規律よりも優先されるもの

 フロレンスとルッチア両首脳の会談から数日。


 チェーザレを指揮官とした一行は、フロレンスから提供された兵も加えた二千の兵で東に急行。平坦な道を通りつつ、もうすぐ目的地のエミリア侯国が望める場所までやってきていた。


 その一行にはベアトリーチェの姿もあった。


 チェーザレに頭を下げてまで行った嘆願は実を結び、彼女はどうにか一行の一員となれたのである。もっとも、


『俺の指示には必ず従えよ。勝手な行動なんざ、俺は認めねえんだわ』


とチェーザレにきつく釘を刺されはしたが。


 また、ミディオラ公爵オッタヴィアーノが生きている可能性がある以上、本来ならば彼女の外出など認めてはならない立場のジュリアーノもからも、


『頼むから、無理はせずに生きて帰ってきてください』


とも忠告された。もちろんベアトリーチェは分かっている。自分のお願いがどれだけ彼に迷惑がかかることか。


(レオ……。無事だよね?)


 今のベアトリーチェを突き動かす原動力はと言えば、それは紛れもなくしばらく会えていないレオナルドであった。


 そう、彼女は「愛」に後押しされていた。


(女王様、どうか私に力をお与えください!)


 ベアトリーチェは出撃前に渡されたエヴァの持ち物、即ちマチルダ女王の甲冑を身を帯びていた。


『ごめんなさいね。こんな物しか渡せなくて』


 受け渡しの際にエヴァがそう語ったのは、おそらくそれがレプリカであるから、単なる気休めにしかならないことへのお詫びの意味があったのかもしれない。だがしかし、


『ありがとうございます、エヴァ様!』


 ベアトリーチェはそんなことなど気にせず、ただ自分のために甲冑を貸してくれたエヴァに精一杯の感謝をした。彼女の気遣いがとにかく嬉しかったのである。


(レオも助けて、ジュリアーノ様やエヴァ様、それに子どもたちのところに戻るんだ。絶対に!)


 マチルダ女王の甲冑を付けたベアトリーチェは意気揚々と馬にむちを打ちながら、遂にエミリア侯国が見下ろせる場所までやってきた。そこには先頭を走っていたチェーザレがおり、彼は眼下に広がるエミリア侯国の首都ラエミリアを見つめていた。


「チェーザレ様、どうしたので――」


 ベアトリーチェは彼の眼に暗いものを感じて、その訳を本人から聞き出そうとした。しかし、間もなくその意味を悟ることとなった。


 公爵夫人はチェーザレがじっと見つめている箇所に同じく視線を合わせた。彼女の目に焼き付いたのは……。


 市内に延焼する炎と、遥か遠くからでも耳に響いてくる人々の悲鳴、そして崩れゆく平穏。


「レオ!」


 ベアトリーチェは丘を降りてラエミリアへと馬を走らせようとする。彼女は軽いパニック症状を起こしていた。


 だが、指揮官のチェーザレはその動きに待ったをかける。


「勝手な行動はしないと宣言したはずだぜ。約束は守ってもらわねえとな」


「嫌! 嫌よ! レオがいるの! 行かせて!」


 果たして、この時のベアトリーチェの行動を誰が間違っていると断言できるであろうか。


 最愛の人の故郷が惨劇に見舞われ、現在進行形でそれが進展している。もしも彼がその場にいて、まだ生きているならば助け出してやりたい。


 この気持ちのどこか一点でも責められる者がいようか。


「駄目だ、行かせねえぞ。軍の規律を乱すつもりか!」


 指揮官の命令も今のベアトリーチェには届かない。


 彼女はチェーザレの制止を振り切ると、感情の赴くままに丘の斜面を駆け下り、そのままの勢いでラエミリアへと突き進んでいった。その背中を見つつ嘆息するチェーザレ。


「ああ、言わんこっちゃねえ! 余計なことしやがって!」


 だが、彼は愚痴ばかり言って無駄に時を浪費する男ではなかった。すぐさま背後の騎兵及び歩兵に指示を出す。


「半数は俺と一緒に丘を降りろ。残りは南のふもとにある都市サン・ペルジーノに向かい、俺の言う通りに作戦を実行しろ。いいな!」

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