36.城の陥落 ~ルイーゼ編~

国王が逃げた事を知り、宰相に城に残る事を宣言してからのルイーゼはやはり忙しかった。


城の警備に残っていた第一騎士団は王が連れていってしまい、警備は手薄だ。

ルイーゼは数は減っているが、城に残る文官や侍女、騎士に下働きの者を集めて、国王が逃げた事を伝えた。


サンズの行軍が早まっている事も伝え、城は戦場となる可能性もあるから、身を寄せれる場所があるなら城から出るように伝える。

それでも残ると言ってくれる者達に、感謝を伝え、彼らを離宮に纏めた、ここなら少ない騎士達でも何とか警備のめどは立つ。


城の私室に残されていたダニエル王子も離宮に保護した。

10才の王子の顔色は悪く、目も腫れていたが、労っている余裕はなかったし、労れるほど親密でもない。ルイーゼは一番若く優しい侍女にダニエルを託した。



この後、城の中はあっという間に荒れた。

元々、手入れは疎かになっていたが、出ていった使用人達の中には退職金代わりに金になりそうなものを盗っていった者がいたようだ。

加えて、夜にかなり組織だった泥棒も入っている。城門は閉ざしているし、混乱を避けるために王が第一騎士団と逃げた事は口止めしたのであるが、警備が手薄だという事がバレている。

離宮に引っ込んでいてよかった、とルイーゼは胸を撫で下ろした。


そうこうする内に、サンズ軍が明日にでも都に入るとの報せがもたらされる。

行軍中の彼らは礼儀正しく、乱暴や略奪はしていないと聞いているが、城でもそうかは分からない。

ルイーゼは残ってくれている者達に今日中に城を出て、落ち着くまでは戻らないように厳命する。

皆、神妙な面持ちで頷いて去ってくれたが、数人の騎士と侍女は頑なに首を縦には振らず、ルイーゼと運命を共にすると言って聞かなかった。


残ると言って動かない者達にどうにか説得を試みている時だった。サンズ軍が王都に入ったという知らせが入ってくる。


そんな筈はない、1日早いじゃない?!


驚きながらも説得を諦めるしかなくなり、ルイーゼは王冠と王笏を用意して宰相と玉座に向かう。

残るといっていた騎士と侍女はもちろん付いてきて、その1人でもある、侯爵家時代からルイーゼに付いている侍女のシルビアが動転して「私が妃殿下の身代わりになります」とまで言い出したので、自分の心の準備よりもそれを宥める方が大変だった。


何とかシルビアを宥めた所で、多数の足音が近づいてくる。


「到着されるようですね」

カザネス宰相が落ち着きはらって言い、ルイーゼは膝を追って頭を垂れた。


ばんっと扉が開く音がする。

たくさんのサンズの騎士が玉座に入ってきたのが分かった。

さすがにルイーゼも恐怖で身がすくむ。


報告によると、ルーナ国内に入ったサンズ軍は略奪行為は一切せず、むしろ食糧の供給まで行っているらしい。捕虜達も丁重に扱われていると聞く。

なので、今ここでルイーゼに危害を及ぼすとは思えないが、王妃である自分に同じ様にする保証はない。


ここで死ぬかもしれないのね。

問答無用で首がとぶ可能性はある。ルイーゼはふう、と息を吐いて覚悟を決めた。


覚悟を決めて、ここでふと、隣の宰相はなぜここに自分と並んでいるのだろう、という疑問が過る。

彼こそ、家門へ引っ込みサンズの出方を見極めた上で自分を売り込めばよかったのではないだろうか?


こうして敵軍を迎えるのはルイーゼだけでもよかったはずだ。サンズがこちらを取り込むつもりなら、出迎えは心象がいいだろうが、相手が攻撃的だった場合、宰相も殺される可能性は充分ある。


まさか、ルイーゼが残ると言ったから一緒に残ってくれたのだろうか?


横目で宰相を伺うと、その口元が楽しそうに綻んでいた。


私のために残った、という考えは違うわね。

ルイーゼはすぐに、先ほどの思い付きを打ち消した。

この場面すら、宰相にはゲームの一種のようだ。

相変わらず、何を考えているのか分からない。


「あなた方は?」

思案していたルイーゼの前に一人の騎士が立ち、頭上からそう問いかけられた。

低く唸るような声で、苛立ちと敵意が感じられる。


「私はルーナ国王妃、ルイーゼ・ルーナと申します。この者は宰相のキース・カザネス。国王は国を捨てました。私達はサンズに屈するつもりです。後ろの者達は最後まで忠義を尽くそうとしてくれた者達です」

ルイーゼの声はちゃんと落ち着いていた。

自分の声色にほっとする。


「そうか、俺はサンズの騎士イーサン・ランカスターだ。今回の戦では将軍を拝命しているが、王族と宰相閣下が頭を下げていい者ではない。顔をあげてくれ」

騎士の声は変わらず苛立っているが、あからさまな敵意がなくなった。


ルイーゼは立ち上がって、イーサン・ランカスターと名乗った騎士に向き合う。

赤茶色の長い髪が獅子の鬣のようだ。

確か、戦場の赤獅子と言われていたと思う。

赤獅子は、かなり大柄で威圧的だが、その榛色の目は理知的な様子だった。


「間違いないか?」

そこでイーサンが、その隣の金髪の騎士へと尋ねる。

「間違いない」

金髪の騎士がそう答え、そちらに目を向けたルイーゼは金髪の騎士が見知った男だと気付いた。


「……サーラ団長」

サンズの紺色の騎士服に身を包んでいるのは、二ヶ月前に国を見限って降伏した近衛騎士団長のファビウス・サーラだ。


ルイーゼに呼ばれたファビウスはすぐに膝を追って、ルイーゼの前に跪いた。

「ご無事でなによりです、王妃殿下。このような格好で挨拶することをお許しください」

いつもの甘い笑顔で近衛騎士団長はにっこりする。


ファビウスに微笑まれて、ルイーゼは強ばっていた体から少し力が抜けた。

どうやら今すぐに殺されるような事はないらしい。


「あなたこそ、よくご無事で。都での戦が避けられたのは、あなたとネザーランド団長の決断のお陰です。ネザーランド団長は息災でしょうか?」

国王から忌々しげに、戦の女神カリン・ネザーランドとファビウスがルーナを捨てたのだと、ルイーゼは聞かされている。

それを聞いた時、ルイーゼはよかったと思ったし、2人が国の為を思って降伏したのだと分かっていた。なので、こうして無事な姿を見れたのは喜ばしい。


ルイーゼがリンについても聞くと、ファビウスの顔が険しくなった。


「ご存知ないか、では、やはり地下牢だな」

ファビウスがさっと立ち上がる。


「地下牢?」

「彼女はおそらく地下牢に居ます」

「ネザーランド団長がですか?」

そんなまさか、と思う。

さっとルイーゼの顔から血の気が引いた。


でもそのまさか、だ。

夫である国王が地下牢に入れたに違いなかった。

そして国王はルイーゼがリンを気にかけている事を知っていたのだ。だからあえて地下牢に入れた事を明かさなかったのだろう。


2つ年下の、気高く美しく、そして強い女騎士は年下ながらルイーゼの密かな憧れでもあった。

侍女のシルビアが彼女のファンだったのでその影響もあっただろうが、城の中で、しかも騎士という男社会の中で強く光り輝く同性の存在は、居てくれるだけで心強く、拠り所にもなっていた。


そのリンが地下牢に居る。

ルイーゼの心臓がどくどくと音をたてる。


地下牢は、国王が逃げてからは正常に機能していなかった筈だ。


しまった、まず気にかけるべき場所だった。

王が逃げてからは一週間ほどだろうか?水や食事の供給は止まっていただろう。

最悪の可能性がルイーゼの頭を過る。


それは、目の前のファビウスも同じなようだ。

そして、不思議な事に赤茶色の騎士の様子も同じに感じた。


「まずはリンを探そう」

「ああ。王妃殿下、宰相閣下、申し訳ないが一旦、あなた達を拘束する。どちらにしろ俺にはあなた方の裁量権はない。明日にはサンズの第三王子殿下が到着するので、それまで大人しくしていてほしい」

イーサンはそう言うと、傍らの長身の女騎士に何やら指図をし出すが、その黒髪の女騎士は頭を横に振って、別の者を指名した。


イーサンは女騎士の指名した者に指示を終えると、身を翻す。


「シルビア」

ルイーゼは忠義の侍女の名を呼んだ。


「はい」

「ランカスター将軍を追って、その指示に従いなさい。もしネザーランド団長が生きていれば、食事やケアが必要なはずです、使える部屋を整えてあなたがお世話を」

「はい」

シルビアが短く答えて、イーサンの後を追う。


ルイーゼはそれを見届けると、サンズの騎士に従って監視付きで客間の一室へと入った。





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