28.決断

「それで、ご用件は何でしょうか?」

団長室にて向かい合って座り、お茶も出さずに聞いてみる。

宰相は礼儀にうるさくはないし、リンが自分を嫌っている事もちゃんと知っている。気にはしないだろう。


目の前のこの男をリンは嫌いだ。

仕事ぶりは素早く的確で、政治的なバランス感覚に優れ、先を読む目もある。国としては得難い人材で、だからこそ、戦争に負けた国で未だに宰相なのだ。


でも、この男には熱意や志や、民や国を想う気持ちが一切ない。宰相の関心があるのは、政治や勢力争いで自分の能力をどれだけ試せるか、という事だけだ。

その為なら、自治領とのややこしい交渉も買って出るが、つまらないと判断すると、簡単に投げ出したりもする。


変な野心はないし、有能な人なので、ファビウスは「好きではないが、嫌いでもないな」と言っているが、リンは嫌いだ。


この男はサンズとの戦争に勝ち目が無いことも知っていただろうし、正確な戦況も早くから分かっていたはずなのだ。


宰相が本気になれば、戦争だって、開戦を止められたのではないかと思う。

もしくは、早いタイミングで和解を働きかけることも出来たはずだ。


おそらく、宰相も前の国王を既に見限っていて、あのクソ陛下の元で働き、その尻拭いをするのにうんざりしていたのだろう。

前国王に堕ちる所まで堕ちてもらって、自分は国の中枢に残りたかったのだ。


そういう所が嫌いだ。

止めれたんなら、体張って止めろよ、戦争だったんだぞ、とリンは思う。



「情報提供と、ご提案に参ったのですよ」

宰相が微笑む。


「情報提供ですか」

「ええ、こういった事は早めに知って対策を練った方がよいですからね」

「はあ、それで、どのような情報ですか」

自分にとって、喜ばしくない種類のものだろうという気がした。

宰相は全く勿体ぶらずに本題を切り出す。


「サンズの第三王子殿下は、あなたを側妃にするおつもりのようです」


「…………そくひ?」

あまりの事に、最初、頭が追い付かなかった。


そくひ?

側妃?


「ご冗談を、私は地方の男爵令嬢で貴族とは名ばかり、ほぼ平民です。側妃はとても務まりません」

「役割は期待されてはないでしょう。王子はあなたの人気が欲しいのです。最近、王妃派は分が悪いですからね」


「人気……」

「戴冠式と王妃殿下との結婚式の後、すぐにでも打診があると思いますよ。そして、国王からの打診にあなたでは太刀打ち出来ない」


リンは、舞踏会でのライアンとのやり取りを思い出す。

ファビウスとの仲を聞いて、恋仲ではないと知るとライアンは安心した様子になり、相談したい事がある、と言っていた。


相談って、これか?

辻褄は合う。


「あなたはお嫌ではないかと思いまして、勝手ながら段取りさせていただきました。戴冠式まで1ヶ月、私としても、女神を旧国王派に囲えるのはありがたいので」

唖然としているリンに宰相がにっこりした。










***


「ぐうぅ」

宰相が帰った団長室で、リンは一人、机に突っ伏している。


「うぅ」

頭の中をぐるぐると“側妃”が回る。


相談って、側妃の件だったのか……。


大物なんてものじゃない、戴冠式の後のライアンは国王だ。打診が来たら断れるわけがない。リンも無理だし、サーラ家だって無理だ。


嫌だ。

自分は絶対に側妃に向いてないと思う。


そんなリンに宰相は、旧国王派の公爵家の養女の椅子を提案してきた。

公爵家ともなれば、国王とはいえ即位したての立場の不安定なライアンの打診を拒否できるだろう。

リンが望めば、国外への留学も手配するつもりらしい。


「私としても、ネザーランド団長には、女神人気が納まるまで国外に居てもらった方がやりやすいです。イレギュラーな駒って嫌いなのですよ。もしその気になれば、お返事は戴冠式までにください」と宰相は言った。


公爵家令嬢。

こちらも全くリンの柄ではないし、なりたくはない。


側妃は嫌だが、公爵令嬢も違うと思う。

何より、何だか自分がいいように使われているようで気分が悪い。

宰相はリンを“イレギュラーな駒”扱いしていた。リンの為を思って、公爵家令嬢の座を用意した訳ではないのだ。


「はあぁ」

ライアンは本当にリンを側妃にと考えているのだろうか?王妃にぞっこんのくせに?

しかし、あの宰相が嘘をつくとは思えない。


「うーん」

今回宰相は“打診”と言ったが、舞踏会でのライアンは“相談”と言っていた。つまり、ライアンはリンの意見を聞く気はあるのだ。


今更だが、やっぱりファビウスと恋仲だと言えば、側妃を諦めてくれるだろうか。

ライアンがルイーゼ王妃に惚れているのは確実だし、そんな中、嫌がるリンを無理矢理、側妃に迎えるとは思えない。


思えないが……


万が一、側妃になったら、絶対に窮屈だ。

考えただけで、吐きそうだ。

そして、リンの“夫”の側近がイーサンになる。


「はああああぁぁ、いや、無理だろ」

リンは特大のため息をついて、ごろごろと机の上で頭を転がした。

自分には、それ、無理だ。


そんな風に、仕事の合間や寝る前に鬱々とする日々を3日過ごし、3日目の朝、リンは決断する。

決断してから2日で進行中の仕事の報告書と引継書を猛然と作成した。

その作成が終わった次の日の朝、リンは自室で机に座ると紙と封筒を取り出し、封筒にまず “退職願” と大きく書く。

その後、久しぶりに随分と晴れやかな気持ちで、職務に打ち込んだ。





***


そうして、退職願を書き上げ、晴れやかに仕事を終えた日の夜。


全てが吹っ切れたリンは、早めに風呂にも入り、ゆったりしたシャツにスラックスといった外を出歩ける最低限の格好で、ワインを持って城の廊下を進んでいた。


今朝、退職願を書いてしまうと、自分の恋にも決着をつけようという気になった。

恋に悩むのは好きではない。

ここは1つ、当たって砕けてやろうと思っている。

やらずに後悔するなら、やって後悔した方が数倍マシだ。


目的の客間にたどり着く。

さすがに緊張してきた。


こんな夜更けに部屋に入れてくれるだろうか?という心配が頭をもたげる。

意中の男はお堅い所があるので、頑なに入れてくれない可能性もある。

でも、優しいし、お願いすれば入れてくれるかもしれない。そっちにかけよう。


部屋にさえ入れれば、後はなし崩しでいけると思っている。

あれは押しに弱そうだ。色仕掛けに自信はないが、舞踏会ではリンのドレス姿に簡単に顔を赤くしていたし、甘い笑顔を仕掛けると動揺していた。


公爵家令息があんなにチョロくて大丈夫なんだろうか?リン相手であれでは、令嬢達に言い寄られたら簡単に落ちるんじゃないか?

そう考えて、少しモヤッとしてしまう。


リンは頭を振って、“モヤッ”を追い払った。

今、変な嫉妬をするのはやめよう、とにかく押せばいける、たぶん。


好きだと自覚してから、思い返してみるに、嫌われてはいないはずで、人としての好意は持って貰えていると思う。

女としてはどうか、と言われると分からない。

舞踏会ではリンの事を、女として意識していたと思うが、あれはリンがいつもとあまりにも違ったからだろう。


とにかく、うじうじしていても仕方ない。

もう、来てしまったのだ。


リンは、すうぅ、と息を吸って、赤獅子の私室の部屋をノックした。

夜の廊下に静かにその音が響く。




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