革命の始まり

 牢に入れられて一日。


 ベアトリーチェは格子こうし窓から眼下で日々の生活をいとなむ人々に目をやる。


(少し前まで私もあそこにいたのに。今は罪人だなんて)


 子供たちと見た演劇、吟遊詩人と交わした詩の勝負、知恵比べのチェスや大学教授との哲学談義が公爵夫人の頭に思い出された。


 中でも彼女の心に強く残っていたのは子どもたち相手の授業であった。


 屈託のない笑顔。


 新しいことができるようになった時の喜び。


 感謝の言葉を伝える子供たちの姿。


 ベアトリーチェの心には新たな願いが沸き起こっていた。


 子供が欲しい。の子供が。


(レオ。私、一生ここから出られないかもしれない。でも……そんなの嫌!)


 石の床を力任せに叩くベアトリーチェ。それを扉の向こう側で見張る警備兵が目に留める。


「おい、なにしてやが――」


「ちょっといいかしら? 警備の方」


 警備兵がベアトリーチェを注意しようとしたその時。彼の横から女性の声がした。


「エヴァ様!? どうされたので?」


「夫には何も言わずに来ました。お願いです。ベアトリーチェさんを釈放してください」


「え? しかしですね、それには司法長官とジュリアーノ様の許可が」


 警備兵が釈放の手続きについて告げようとすると、エヴァはすかさず彼の腰に下げられている剣を抜き、それを彼の首筋に当てる。


「あなた方が誰に協力しているか、全てお見通しよ。私や主人は革命が失敗すると思っているわ。仮にあなた方との思い通りになったとしても、このお嬢さんには何の関係もない。この子を巻き込む意味はないの。だから釈放して!」


 エヴァにすごまれた警備兵がおとなしく牢の鍵を差し出す。それを受け取るとエヴァは鍵を使って牢の扉を開けた。


「早く!」


とベアトリーチェに手を差し伸べる。エヴァの手を取ろうとしたその時。


「こいつ!」


 警備兵が背中を見せた隙だらけのエヴァに襲いかかった。剣を奪われていた彼は予備の短剣で彼女を刺そうと駆けてくる。


「危ない!」


 ベアトリーチェはエヴァの手を握ると、咄嗟とっさの判断で彼女の前に躍り出た。そして、


「隙だらけよ!」


 向かってくる警備兵の攻撃をかわすと、彼の股間部分――警備兵の甲冑は下半身が防御されていない安物であった――に痛恨の一撃を食らわせた。


 声にならない叫びとともに彼の体は膝から崩れ落ちると、びくりと一つ震えたのを最後に動かなくなった。


「危なかった……」


「ごめんなさいね。危険な目に遭わせてしまって」


「さっきの話はどういう意味なんですか? 革命って」


「言葉の通りよ。もうすぐ市内で騒ぎが起こる。主人を排除するための」


 ベアトリーチェはますます訳が分からなくなった。どうしてジュリアーノが排除されねばならないのか。少なくとも彼が憎まれる謂われはないと思っていた。


 だが、つい先ほどまで自分が置かれた状況を考慮すると、それも少し違うような気がしてきた。


 自分の言い分も聞かず、あの人は私を投獄した。それまでの温厚さは微塵もなく、ただ何かに怯えているようで……。


「主人はあなたが利用されるのを恐れたの」


「利用って……私がロレニア王家の娘だからですか」


「違うわ。あなたが強くて心優しき女性だから。そう、かつてのマチルダ女王に」


「女王に?」


 その時である。


 フロレンスは突如として喧騒に包まれた。


 革命の首謀者三名――ベアトリーチェが観劇をしていた際に、陰で話し合っていた例の貴族、商人、聖職者――が中央地カテドラルの広場にある壇上に立つと、彼らの協力者が颯爽さっそうと集まって旗を振るった。それは四角の布に左が赤、右が白で染められた法皇国の国旗。


「これ以上は危険よ。急いで!」


 エヴァがベアトリーチェの手を握り、彼女に塔からの脱出を勧める。段々と騒がしくなる市内の様子が格子窓からも見て取れた。


 ベアトリーチェは急いで牢から飛び出るが、


「ちょっと待ってください」


と言って、伸びたままの警備兵の甲冑を剥いで自分の身に帯びた。エヴァを守るために。


「ベアトリーチェさん!」


 エヴァの急かす声を受け、大急ぎで螺旋らせん階段を駆け下りるベアトリーチェ。


 一階まで降りた二人は中央広場に面した扉から外に出た。するとそこには……。

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