22.貸し
雨が止み、リンとイーサンが王都の外れの小屋から戻った所で、リンはルミナス総帥から呼ばれた。
リンはすぐに総帥の執務室へと向かった。
「ネザーランド団長には、余計な心労をお掛けしたようで、すみません」
リンの前では今、ルーナ騎士団のトップが頭を下げている。
「うわっ、総帥、分かってますか?あなた、総帥ですよ?頭を上げてください」
リンは慌ててその小柄な肩に手をかけて、ルミナス総帥の上体を起こす。こうして向かい合うとリンと総帥の背丈はほぼ同じくらいだ。
「それに心労って何ですか?心労って」
「惚けないで下さい。私だって、いちおう総帥です。これでも歴戦の剣捌きを見てきたんです。見た目に反して動体視力もいいんです。決勝の引き分けの件です」
「…………あー、うーん」
眼鏡の総帥にも、決勝の八百長がバレていたようだ。リンは言葉を濁す。
「やはり、そうなんですね。すみません、配慮が足りませんでした。自分の欲望のままに対戦を組んでしまいました」
眼鏡総帥がしょんぼりと肩を落とした。
「いえ、対戦自体はとても楽しかったし、平気です」
「ええ、それはもう素晴らしい試合でした。それは断言できます。」
ぐっと、拳を握りしめるルミナス総帥。
「ありがとうございます」
「……最後は、私の目からだと、示し会わせていたようには思えませんでしたが、ランカスター団長とは和解出来てますか?試合直後はランカスター団長は随分と表情が固かったですよね」
「ついさっき、気付けずにすまない、と謝られてしまいました」
「そうでしたか。そうですね、あの方なら、そうなりますね」
「だから、私は平気です」
晴れ晴れとした顔でリンは笑う。
イーサンを怒らせて、傷付けたのではないか、もう手合わせもしてもらえないんじゃないか、と考えてもいたので、その憂いが無くなって嬉しい。
ルミナス総帥にも、こうして気にしてもらえて、更に気分は晴れやかだ。
「本当にすみません。次回は気を付けます」
「いえ、いいんです。次回は気にしなくてもよくなるかもしれませんし」
次回があるとしたら、1年後くらいだろうか。
1年で、サンズとか、ルーナとか気にしなくなっているだろうか。
「え?」
「互いの国とか気にしてないかもしれません。そうなってればいいなあ、とも思います」
「……なるほど、そうですね」
「はい」
ほっこりと2人で笑い合う。
和やかな雰囲気が部屋を包み、やれやれよかった、とリンが部屋を辞そうと思っていると、ルミナス総帥はピタリと笑顔を引っ込めた。
そして顔を引き締めて言う。
「ですが、今回の事は、完全に私の配慮不足です。どう償おうか考えたのですが、私があなたに貸しが1つあると思っていてください」
「え?貸しですか?」
「はい、返して欲しい時に言ってください。これでも総帥です。出来るだけの事をしましょう」
先ほどから、総帥の前に“いちおう”とか“これでも”と枕詞が付いてくるルミナス総帥。
“歴とした”総帥なんだけどなあ、とリンは思う。
「いやいや、いいです。総帥に貸しなんて、大袈裟です」
「いえ、私の気が済みません。貸しにしておいてください」
「ええぇ」
「いいですね」
小柄眼鏡から有無を言わさない圧が放たれる。
さすがルーナ騎士団総帥、なかなかの圧だ。
「では、貸しで」
「はい、ちゃんと返してもらいに来てくださいね」
「……頑張ります」
騎士団総帥に貸しがあってもなあ、飯奢ってくださいとかダメだよなあ、ううむ。
悩みながらリンは今度こそ総帥の部屋を辞した。
***
リンが騎士団トップの総帥に貸しを作ってしまった剣術大会から1週間経ち、騎士団は完全に日常に戻っている。
良い変化が1つ。
大会前よりすっかり無くなっていた、サンズとルーナの小競り合いは、ぱったりと無くなったままだ。
新しい騎士服の納品も、2ヶ月後のめどがたったらしい。
現在、ルーナの騎士服の色はアイボリーで、サンズのは紺なのだが、新しい騎士服はそれらを混ぜ合わせた落ち着いた青色になる予定だ。
その内、サンズの騎士、とか、ルーナの騎士とか、分けて呼ぶ事も無くなればいいなあ、とリンは思っている。
そんなある日の夕暮れ時。
「参った」
汗だくで肩で荒く息をしながら、額に木刀を突き付けられてリンは言った。
日も落ちかけている騎士団の演習場。
自分に木刀を突き付けている男の榛色の目が緩む。
「はあ、やっと勝った」
リンほどではないが、そう呟くイーサンの息も荒い。
「今のは完敗だった、こんなにしっかり負けたのは久しぶりだ、ふあー、疲れたあ」
リンは地面に尻を着いて、木刀を横に置いた。
「3本勝負の3本目で勝ってもな。前半の2本はリンが取ったから、結局お前の勝ちだ」
汗を拭いながら、不満気な赤獅子だ。
「3本目で勝ったので十分だろう。ファビウス相手なら、10本やっても全て私が勝つぞ」
地獄の10本勝負、とファビウスが言っているやつで、メンタルもフィジカルもボロボロになった可哀想なファビウスができ上がる。
因みに、リンの10本勝負に最後まで付き合える者は稀なので、10本終わった時点で立っているファビウスはそれだけで尊敬されている。
「10本はしんどくないか?」
「しんどいからやるんだ。ふうー、この感じだと、イーサンと10本やれば、最終的にはお前が勝負を取るんだろうな。私にはイーサンほどのスタミナがないようだ」
これは、新たな発見だなと思う。
スタミナなら今からでも獲得できそうだ、自分にはまだ伸び代がある。
「嬉しそうだな」
「うん、暇な時に、またこうして手合わせ願いたい」
にっこりして座ったまま手を差し出すと、イーサンはふいっと目を逸らした後で、握手に応じてくれた。
手に土でも付いていたのだろうか。
握手の後で、自分の手を観察してみたが、汚れてはいない。まあいいや。
「そういえば、第一団は最近忙しそうだよな」
「ああ、違法な薬物取引の捜査の大詰めだ」
「多幸感と筋肉の弛緩を引き起こす薬だったか?」
イーサンの第一騎士団が追っている違法な薬物は、最近、集団で使用している例が幾つか見つかっている薬物だ。
密閉された部屋で香のように用いて、天国を味わうらしいのだが、依存性と中毒性があり、もちろん使用はお薦めしない代物だ。
売買組織は、ターゲットを中毒に仕立てあげてから、高い値で薬を売り付けて儲けている。
「中立派の貴族の大物が絡んでそうなんだが、ここの尻尾が中々掴めない。今回は小物だけ摘発して、今の流通だけでも止めようか悩んでいる」
「協力が必要なら言ってくれ、こういう時に女だと便利だぞ、潜入捜査もしやすい」
「リンでは目立つから無理だろう、誰もが知ってる女神だ」
イーサンが呆れる。
「カツラを被って、眼鏡をかければ結構いける」
「いけるか?」
「そもそも、私のイメージは騎士服だからな。何なら、スカート履くだけでもバレない」
「いや、無理だろう」
「お仕着せ着て、ボンネット付けてなら気付かれなかったぞ」
過去に一度、第二団の女騎士達で、怪しい船上パーティーに貴族令嬢とそのお付きに扮して忍び込んだことがある。
リンは“お付きの侍女その1”だった。
「止めてくれ、想像させないでくれ」
真顔で制されてしまった。
「ゲテモノ扱いするなよ、自分で言うのも何だが、結構可愛かったと」
「分かった、分かったから!想像させないでくれ」
イーサンが慌てた様子で遮ってくる。少し耳も赤い。
想像だけでそんなに気持ち悪いだろうか?
女の団員達からは結構好評だったのになあ、とリンは思う。男の団員達には「感想を言ってしまうと何かを失いそうなので、コメントは控えます」と言われた。
「もう日も沈む、片付けて帰るぞ」
イーサンが言い、2人は木刀を直して演習場の戸締まりをして、各々の部屋へと戻った。
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