第七章 男たちの政争

生臭坊主、動く

 エミリア侯国、包囲の末に陥落する。


 知らせはいかづちごとき勢いで半島を駆け巡った。人々は黒衣団の所行に心から震え上がった。


 略奪、破壊、殺人の横行。


 悲鳴、泣き声、必死の抵抗。


 哀願、拒絶、吹きすさぶ破壊の暴風。


 戦争においては当たり前のことではあったが、黒衣団のそれは常軌を逸していた。特に教会への侵入及び聖遺物の強奪に聖職者と避難民の殺害は、娘の結婚式を終えて有頂天となっていた法皇マルティヌスに、


「教会に武力で押し入るのみならず、金目の物を根こそぎ奪う馬鹿者を、なぜ神はお創りになられたのだ!?」


と言わせるほどであった。


「私欲が僧服を着ている」と揶揄される生臭坊主でさえ、今回のエミリア劫略ごうりゃくは看過できなかった。


 教会は文字通りの「聖域」である。


 人々が避難してきた場合、王や諸侯は「教会には攻め入らない」という暗黙の了解があった。


 戦争はあくまで土地と栄誉の獲得を目的とする。ましてや自分たちも利用する教会。「攻撃すれば地獄行き」と信じている王や諸侯には禁忌を犯してまで「聖域」に押し入るメリットはない。


 だが、エミリアを攻めたのはならず者の集団、しかも金を行動基準とする男が指揮する連中である。彼らは取り決めなど知らず――ゲラルドは長年の傭兵生活で知ってはいたが、部下は下層民ばかりだから戦争のルールなど知る由もない――本能の赴くまま教会に侵入し乱暴狼藉を働いたのである。


 マルティヌス法皇は、黒衣団の雇用主、つまりはグロウディッツ皇帝フェデリコに書簡を送った。


『エミリアでの蛮行について、何か申し開きはあるか』


と書き添えて。返事はこうであった。


『確かに黒衣団の雇用主は私ですが、エミリア侯国はそもそも私の派閥に属する国。今回の惨劇は私としても痛恨の極みでありますが、全く予期できぬこと。法皇猊下げいかは私に責任があるとおっしゃりたいのでしょうが、原因は私ではなくあの無頼漢ぶらいかんにあり、私を責めるのは筋違いでございます」


 いやいや、雇用主にも責任があるだろう……と言いたくなるが、ここで罪を認めてしまうと本来の目的である戴冠たいかんへの道が完全に閉ざされることを恐れたフェデリコは、屁理屈をこねてでもゲラルドへの責任転嫁を試みたのである。


 無論、こんな言い訳が通用するはずもない。


「領主たちに書き送れ。皇帝の手先である黒衣団を討つべく、法皇は兵力の供出をお望みだとな!」


 法皇は、枢機卿すうきけいその他多数の教会関係者を総動員し、遂に戦争に介入する決意を固めた。彼の書簡はすぐに法皇国の領主たちの手元に届けられ、あとはその返事を待つばかり。しかし、


『神は戦争を望んではおりません』


『皇帝に冠を授けてはいかがでしょうか?』


『できません。猊下げいかにお渡しするを人々から搾り取るので精一杯ですので。徴兵などしたら暴動が起きかねません』


 返事は概ね以上の通りで、特に最後の返答が多かった。ここでいう「贈答品」とは即ち領主がちょろまかした税で購入する金銀の装飾品や絹製の衣服などを指す。


 つまり、領主たちは法皇へのおもねりに一生懸命であった。


 身から出たさびとはこのこと。


 法皇は頭を抱えた。教会への攻撃に対処しなければ自分に従っている聖職者たちもどう動くか分からなかったから。


「法皇は傭兵の横暴にさえ何もなさらない。『神は不正には罰を下せ』と仰せになられたのに」


などと言い出して自分を引きずり降ろそうとするかもしれない。悪い予感が法皇の頭を支配する。十年前のフロレンスに対する「正義の戦争」で手痛い敗北を喫しているうえ、先の革命も失敗に終わったと周知されつつあった今、法皇の権威は地に落ちつつあった。


(何か手は……。そうだ!)


 法皇は思い出した。少し前に、ロレニア王国の使節――ルイージ王への胡麻ごますりに余念がない三人が、今は領事館で歓待を受けていることを。


「奴らを利用するか。なあに、あの馬鹿な王のこと。娘を一時的に預けておけば、後は言うがままじゃろうて。ほっほ」


 マルティヌス法皇は早速、己の親族を使った外交戦に着手することとした。


 自分の娘の気持ちなどちっとも考えずに。

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