54.ある日のリン(5)
ガイに肩を抱かれながらリンは酒を一杯もらう。
肩を抱くの手にいやらしさは微塵もなくて、嫌悪はない。何となくだが、ガイはリンが女だと知ったらきっと指一本触れたりはしないのだろう。
「これ飲んだら、帰るからな」
「つれねえなあ、もう少し付き合えよ。お、そういえば、パン屋の嬢ちゃんが、ぜひまた店に来てくれって言ってたぜ、お礼のパン用意するってよ」
「それは嬉しいな」
「あの嬢ちゃん、お前に惚れてるな」
ガイがしたり顔で断言する。
「そうか?違うと思うぞ」
リンは、パン屋の娘シンディは元彼マイクに気持ちを残していると思う。『馬鹿、馬鹿マイク』なんて心底嫌になった男に言ったりしない。
「っかあー、リン、お前は女心が分からねえ奴だなあ」
「ガイさんよりは分かってるはずだが」
一応、女であるのだし、そこは勝っておきたい。ましてやガイには絶対に勝ちたい。
「何だとお、モテるからって、図に乗るなよ。お前ぜってーモテるだろ、美形だもんなあ、そういう顔が女は好きなんだ、若いのに女に不自由なんてしてねえんだろ」
「確かに女に不自由はしてないが、今は唯一を手に入れたからモテる意味はない」
リンとしては女よりは男にモテたいが、女の方にモテていると思う。そして今はもう、赤茶色の獅子を手に入れたので、他はどうでもいい。
「くうー、言うなあ。おれぁ、お前みたいな生意気な若い奴は大好きだ。よし!お前、騎士団に入れ、リン!」
ばんっと背中がはたかれる。
「は?え?騎士団?」
リンは慌てた。
今さら入りようがない、もう入っているのだ。しかも団長だ。
「俺がうちの団長に推薦してやるから、うちの準騎士で入れ。もうすぐ団長も来るから紹介してやる」
「それはちょっとだな、」
困る。
ちょっとというか、大分困る。
第三団長ともなると、リンとは団長会議で顔を合わせて話もしていて、完全に顔見知りだ。絶対にリンがリンだとバレてしまう。
リンは一刻も早く帰ろうと思い立ち上がろうとするが、そうするとガイの手に力が入った。
「怖がらなくてもだあいじょうぶだ、俺は出世は全然だが、サンズの騎士歴だけは長いからな、団長にも顔がきくぜえ」
「ガイさん、騎士は遠慮したくてだな」
「贅沢言うな、今晩の飯にも困る生活なんだろ?騎士になれリン、腕っぷしがあるなら剣も何とかなる」
「その評価はありがたいが……」
酔っぱらったガイの拘束を解くのは簡単だが、怪我をさせる訳にもいかない。リンはここは穏便に宥めてとにかく帰ることにする。
予想外に楽しい夜だった、この夜は大切な思い出にして時々一人で思い出し笑いでもしよう。
リンは立ち上がろうとするのをやめて、まずは大人しく酒を飲んだ。
肩を抱き込むガイの手が緩んだらさっと帰るつもりだったのだが、もちろんそれは叶わぬ夢だった。
ガランガランと牡鹿亭の入り口の扉が開く。
「あっ、ちょうどよかった、団長おおー!!」
店内に鳴り響くだみ声。
どうやら第三団長が到着してしまったようだ。
リンは思わず小さくなって顔を伏せた。
「団長!騎士見習いに推薦したい奴がいるんですよ!」
リンにとっては悪いことに、ガイがリンを引っ張ってきたこの席は入り口に近く、第三団長は簡単にリン達の前にやってきた。
「推薦?ガイさん、その少年をか?」
宴会の席での推薦に戸惑っているのが分かる第三団長リカルドの声。
団長に“さん”付けされているガイは騎士団では独特の立ち位置みたいだ。おじさんマスコットみたいな感じかもしれない。
こうなっては逃げも隠れも出来ない。リンがそろりと顔を上げると、見慣れた第三団長リカルドの顔があり、その穏やかそうな糸目と目が合った。
(うわあ、これ、逃げ切れるか?絶対私だと分かるよなあ)
案の定、目があったリカルドはびっくりしている。
そしてリンは気づく。
リカルドの横に、リカルドよりももっと見慣れた赤茶色の髪の男が居る事に。
(げっ)
顔を覆いたくなるリン。
リカルドの隣ではイーサンがぽかんとしてリンを見ていた。
「え?あれ?………………え?」
リカルドがリンをまじまじと見て、イーサンを見る。そしてイーサンもぽかんとしているのを見て、再びリンを見た。
二人の団長の唖然とした様子に周囲が少し静かになる。
「あー、えーと、ガイさん。その人、いや、その方は一体?」
困惑したリカルドが聞く。
「ぐはは、団長、この坊主が夕方の捕り物の主役です。チンピラ四人をたった一人で身一つでのして、俺らが通報で駆けつけた時には全部終わってたんですよ。無鉄砲だが気骨もあるし腕もある。是非うちに入れましょう」
上機嫌に全てをぶちまけるガイ。
ああ終わった、とリンは覚悟した。
「…………ほう」
イーサンの目が、ガイの説明を聞いて冷たく細められる。
(ひいっ)
縮こまるリン。
「つまり」
ぎしり、と床をきしませてイーサンがリンに近付く。若干の殺気まで感じられる。
イーサンの殺気に同じテーブルの騎士達がしんとなった。一瞬ですっかり酒が冷めてしまった者もいて「えっ、ガイさんが肩抱いてるのって……」と顔を青くしている。
リンの側まで来たイーサンは低い声で聞いてきた。
「お前は、非番の日に、丸腰で、単独で、もめ事に首をつっこんだんだな?」
「あー、イーサン、これには、事情がだな」
リンの背中を冷や汗が伝った。
「リン、お前、ランカスター団長と知り合いなのか?」
ガイがのんきに聞いてくる。こんなに恐い赤獅子を前にのんきで羨ましい。
「ガイさん、とりあえずそいつは俺のだ。肩の手を離してくれ」
イーサンが殺気をまとったままガイに言い、さすがに何かを感じ取ったガイは、ぱっとリンから手を離した。
「リン、帰るぞ。言い訳は家で聞く」
イーサンはリンの襟首を掴んで立たせた。
「ぐえ、イーサン、首が絞まる」
「帰るぞ」
「分かった」
ずるずると引っ張られるリン。
引っ張られながら、リンはやっとおろおろし出したガイに謝っておく。
「すまない、ガイさん。言い出せなかったんだが、私は既に騎士なんだ」
「あと、私は27才の女性だ」
「リカルド団長、また明日」
リカルドが苦笑しながら見送ってくれた。
***
その夜、ランカスター夫妻の寝室にて、リンの泣き言が響く。
「イーサン、悪かった、もう勘弁してくれ」
「いや、まだまだだ、リン」
「まだまだって、夜が明けるぞ」
「望むところだ」
「私は昨夜も遅かったんだ、もうへとへとだ」
「俺も昨夜は遅かった、条件は一緒だな」
ここでイーサンが一呼吸置く。
たっぷりためを作って、最初からだ。
「いいか、リン、お前は非番で丸腰で単独だったんだ」
「わかってるよおぉ」
二人は今、寝室の書き物机に向かい合って座り、リンが延々とイーサンの説教を受けている。
「イーサン、それ、もう何度も聞いた」
「お前、前も舞踏会で同じような事してるんだぞ、それも分かってるか?」
「分かってるし、反省している」
「分かってない、反省してないから言ってるんだ、いいか、」
「イーサン、小言は飽きた。なあ、ここは展開的にはベッドでのエロくて甘いお仕置きじゃないのか?そうしよう?その方が私も楽しめる」
夫の小言に疲れ果てて、変な事を口走るリン。
イーサンの温度が下がった。
「……貴様、反省文でも書くか?」
「やだあ」
「いいか、リン、たとえ相手が格下だろうが、丸腰で単独で、」
「わかってる」
「分かってないから言ってるんだ、大体、そのまま宴会に紛れてるってあれ何だ、どういうつもりだ」
「うわあ、話が反れてる。せめて戻ってくれー」
ーーーー。
ーーーー。
そうして、昨夜の甘い夜更かしとは違う趣の夜更かしの夜は更けた。
翌日、寝不足気味のリンに団員達が「団長、寝不足ですか?お熱いですねえ」と下世話に絡んできて、リンは彼らを思い切り睨み付ける事になる。
また、真っ青を通り越して土気色の顔をしたガイが団長室を訪れるなり土下座してきて、大慌てで抱き起こしたりもした。
その女騎士は敵国の将軍に忠誠を誓う ユタニ @yutani21
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