私を助けてくれたのは……

 公爵夫人と悪魔の如き傭兵隊長。


 なぜ、神は二人を出合わせたのであろうか。


「口ほどにもないな。公爵夫人様」


 余裕綽々の構えで、剣を振り回すゲラルド。彼は鼻歌を交えながら、相対するベアトリーチェを見据えていた。


「なによ……。まだ、負けてません。戦えます!」


 対するベアトリーチェは、息はぜいぜいで手はふらふら。剣を持つ手には力が入らず、どうにか得物えものを持っているという有様であった。


馬上槍試合トーナメントとは全然違う……)


 厳格なルールの基で行われる馬上槍試合トーナメントでも死者や負傷者は出る。しかし、それはほんの一部に過ぎず、参加者はあくまで「スポーツ」として楽しむ形であった。


 だが、今の自分が身を置いている戦場はどうか。


 至る所で死体が転がっているのに目もくれず、兵士はルール無用で敵を倒そうとしている。全身から殺気をみなぎらせた彼らにあるのはただ一つ。迫りくる敵を倒すことだけ。


 一瞬の油断が文字通りの命取りとなる戦場というものを、王家出身のベアトリーチェはまざまざと思い知らされた。


「もらったあ!」


 黒衣団の雑兵が、下品に笑いつつベアトリーチェに迫って来る。それを難なくいなす公爵夫人。新たな剣の錆が一つ増えた。


 戦場は混沌としていた。ベアトリーチェは、目の前のゲラルドだけに集中するわけにもいかなかった。背後や左右にも気を配らなければ、彼の下衆な部下共が自分を目当てに走って来る。先ほど屠ったのが三人目であったが、たったそれだけでベアトリーチェは精魂は尽きはてつつあった。


(息が苦しい。くらくらする……)


 挫ける闘魂。折れかける戦意。両足は生まれたての小鹿のように震え、頭は通気性の悪い鉄兜のせいで眩暈めまいに苦しめられていた。


 そんな彼女に、ゲラルドは歩み寄る。


「ベアトリーチェさんよ、助かりたいか?」


 首を振るベアトリーチェ。屈してはならないとの思いが、どうにか彼女に剣を振るう力を与える。だが、斬撃はゲラルドには当たらない。


「諦めの悪いお人だ。気に入った!」


 ゲラルドは、ベアトリーチェの手から剣を叩き落とすと、体格差を利用して彼女に覆い被さった。さながら雄熊が雌羊めひつじを捕食するような形となる。


「離して!」


「嫌だね。あんたは俺のものだ。誰にも渡しはしない」


「そ、そうなるくらいならば死にます!」


「ほお、面白い。やって見せろよ。ほれ」


 そう言うと、ゲラルドは彼女を拘束する手を緩めて、自分の持つ短剣を手渡してみた。果たして自害できるのかと試すように。


(死ねない……だって……)


 あの人と結ばれたい。そんな気持ちが、ベアトリーチェに自死を思いとどまらせる。


(レオナルド……)


 彼を助けたい一心がベアトリーチェを奮い立たせる。彼女は手渡された短剣を、ゲラルドに向けて突き出す。


「ふん、やっぱりな」


 ゲラルドはかわすと、ベアトリーチェの両眼を無理矢理に大きくこじ開けた。


「あなたには、心から愛する男がいるみたいだな」


「ええ、そうです。私はレオナルドを愛しています!」


「そいつは素晴らしい。一途な愛ってやつだな。だが――」


 ゲラルドが「アモルの目」を発動。ベアトリーチェを鋭く見つめた。


「あなたは俺を愛する運命なんだ。レオナルドなんて男、忘れさせてやるよ」


 ベアトリーチェは抵抗しようにも、ゲラルドに首をがっちりと固定され、顔を動かせないでいた。このまま彼女はゲラルドを愛するよう強制される……はずであった。


 ガツンッ!!


 籠手を着けたベアトリーチェのパンチが、油断し切っていたゲラルドの兜に直撃した。衝撃で唇を切り、そこから血を流すゲラルド。そこに追い打ちに膝蹴りが入ると、彼は態勢を崩した。


「あなたのものにはならない!」


 すかさず、ベアトリーチェは彼の短剣で攻撃を仕掛けようとした。


 その時であった。風を切り裂く音が聞かれたのは。


 ドシュンッ!!


 クロスボウの矢が、ベアトリーチェの左胸に突き刺さった。


 何が起こったのか分からず戸惑うベアトリーチェ。やがて激痛を感じると、彼女は負傷したことをやっと悟る。


(誰……なの?)


 射手を探し当てようと目を凝らすベアトリーチェ。彼女は左手にあるエミリアの城壁の見張り台に注目する。


 そこに一人の女性が立っていた。


 それは市内で燃え盛る炎に負けない程にブロンドの髪を逆立てて、真っ赤な眼で自分を見据えるイザベラであった。


(あの人……許せない)


 ベアトリーチェの意識は薄らいでいく。無防備な彼女にゲラルドは近づき、己のものにしようとするが、


「そこ!」


 そこに青年の一団がどこからともなく現れると、ゲラルドたちに槍を投げつけた。数本が黒衣団の兵に命中する。部下の疲弊を見て取ったゲラルドは、


「市内に入れ! 完全制圧を優先しろ!」


と下知して、自らはエミリア市内に戻っていった。チェーザレの部隊など構わなかった。勝敗は決していたのだから。


 青年はベアトリーチェの元まで駆け寄ると、彼女を担ぎ上げて馬に乗せた。割れ物を扱うように、これ以上傷つかないように。


(レオ……ナルド……?)


 ベアトリーチェはそこで意識を失ってしまうのであった。

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