21.末期
剣術大会決勝戦の後半。
突然無意味に剣が絡められ、イーサンが驚いてリンを見ると、彼女は穏やかな微笑みで応えた。
まず最初に勝ちを献上する気なのかと思い、ふざけるなとなったが、それならこんなまどろっこしい手は使わなくてもよいはずだ、とそれは打ち消す。
そしてすぐに、引き分けに持ち込みたいのだと分かった。
理由を考えている暇はなかったので、無条件で受け入れる事にする。
腕の力を抜きリンの思うままにさせると、イーサン剣が払われて、リンの剣が自分の喉元を目指す。
リンとは目が合ったままで、リンは全てを惜しみ無くイーサンに晒していた。
この瞬間は、リンの全ては、その呼吸の1つまでもイーサンのものだった。
彼女を手にいれたような錯覚に陥る。
自分に迫る切先に合わせて払われた剣を返す、ひどくゆっくり時間が流れていて、タイミングを合わせるのは簡単だった。
まったく同時に、互いの剣が、互いの首もとで止められた。
静かだった。
闘技場を静寂が包む。
立ち会いの騎士が2人に近寄り、確認する。
3つ数える沈黙の後、
高らかに叫ばれた。
「この勝負そこまで!!引き分けとする!!」
どおおっ、と会場が揺れて、イーサンは我に返る。
我に返って、観客席の貴族席と貴賓席を見回す。満足そうなサンズの貴族と第二王子を認めた。
そこで初めて気が付いた。
リンは、最初からここで勝つつもりがなかったのだと。
戦争が終わって1年も経っていないのだ。戦後があまりに穏やかだったので、普段は意識しないが、ルーナとサンズは戦負国と戦勝国だ。
負けた国の騎士が、勝った国の王子まで来ている大会の決勝で、本国でも名のあるイーサンに勝って、何らかの軋轢が生じる事を懸念したのだと今気付く。
確かに、サンズの貴族達の中には、ここでリンが勝てば気を悪くする者も出てきたかもしれない。
自分の胡乱さに呆れる。
対戦表を見て、決勝でリンとあたると分かった時、イーサンがまず感じたのは困惑だった。
何で、惚れてる女と、寄りによって剣術大会の決勝でやり合わないといけないんだ?
やたらと張り切っていた中年眼鏡総帥を思い出す。総帥室で籠りっきりで対戦表を作り、誰にも見せてくれなかった。
ライアン王子も、「クロードは私にも見せてくれないんだよねえ」と苦笑いしていた。
貼り出す前に見せてもらうべきだったな、と後悔するが、もはや貼り出されている対戦表は変えられないので、仕方がない。
惚れている、という事は置いておこう。
1人の尊敬する騎士として、剣を合わせようとイーサンは決めた。
そこから大会までは、意識してリンを避けた。
決勝であたるリンとの馴れ合いはしたくなかったのだ。辺境の城で一度手を合わせているので、太刀筋は既に知っている。
決勝で本気で試合をして、勝てるかどうかは五分か、自分に少し分が悪いと感じた。
迷いなく、揺るぎなく挑む必要があった。
リンも同じだったようで、何となく避けられているのが分かった。
あの間、決勝の事で1人で悩んでいたんじゃないのか?
呆然としながら、剣を引きリンと距離を取った。胡乱な自分に腹が立ってくる。
礼をして、イーサンはリンとは目も合わせれないまま、足早に控室へと引き上げた。
***
「機嫌が悪いですね」
決勝の後、宝剣の授与をされ、サンズの第二王子と貴族への挨拶も終えたイーサンに、長く艶やかな黒髪の、女としてはかなり背が高い副団長のシアが声をかける。
「当たり前だ」
「決勝が不満でしたか?私としては、最後のあれは少し引っ掛かりましたが」
シアの目には、あの引き分けは違和感があったようだ。
なら、団長達にはバレてるだろうな、と思う。
蒸し返して何かを言うような者はいないだろうが、大会の決勝が八百長だったなんて絶対に公にしてはならない。
「そもそも、この対戦が気に入らなかったんだ、やりにくい事、この上なかった」
引き分けの違和感に言及されないように、イライラと答えると、シアは納得したように微笑んだ。
「そうでしたか、でも、素晴らしい試合でしたよ。見ていて思わず息が止まりました、お疲れ様です」
「疲れた、なんてものじゃなかった」
「もう、告白したらいいんじゃないですか?」
しれっと言う副団長。
「は?」
「隠しているから、今回みたいな事になるんです。堂々と気持ちを公にすればどうです?」
「え?いや、」
「好きなんですよね?ライアン王子殿下にも、バレバレです。リンとの縁談、せっつかれてますよね?」
それはもう、ずっとせっつかれている。
最近は特にだ。
あの腹黒王子は、どうやらルーナの王妃殿下にぞっこんで、リンを側妃にする気はもはやないらしい。
なら、イーサンと結んでおくのが一番適当だと思っているようだ。
そしてイーサンは、ライアンがリンを側妃にする気がなくなっている事にほっとしている。
ほっとしている自分が、馬鹿馬鹿しいとも思う。
「シア、知っているだろう?彼女には恋人がいる」
「サーラ団長ですね、知ってます。でもお互いにいい歳ですが、結婚はしていません。割りきった仲なのでは?サーラ団長は伯爵家の次男です。最終的にはどこかの婿に入るのでしょう。なら、リンは残ります。女性の騎士は晩婚が多いですが、それにしても26才は結構な年令です。出来るだけ早めに摘んでしまうべきでは?」
「お前……容赦ないな」
「惚れているなら、何を遠慮しているんだ、と思いますし、私も王子殿下と同じく、殿下より団長の方が彼女と合うと思います」
「あのなあ、惚れているから遠慮しているんだ」
ましてや、今回の決勝での出来事だ。
リンはイーサンが思ってるよりもずっと、敗戦国である事を気にしていた。
おまけに自分はそれに気付けなかった。
そんな所に結婚なんか申し込めるか。何も気付いてなかった自分にそんな資格がある訳がない。
それにイーサンは、あの金髪の優男が、最初に与える軽薄な印象だけの男ではない事も知っている。
辺境の城で、貼り付いていた笑みを捨てて、リンの事を「大切な半身なんだ」と言っていたのがあの優男の本音だ。
なぜ結婚しないのかは、イーサンがとやかく言う事ではない。
「男ってこういう時、女よりうだうだしますよね」
これ見よがしに、ため息をつく副団長。
「お前、本当に容赦ないな」
イーサンもため息をついた。
***
その2日後、剣術大会の余韻が残る覇気の上がらない第一騎士団に、最近追っている違法な薬物の取引のアジトの情報がもたらされて、気合いを入れ直して現場に向かったのだが、踏み込むと、そこは引き払われた後だった。
有用な手ががりがほとんどない中、机の引き出しの中にぽつんと手紙が残されていた。
「尻尾切りでしょうか」
署名の名前を見てシアが言う。
手紙は明らかにわざと残されていたし、署名の名前は今回追っている大物の名前ではない。
おそらく末端の小物だ。
「そうだろうな、とりあえずその男の身辺を洗って監視しろ、摘発は少し考える」
「わざわざこんな物を残すという事は、監視は無駄では、」
「しないよりはいい」
「分かりました」
そうして、空振りに終わった捜索から帰ってくると、イーサンは城門で馬に乗って空を見上げるリンを見つけた。
遠目でリンを捉えて、ひどく動揺している自分に慌てる。
数回、呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
リンも決勝戦の事を気にしているに違いないので、とにかく普段通りになるように心がけて声をかけた。
これから1人で王都の外れに行くという。
「外れの小屋?」
「騎士団の所有する資材置き場なんだ、戦争が終わってからはバタバタで一度も点検してないから、様子を見に行ってみる」
「団長自ら1人でか?誰かに行かせればいいだろう」
「息抜きだよ、私だってたまには1人でのんびり馬に乗りたい」
じゃあな、と手を振って、リンはあっさりと離れて行く。
「シア!」
「はいはい、うちの団長も息抜きですね、行ってらっしゃい」
さっさと行け、とばかりにシアが言う。
俺、上司だぞ?その態度はなくないか?と思うが、反論している時間はないので、リンを追った。
馬に乗ったまま、決勝の話を持ち出すのは落ち着かないので、何となく雑談をした。
己の婚約者について聞かれたので、あの優男と婚約しているのか聞いてみると、優男とは婚約もしていないようだ。それを聞いて、明らかにほっとしている自分に嫌になる。
そこを喜んでどうする。
それでも、道中は思いの外楽しかった。
何でもない会話が嬉しくて、そんな浮わついた自分にイーサンは若干焦る。
雨に降られ、目的の小屋に駆け込んだら、リンは頭を振って、髪の毛の滴を払った。
子犬か。
その仕草を、可愛いと感じている自分にますます焦るイーサンだ。
末期だ、恋の。
ガシガシと濡れた髪をかき揚げて、気を紛らわせた。
その後、小屋の資材が盗まれているらしい事に気付き、残った資材をリストで照合した。
この作業は助かった。浮わついた気持ちが落ち着く。
材木に腰かけて、リンと決勝戦について話す。
自分の心情を吐露して謝罪すると、あろうことか、イーサンが慰められてしまった。
慰めたかったと伝えると、受け身の体勢を取られる。
そろりとそのアッシュグレイの頭を撫でたのは、いつぞやの金髪の優男に張り合っていたのだろう。
末期だ、恋の。
イーサンはもう一度、そう思った。
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