混乱の収束

 ベアトリーチェ率いる警備兵の一団が中央広場に乱入すると、勝敗は瞬く間に決した。


「ベアトリーチェ様!」


「俺たちのために来てくれたんですね!」


 決闘裁判の雄姿を目の当たりにしていた人々は奮い立ち、革命の首謀者とその支持者の群れへと突入。その勢いに気圧された革命支持者たちは散り散りになってしまった。


 首謀者のジョルジョとアベラルドを残したままで。


 こうしてフロレンスで巻き起こった革命騒動は、女騎士の行動によりあっけなく幕を閉じた。


「すごいな、姿を現した途端に全てを解決してしまうとは」


 邸宅の二階にあるバルコニーからその一部始終を見届けたジュリアーノは、公爵夫人の求心力に感嘆するばかりであった。


「あの子は凄いわ。私たちと違って、んですもの」


 夫の背中に妻のエヴァが語りかける。その口調に嫉妬は見られず、ただ驚くばかりといった様子。


「ああ、羨ましいよ。本当に」


 そう言って、ジュリアーノは妻の方に振り向く。すると、目の前にいた妻は輝く甲冑に身を帯びているではないか。しばらく無言になる夫ジュリアーノ。


「あら、私の甲冑姿に惚れた?」


「エヴァ。それは――」


「かつてこの地に居を構えた、マチルダ女王の甲冑のレプリカよ。もしもの場合にはこの格好で迫りくる敵をやっつけるつもりだったのだけど……無駄になっちゃった」


 口惜しそうにするエヴァ。彼女のその場で敵をやっつける場面を想定したジェスチャーをして見せる。それを苦笑して眺める夫ジュリアーノ。


「エヴァ、そんな動きじゃ一人だって討ち取れやしないよ」


「そう、やっぱり私には合わないか。でも――」


 そこまで言いかけた時、邸宅の扉がゆっくりと開かれる。金属音が段々と二人の耳に大きく響いてくるのが分かった。


「あの子にだったら似合うかも」

 

 エヴァが言い終えると同時に、勝利の立役者が姿を現した。


「お怪我はありませんか? 遅れてすみません。色々と手間取ったものですから」



 それまでの騒ぎが嘘のように、人々は早くもいつも通りの生活に戻ろうとしていた。


 首謀者は即刻裁判にかけられ、有罪判決を下させた後に投獄された。命を取らないで置いたのは、法皇に対する牽制けんせいの意味合いがあった。


 取り調べの際にアベラルド司教が洗いざらい白状し、今回の計画に法皇が深く関わっていることがはっきりすると、首謀者たちの処刑はマズいとジュリアーノは判断した。彼らを人質として牢に入れておく方が得策と考えた末の決断である。


 また、首謀者に加担した連中に関しては「執政官コンスレの寛大な措置」と称して追求しようとはしなかった。こちらは彼らを追及した末に新たな騒動を巻き起こさないための配慮である。ただし、市内の間諜に主だった加担者の見張りを命じておくことは忘れずにしておいた。


 こうして、フロレンスはしばしの平穏を取り戻したが、ジュリアーノにとっての悩みの種は尽きなかった。間違いなく法皇は今回の件で自分に事情説明を求めて来るであろうし、彼のことだから「自分はそのようなことを指示していない」としらを切ることは分かっていた。また、甥であるアベラルド司教の捕縛を理由に大軍を編成して侵攻を画策するのは目に見えている。


「エヴァさん、パンとスープのお代わりをください」


「あたしもー、お野菜無しのスープください!」


 だが、ジュリアーノにとっては目の前で展開されている光景のおかげで、どうにか不安な顔を作らずに済んでいた。なにせ彼は今、卓上に並べられた料理を怒涛の勢いで平らげるベアトリーチェと、彼女を慕う子ども三人を笑顔で眺めていたのだから。


「ちょっと、執政官コンスレ様の奥様にご迷惑をかけては駄目よ」


「いいんですよ、お母様。お気になさらず。どうぞ、お腹いっぱいになるまで食べてってちょうだいね」


「うん、ありがとう、エヴァおばさん!」


 ジュリアーノの顔は緩みっぱなしであった。


『貧民窟から毎日三人の子どもとその親を自宅に招き、昼食を採らせること』


 それがベアトリーチェが出した贖罪しょくざい――つまりは、自身を牢に入れた罪滅ぼしと提示された時、


『それでいいのですか? 私はあなたの言い分も聞かずに牢に入れたのですよ?』


と聞いてしまった。もっと重い罰が自分に課されるものと思っていた彼はだが、ベアトリーチェの返答を聞くとそれ以上は何も言えなくなってしまった。


『奥様からあなたの過去を聞いたら、あまり強く責める気にはなれなくて。それにあなたの政務に支障をきたすのも良くないですから、子どもたちの胃袋を満たすことで手を打ちます』


 そんな提案をした彼女の、口いっぱいに頬張る姿を見た子どもたちが爆笑するのを見やりつつ、ジュリアーノの目は潤んでいた。


「ジュリアーノおじさん、泣いてるの?」


「具合が悪いの?」


 子どもたちが心配そうな顔をジュリアーノに向ける。彼は顔をほころばせつつ答えた。


「みんなが幸せそうで、おじさんは嬉しくて泣いているんだよ」


 子供のいないジュリアーノにとって、今のベアトリーチェと子どもたちが見せる仲睦まじい姿は、歳の離れた我が子たちと明るい食卓を囲んでいる気分であった。


 見ているだけで心が温まる。


 政務に忙殺され、家庭というものをあまり感じられずに育った彼にとって、それは至福の光景に思えた。


執政官コンスレ殿、訪問者です」


 そんな時に響いた執事の言葉。ジュリアーノはすぐに仕事人の顔となり、妻から渡された手帳を開いた。


「今日、この時間に誰かと会う予定はないな。相手の名は?」


「ルッチア領主のチェーザレ様です」


 その名を聞くとジュリアーノは眉をひそめた。訪問者が何か良からぬ情報を持ち寄ってきたのではないか、と心配になったからである。


「分かった。今すぐ応対の準備を――」


「いや、その必要はねえぜ。俺は目の前にいるんだからよ」


 訪問者はとっくに姿を見せていた。


 特徴的な容貌を、彼に最も近い席に座っていたベアトリーチェに晒しながら。


「隻眼……?」


 右目に黒の眼帯を付けた、見るからに武人と思われる男。彼の突然の訪問は、一体何を意味するのであろうか。

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