第二章 戦争の足音、迫る
西のロレニア
ラティニカ半島の北から戦争の足音が聞こえてくる。
それは東西で隣接する二つの強国から発せられた。
西のロレニア。
東のグロウディッツ。
両国の君主が戦端を開こうとしていた。
◇
西の強国ロレニアは青の下地に赤いアザミ、その左右の葉に槍、上には冠が描かれた紋章を有する花の王国である。鮮やかな花々が国土を飾り、それらが南方の国々への輸出品及び国家の資金源として重宝されている。
また、ミディオラ公爵オッタヴィアーノがベアトリーチェを望んだように美人が多いともっぱらの評判であった。
美しい花々とそれに劣らぬ美しい女性たちの国。
一方で醜くて汚らしいものも存在する。それは玉座に座って贅沢品の甘菓子に噛り付く太っちょの巨漢。
「へ、陛下。お体のために節制をですね」
「うるさい。お前は王に指図するのか。あんまりしつこいとこうだぞ」
玉座に座ったままで、王と思しき男は右手を首筋に当てる仕草をして見せた。首切りのポーズである。命が惜しくなった忠告者は無言で立ち去った。
「ねえ陛下。私に何かプレゼントしてちょうだいよ」
「あら、あなただけずるい。陛下、私にもくれない? 首飾りとか指輪とか」
「おい、君たち。余の所有権を巡って争うな。二人とも、余から贈り物を送るから」
「「まあ嬉しい! さっすが陛下!」」
「当たり前だ。余は最高の王。品位、風格、寛容。その全てで余に敵う君主などおらん!」
息ぴったりのお
ロレニア王ルイージ。
二十歳の彼はベアトリーチェの兄に当たる。先王カールの急死を受けて擁立されたこの若造は即位早々に貴族たちの誘惑攻撃に屈してしまった。自制心のないルイージは貴族の乙女たちをあてがわれるとあっさりと陥落。一年も経たないうちに骨抜きにされ、政治を貴族たちに丸投げしてしまい、自らは堕落した毎日を送っていた。
そんな王を正面に見据えたロレニアの貴族代表の男が報告する。
「陛下、軍の編成は順調でございます。ひと月ほどで計画は遂行可能となりましょう」
「ありがとう。ラティニカ征服は父の夢だった。それを余が代わって叶えてやりたい。失敗は許されぬと肝に銘じておけ」
女性にうつつを抜かしたままで真剣な表情を作っても、まるで迫力も威厳も感じられない。居並ぶ数名の上級貴族は苦笑しないように留意しつつ、
「「「もちろんでございます。陛下」」」
と応じるのであった。
◇
王との会合を終えた上級貴族一行は宮殿を去ると我慢していた笑いを解放。王に聞かれては一大事と笑いを抑えたが、ロレニア市内を通りかかる人々に見られてしまう。彼らはそれを見て
「王様と会った後なのね。お疲れ様です」
といった感じで眺めていた。ルイージ王は庶民からも愚王扱いされていたのである。
やがて、上級貴族一行は人通りがまばらになる裏通りに入ると内密に話し合った。
「連絡しておいたか?」
まず、王に報告を行った男が尋ねる。
「手筈通りに。陛下の弟君に使いを送り手配はしておきました」
彼に顔を向けられた小男が答えた。王の弟とは、ラティニカ半島南部を治めるノマーニャ王ジャンのことを指す。醜態を晒していた兄とは違い、ジャン王は民のための統治を優先し、自らは粗末な生活を送ることで領民から慕われる人物であった。
「おい、君。私はいささか心配なんだがね」
すると、今まで口を開かずにいた男が不安げな様子で言った。二人の男が応じる。
「何が心配なんだ?」
「そうですよ。我々の根回しは完璧。なにせ、王の金庫から取り出した金子をミディオラの公爵にお渡ししましたからね」
「それが心配の種なんだ」
男の心配事とはこうであった。
ロレニアからラティニカ半島最南端にあるノマーニャに行く方法は二つある。
一つは半島の陸地を突っ切るというもの。しかし、この方法は激しい抵抗が予想された。半島北部には独立性の強い自治都市が乱立しており、他国の侵攻には過剰に反応するきらいがあったからである。
もう一つのルートは海路を執るもの。これはミディオラ公国内にある港湾都市ジャアノで船に乗り、南に進んでノマーニャの王都であるノマエに向かうもの。このルートは陸路と比べて妨害はほとんど受けずに南北から半島内の国を挟み撃ちにできる可能性は高かった。
以上の点を考慮して、彼らは海路を執った。
だが、海路にも問題がない訳ではない。
それはミディオラ公オッタヴィアーノの動向。
彼が少し前に
果たしてオッタヴィアーノは、ロレニア軍の南北合流をすんなりと承諾してくれるのか。また、事前に派遣しておいた使節に言わせた要求――ロレニアに協力してくれるのか。
彼らは公爵が裏で帝国や他の諸国家と手を組み、それを妨害することを危ぶんでいたのである。
「確かにそれは憂慮しているが、ひと月で侵攻が可能と伝えてしまった以上後戻りはできない。一度進めた計画を白紙に戻せば我々の首が飛びかねんからな」
「そうですね。陛下が
「まあ、それもそうだな」
ミディオラ公爵に一抹の不安を感じていた男も、結局は二人に押し切られる形に
なった。
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