42.お茶の誘い ~ルイーゼ編~

宰相から、王妃派のとある家門のご令嬢と、サンズの騎士との間で婚約が整いそうな件について尋ねられて、ルイーゼはチェスの盤のポーンへと伸ばしていた手を止めた。


ルーナが敗戦して四ヶ月。

何とか新体制も形にはなり、頻発していた自治領との小競り合いも、全て小競り合いの範疇のままで決着が着きそうだ。


公務は一時期に比べると随分と落ち着き、こうして、宰相のカザネスと彼の執務室でチェスをする時間も取れるようになってきた。


「整うまでは何ともお答えしかねます」

「騎士の方のお家は、サンズで伝統のある名家らしいですね」

「私なんかよりもよっぽど、宰相の方がお詳しいようですね」

ルイーゼは盤の上で迷う手を一旦戻した。


整いそうな婚約は名家同士のもので、結ばれれば、令嬢側の家門としてはサンズとの強い結びつきを得る事になる。

サンズとの結びつきは今後のルーナでは心強いものだ、構成する家門が力を持つ事は王妃派としては歓迎するべきことで、ルイーゼはこの話に横やりは入れられたくなかった。


「そんなに警戒しなくても、お邪魔はしませんよ。あなたの王妃派と私の旧国王派、どちらも弱い勢力です。潰しあっても不毛です」

「件のご令嬢と騎士殿は互いに想い合っていると聞いてます。若い恋人達が悲しむような事になるのを心配しているんですよ」


「あなたがそれを言ってもねえ」

くっくっ、とカザネスが笑う。


「確かに、私の結婚は全く違うものです。前回も、そして今回も」

ルイーゼは再びポーンに手を伸ばし、迷ってからポーンは止めて、ビショップを進めた。


「今回は前よりマシでしょう」

宰相は迷いなくポーンを進める。


「比べるのも失礼です」

「あなたも中々言いますねえ」

カザネスの笑みが深まる。


「最近は随分と顔色もよろしいですね、午後のお茶の時間を取られる事も多いとか」

「侍女達が気を使って用意してくれてます」


「以前はそんなお暇もなかったでしょう」

「第三王子殿下が公務を分担してくださってますので、もちろん宰相、あなたも」


「私は王子殿下より言われた事をやっているだけですよ。あの方は私の好きそうな仕事を振ってくる」

「あら、上手く使われてしまっておいでですね」

ルイーゼが微笑むと、宰相もにっこりした。


「とりあえず今は。育っていただかないと対戦しても面白くありませんしね。さて、プロモーションですよ」


「え?あっ」

ルイーゼがチェス盤を見ると、宰相のポーンが最奥まで進んでいた。こうなるとポーンはクイーン、ルーク、ビショップ、ナイトの内、好きな駒になれる。


宰相は予備の駒からクイーンを取り出して、ポーンと取り替えた。

「無論、クイーンでしょうね。強い駒は好きです」


ルイーゼは悔しい思いで盤を眺める。

元々押されていたのだが、こうなると勝ち目はなさそうだ。


引き分けを狙おうかしら、そう思っていると侍女がライアンの来訪を告げに来た。


「よい所なんですけどねえ、仕方ありません、お通ししてください」

カザネスが言い、ライアンが通される。

ライアンはカザネスの部屋にいるルイーゼに驚いたようだった。


「……お二人はチェスをされる仲なのですね」

「私の息抜きに、妃殿下に付き合っていただくのですよ。ご用事でしたか?」

「宰相閣下に確認しておきたい事があるんです」

「分かりました。妃殿下、今日はお開きです。私としては、せっかく幸運のクイーンを手にいれたのに至極残念ですがね」

「ふふ、私はラッキーでした。それではこれで、宰相閣下。王子殿下も、失礼いたします」


ルイーゼはにっこりと立ち上がり、簡単な礼をして部屋を出る。ライアンの横を通る時に強い視線を感じた気がした。





***


そんな事があった数日後、ルイーゼは朝一番でライアンからサロンでの午後のお茶にと誘われた。


このお誘いにルイーゼの侍女達は色めき立つ。

「妃殿下、王子からのお誘いですよ!」

「きゃあ、何を着ていきますか?」

「アクセサリーはどうしますか?」

「髪型はどうされます?下ろしませんか?下ろしましょうよ、妃殿下」

「お化粧!お化粧もしっかりしましょう!」


シルビアまでもが「お昼に一度、湯浴みなさいますか?」と浮き足だっている。

最古参のこの侍女は、当初はライアンに否定的だったのに最近はすっかりご贔屓だ。

さすが正統派王子様だわ、とルイーゼは感心している。



「皆さん」

きゃあきゃあ、とはしゃぐ侍女達をルイーゼはいつもの落ち着きで窘めた。


「おそらくですが、非公式でのお願いや公務の話があるのだと思いますよ。あちらは仕事の延長です。こちらもそれらしい服で参ります。アクセサリーはいつもの真珠で、髪型もいつもの髪型です。湯浴みはしません」


シルビアを筆頭に、一斉にしょんぼりする侍女達。

「でも、始めてのお茶のお誘いですよ」

「そうですよ、仕事の話と決まった訳では」

「妃殿下ぁ」


うーん、とルイーゼは悩む。

ルイーゼの侍女は仕えが長い者が多く、今まで華やいだ事がほとんどなかったルイーゼのせいで、こういった腕を振るう機会が全然なかった者達だ。

せっかく盛り上がっていたのに、全ていつも通りは可哀相な気もする。


「では、久しぶりにドレスは淡い色合いのものにしてください。アクセサリーも邪魔にならないなら、小振りの華やかなもので構いません。髪型は公務があるのでいつも通りです。湯浴みはしません」

ルイーゼの妥協に、「やった」と声が上がる。


いつもより断然うきうきした侍女達によって、ルイーゼは水色のドレスを纏い、揺れるタイプの華奢なイヤリングを付けることになった。

鏡に映る自分はいつもより頼りなげに感じてしまう。

ルイーゼは少し落ち着かない気分で午前中の公務をこなした。


そうして午後、約束の時間にルイーゼはサロンへと出向いた。





***


サロンに現れたルイーゼを見て、先に席についていたライアンは嬉しそうに微笑んだ。

そしてすぐに立ち上がると、ルイーゼの側まできて、エスコートの腕を差し出す。


嬉しそうなその様子にもだったが、素早く自然なエスコートにルイーゼは戸惑った。


ルイーゼは前の結婚の12年間では、前夫にエスコートを無視され、見かねた近くの近衛騎士や王妃派の紳士によって労うようにエスコートされる、というのが日常だったのだ。


こうした、初々しく眩しいエスコートは久しぶりだ。


もしかして、久しぶりじゃなくて、初めてじゃないかしら?

ルイーゼの心臓が、とくとく、と音を立てて、居心地が悪い。


「王妃殿下?」

反応の薄いルイーゼにライアンが声をかける。

見上げると、青灰色の瞳と目があった。優しく穏やかな目。


背が高いのね。

見上げてからルイーゼはそう思った。


ライアンは年下で少し童顔なので、ルイーゼの中では、可愛い若い王子様のイメージなのだが、彼は23才の大人の男だ。

ルイーゼよりも、頭1つ分くらいは背も高い。


私ったら、何を感心してるのかしら。当たり前のことだわ。

自分に呆れながらも、心臓がまた、とくとくする。


ルイーゼはあまりの居心地の悪さに、思わず「こういうお気遣いは不要ですよ」と言いそうになってぐっと堪えた。


周囲には侍女も近衛騎士もいる。

ライアンとしても、未来の妻となるルイーゼに優しくに接する様子を見せるのは必要な事なのだ。

特に侍女達は、シルビアを始め、皆にこにこと満足そうにしている。

前国王に冷遇されていた不運な王妃、そんな自分に優しくするのは、好感度が高い。


だからこれはあくまでもパフォーマンスなのだ。

パフォーマンスにしては、ライアンが嬉しそうで、それにはたじろいでしまうが。


「何でもありません」

ルイーゼは心臓の、とくとく、を押さえて、手をライアンの腕に添えた。


ルイーゼを席につかせると、ライアンも向かいの自分の席へと戻る。


「本日は、お誘いありがとうございます」

「いえ、来てくださって嬉しいです。お好きなものが分からなくて、一通りで揃えたのですが、苦手なものがあれば遠慮なく言ってください」

ライアンが申し訳なさそうにそう言った。


「苦手はありませんので、大丈夫です」

「では、お好きなものを教えてください」

「え?あ、はい」

そんな様子で、午後のお茶は進んだ。


終始雑談のままで、ルイーゼが予想していたような非公式のお願いや相談はなかった。

強いていうなら、宰相についての質問が多かったような気もするので、宰相の為人を聞きたかったのかもしれない。


ライアンは話も上手く、最初に感じた居心地の悪さはすぐに気にならなくなり、ルイーゼはいつもよりたくさん笑った。




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