広く流布する程度には、黒衣団は厄介者扱いされていた。ちなみに団長のゲラルドは報酬のためにしか働かないので、もし報酬が支払わない事態が生じれば雇用主に刃を向けることさえ辞さない。実際、とある小国の君主が彼に支払いを拒絶した時には、
『では、あなたの首と屋敷の調度品でもって穴埋めをしましょう』
と宣言するとすぐさま
端的に言えばゲラルドは「災い」そのもの。金が基準でそれ以外は歯牙にもかけない。
そんな男の率いる傭兵団を果たして信用してよいものか、とフェデリコ帝は思い悩んだのである。
とはいえ、ゲラルドが率いる黒衣団の強さは圧倒的。是が非でも法皇からの戴冠を望む皇帝は皮算用をした。
(戴冠式が終われば帝国諸侯もわしにひれ伏すだろうから、後で彼らに税を課し、その一部をこやつに渡せば上手くいくじゃろうて。なあに、契約内容に一言添えれば良かろう)
フェデリコ帝はゲラルドに告げた。
「期間は二か月。支払いはわしの皇帝即位時に支払うこととする。これでとうかね?」
「おや、陛下。それじゃ俺の部下が不満を帝国内でぶちまけますぜ。曖昧な条件での契約はお断りですな」
ゲラルドはもはや敬意も見せずに言うと、皇帝に背を向けその場を去ろうとした。
「ま、待て! 一時金として差し出せるものならある」
冠に執着するフェデリコ帝がゲラルドを繋ぎとめようとした。それは女好きと噂されるゲラルドに効果的だと皇帝が考えた末の提案であった。
「わしの末娘をお主に預ける。二カ月間はお主の好きにしてよい」
ゲラルドは足をピタリと止めると、少しの間を置いてから、皇帝の方に向き直った。勝ったといわんばかりの得意げな顔をして、彼は言った。
「そこまで言うのでしたら。よろしい、交渉成立だ」
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