29.夜這い
ノックの音が、廊下の闇に消えていき、ゆっくりと窺うように扉が開けられる。
「……リン?」
盛大に戸惑ったイーサンが、リンを見下ろしていた。
「夜分にすまない、飲みたい気分なんだ、少し付き合ってくれないか?」
ワインを掲げて軽く言ってみたが、少し声が上ずってしまった。
「は?今からか?え?どこで?」
「イーサンの部屋で」
「俺の?え?」
「立ち話もなんだし、とりあえず入れてくれ」
するりと入ろうとしたら、阻まれた。
ちっ。
「待て、分かっているのか?お前は女で、俺は男だ。男の部屋にこんな時間に入るな、その意味くらい分かるだろう?」
「意味くらい分かっている。分かってて来てるんだ、イーサンならいいんだ」
「いいって……」
唖然としたイーサンに隙ができたので、リンは今度こそ、するりとその脇を抜けて、部屋への侵入に成功した。
スタスタと部屋に入り、イーサンを振り返ると、赤獅子はリンに背を向けたまま、しばらく片手で顔を覆っていたが、やがてゆっくりと扉を閉めた。
はああぁ、というため息が聞こえる。
「お前なあ、信用してくれてるのはありがたいが……」
イーサンは、のろのろとリンに近付いて、リンの手のワインを取ると、それをソファの前のテーブルに置いた。
どうやら、飲みには付き合ってくれる気らしい。
「信用してるとかではないんだが、まあ、信用はしているが」
「何があったかは知らないが、付き合ってやる。ある程度飲んだら帰れよ。それから、こんな事、これからは絶対にするな、俺相手でも金輪際するな」
小言を言いながらも、イーサンは戸棚からブランデーとグラスを取り出す。
リンがポケットから、ナッツとレーズンを取り出すと、皿に入れてくれた。
少しドキドキしながら、きちんと距離は空けつつソファに並んで座ってみる。イーサンの肩がぴくりと動いたが、並ぶことを拒否はされなかった。
幸先はいい。リンは端から、飲みだけで終わるつもりはないのだ。
「イーサン、恋人はいるか?」
これだけは聞いておかなくては、とまず聞いた。恋人のいる男に手を出す訳にはいかない。
「いたら、お前を部屋には入れない」
唸るように言われた。少し怒ってるみたいだ。
「怒るなよ。私だって、それなりに思い悩んでここに来たんだ」
「なんだ?悩みか?」
すぐにイーサンの声色が変わる。心配そうなその響きにリンの胸が、きゅうっとなった。
やっぱり単純だ。よく団長なんて出来てるな、と思う。シアは普段はもっと落ち着いているとか言っていたが、本当だろうか。
でもこういう所、好きだなあ、とも思う。
「悩みというか、うーん、悩みかなあ、まあ、飲もう」
リンはワインを開けて、とくとくと自分とイーサンのグラスにそれを注ぐ。
「俺でよければ、相談にのる」
「じゃあ、とりあえず、一緒に楽しく飲んでくれ」
かちんと乾杯をしてリンがワインを味わうと、イーサンもワインに口をつけた。
それからリンはイーサンに、ルミナス総帥の話をねだった。
訝しがるイーサンに「総帥の話を聞いたら、何だか落ち着きそうなんだ」と答えると、すんなりいろいろ話してくれた。
総帥の騎士団へのコネ入団の事やら、いちおう受けた文官採用の筆記試験でトップだった事やら、その後の事務方にはあり得ないめざましい活躍を聞いて、リンはたくさん笑う。
リンが笑うと、イーサンが優しげな笑顔になるので心臓がきゅうきゅうして困った。
どうやらリンが、飲まなくてはやってられないほど何かに悩んでいる、と誤解しているようだ。
まあ、いいや。
確かに悩んではいたし。
総帥の話の後は、イーサンの子供の頃の話をねだる。
両親の話を聞き、兄の話を聞いた。
リンが持参したワインが空き、ブランデーも半分ほどが消費され、一時ほどそうして過ごしただろうか、イーサンが「リン、すっかり元気そうだ。そろそろ戻れ。いい加減、俺もしんどい」と言ってきた。
もちろん、戻るつもりはない。
「嫌だ」
「お前なあ、さっきからここに何しに来たんだ?」
「何って、夜這いだ」
「……は?」
イーサンが固まる。
ほろ酔いだし、押し倒すには頃合いだろう。
リンはソファに膝だちになると、イーサンとの距離を詰めた。
「最初から、夜這いのつもりだ」
そうっとその顔に手を伸ばす。
ものすごく驚いている赤茶色の髪の騎士だ。
こめかみに触れてみると、拒否はされなかった。
「私だって、恋くらいする。昔はもっと手軽で簡単だった。駆け出しの頃は、それなりに恋愛を楽しめたんだが、地位が上がると崇拝されて手を出してくる男がいなくなり、私から手を出すと向こうが断れなくて職権乱用になるから、最近はご無沙汰だった」
話しながらイーサンの赤茶色の髪に手を入れた。ずっとこうしてみたかった獅子の鬣だ。
イーサンのたっぷりとした、少し癖のある髪を手ぐしでかき上げながらリンは続けた。
「あなたが好きだ、イーサン。顔も体も好みだし、剣も強い。腹芸は多少出来そうだが、腹黒くはない。優しくて単純でわりと初心だ。それに私があなたに迫っても職権乱用じゃない」
イーサンの目が、見開かれる。
リンはもう片方の手を、するするとイーサンの襟元へ持っていき、シャツのボタンを外しだした。
「ファビウス・サーラは?」
掠れた声でイーサンが聞く。
「ファビウス?」
「恋人では?」
「はは、噂はあるが、恋人ではない。恋人だった事もない、強いて言うなら兄弟だ」
「兄弟……」
「今夜は久しぶりに好きな男に抱いてほしいのだが、どうだろうか?」
リンはイーサンの髪をすいていた手をその後頭部に回して、自分の顔を寄せる。
その唇が触れようとした時、イーサンがリンの肩をきつく掴んで止めた。
「あー、すまない、嫌だったなら、ーーーっ」
ダメだったかあ、と思っていると、イーサンに片腕を引いて強く抱き寄せられ、すぐに頭も拘束されて荒々しいキスで唇を塞がれた。
「ふあっ…………」
「…………」
「…………」
「ふはっ」
「いつから好きなんだ?」
唇を離して、イーサンが聞いてくる。
「へっ?」
「俺の事、いつから好きなんだ?」
「えっ?いや、えーと、そうだな、おそらく騎士の誓いをする少し前くらいかな?直感で恋するタイプなん、はむっ」
聞かれたから答えたというのに、噛みつくようなキスで黙らされた。
「…………」
「んっ、」
「そういう事は早く言え、遠慮してた俺が馬鹿みたいじゃないか!」
キスの合間に、今度は何やら怒ってくる赤獅子だ。
「え?」
「俺もお前が好きだ」
「えー、りょうおも、んむっ」
もちろん、また噛みつくようなキスで黙らされた。
もはや喋るのは煩わしく、一通りキスをして、双方襟元をはだけるくらいにいちゃついた後、イーサンはリンを抱えてベッドへと移動する。
イーサンはリンをそっとベッドへ下ろして馬乗りになると、顔にかかる赤茶色の髪を、鬱陶しそうに髪紐で無造作に1つにまとめた。
口に髪紐をくわえて、髪をかき上げるその様は壮絶に色っぽくてリンは背中がぞくぞくする。
「はあ、すごく、エロいな」
思わず呟くと、イーサンが笑った。
リンのアッシュグレイの髪が、くしゃくしゃとかき乱される。
「お前の方が、百倍エロい」
そうして、また熱いキスが降ってきた。
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