53.ある日のリン(4)
牡鹿亭に着くと、そこには既に酒を飲んで上機嫌な騎士が多数出来上がっていた。
「ガイさん、遅いっすよー」「その子、なんすか?」騎士達はやんわりリンに絡んでくるが、全く気にしてなさそうだ。
「ところで、リン、成人しているか?」
店内を見回しながらガイが聞いてきた。ルーナの成人は16才でリンは27才、ばっちり成人だ。
「している」
「ぐはは、ほんとか?まあいいか、酒はほどほどにしろよ。お前は若い奴らと一緒の方が気楽だろ。えーっと、あっちの端のテーブルに準騎士達が固まってるな、紹介してやるから入れてもらえ」
ガイはリンを引っ張って端のテーブルまで行くと、準騎士達に今日の捕り物を説明してリンを座らせた。テーブルの少年達は目を丸くしてリンを見る。
「じゃあな、リン!たくさん食え。お前ら、仲良くしてやれよ!」
ちょっと美妙な空気感だが、ガイは気にせずにそれだけ言い残して去っていった。
「…………」
リンはそろりとテーブルの面々を見回してみた。
準騎士とは13才から概ね16才までの騎士見習いの少年達を指す。彼らは騎士団では主に下働きのような事をしながら訓練もこなし、16才になった年の試験を受けて、受かれば正式な騎士となるのだ。
自分の団の準騎士達なら顔と名前くらいは分かるが、それでも直接話す事はほとんどなく、ましてや他団の準騎士ともなれば、リンは顔を合わせたことすらない。
なので同じテーブルの顔は知らない顔ばかりで、もちろん彼らも団長としてのリンなんて遠目でちらりとしか見た事ないはずだ。
(ふむ、大丈夫そうだ)
リンはにっこりした。
リンがにっこりして「リンと呼んでくれ」と言うと、少年達に少し気安い雰囲気が生まれる。リンの隣の一番の年長者らしい人懐っこそうな少年がグウェンと名乗り、本日夕方の四人の男をのした件を興味津々で聞いてきた。
リンは今日の様子を詳しく話し、丁寧に組み合う相手に体格で劣る場合の体の使い方について解説してやった。
キラキラした顔で聞いてくれるから気分がいい。リンはリンで、騎士団での生活や訓練について質問してみる。普段はあまり聞けない不満や上への愚痴も出てきてとても面白い。
サンズの騎士達は総じて細かくて大変そうだ。
「へえぇ、大変なんだなあ」
心からの相づちを打つと、少年達は熱心にいろいろ語ってくれて楽しい。
こういうのもいいものだ、たまに準騎士として潜入するのもいいかもしれない、なんて考えてしまう。
話が弾んできたので、リンはずっと気になっていたがイーサンにも他のサンズの騎士にも聞けなかった事を聞いてみた。サンズの騎士がルーナで騎士として働く事についてだ。「ルーナでルーナの為に働くの嫌じゃないのか?」と。
サンズの彼らからすると、ルーナは一方的に戦争を吹っ掛けてきた国なのだ。三年に及んだ戦争では怪我人も死人も出ている。勝った側とはいえそんな国にやって来て、ルーナの騎士と共にルーナの為に働くのに抵抗はないのか、と質問してみたのだ。
「うーん、正直、あんまり抵抗はないかな」
ぽつりとグウェンからそう返事が返ってくる。
「ルーナの君には酷かもしれないけど、この戦争は最初のルーナの不意打ち以外はずっとサンズ有利で、三年の戦争はサンズからしたら消化試合みたいなものだったんだ。戦死者の数も全然違うはずだよ」
グウェンの言葉に周りの準騎士達も頷く。
「だからここに来た騎士は、一旗あげてやろう、みたいな人が多いと思う。ガイさんはちょっと特殊だけど、ルーナに来てるのは若手が多くて出世の機会は本国より多いし、敗戦処理で余った領地が貰えるチャンスまである。
最初にルーナに蹂躙された国境沿いの領地の人は違うかもしれないけど、サンズの大部分の人にとっては、今回の戦争はルーナの人達は可哀想だったな、っていう感覚の人が多いから、ルーナの為に働くのにも抵抗はないんじゃないかな」
「可哀想?」
「ルーナの前の国王の悪評はサンズまで届いていたもの。僕もルーナの騎士達は不運だったと思うよ」
「不運か……」
ルーナの側で戦争を経験したリンとしては、あれを“不運”で済ますなんて、恐ろしく率直で軽い意見だと思う。まだ幼いからこそ言えるのだろう。イーサンやルミナス総帥ならこうは言えないはずだ。そもそもリンも彼らには今投げ掛けたような質問は出来ない。
でも、これが素直な感覚なんだろうなと思うし、だから多少の軋轢はあるものの二国の騎士達は上手くいっているのかもしれない。
「君も“女神”の話なら知ってるだろ?第二騎士団のネザーランド団長。彼女は前の王に降伏を説いて地下牢にも入ってたんだよ」
「あー、う、うん」
そこで突然自分の話が出てきたので、“不運”への葛藤は吹き飛んだ。ドキドキして歯切れが悪くなるリン。
因みにリンは結婚して、カリン・ランカスターとなっているが、騎士団ではカリン・ネザーランドのままで通している。同じ職場にランカスター団長が二人居てはややこしいからだ。
「ランカスター団長が助け出した時は、血まみれでボロボロだったって、本当にひどい話だよ」
「ら、らしいね」
その血は、ほぼ全て監守の返り血なのでリンの血ではないが、それなりにボロボロだったから嘘ではない。
「民のために説得した女神にそんな仕打ちをするなんて、前の国王は最低な人だったんだなと思う。そんな奴に忠誠誓って剣と命を捧げるしかなかったなんてひどいよ」
「確かに、前の王はずっと評判は悪かったからな」
リンとて、心から忠誠を誓えたわけではない。
「あ、でもさ、そんなネザーランド団長は、そこからあの剣術大会決勝の状態まで持っていくんだよ。リンは決勝戦見た?すごかったんだよ!」
グウェンの口調が変わる。
「あの決勝、すごかったよなあ!」
「うん!すごかった!」
剣術大会決勝の話が出てきて、他の準騎士達も口々に感想を言い出す。幼気な少年達は決勝戦に想いを馳せて目をキラキラさせていて、当事者のリンは背中がむず痒い。
「き、君達はあの決勝、見てたのか?」
「もちろん、立ち見の最後尾だから、なんか凄い、くらいしか分からなかったけど」
「速かったし、美しかった」
「ネザーランド団長はとっても美人なんだって、会ってみたいなあ」
「騎士になったら城ですれ違うくらいは出来るらしいよ」
「声は女性にしては低いんだって、しゃべってみたいよな」
(会ってるぞ、しゃべってるぞ)
真っ直ぐな憧れの眼差しにドキドキが加速するリン。
そろそろ話題を変えたい。何かを適当に質問しようと思ってると、ふと、視線を感じた。
「……」
リンはぐるりと宴会場となっている客席を見回してみるが、特に誰とも目は合わない。
(気のせいか、もしくは誰かにバレたかな)
客席には結構な人数の騎士が居て、リンと言葉を交わした事がある者くらいは居るだろう。勘のいい奴が気付いたのかもしれない。
そろそろ帰るか、とリンは思う。夕飯はしっかり食べたし、いろんな話が聞けて有意義だった。潮時だ。
リンは準騎士達のテーブルを中座して奥の手洗いへ行った。客席に戻ったらガイを探して暇を告げようと思いながら廊下を歩いていると「ネザーランド団長」と小さく声をかけられた。
びくりと立ち止まって、声の方を見ると、若い騎士が一人リンを探るような目付きで立っている。
見覚えがある騎士だ。
「えーと、君は、たしか……ベンジャミン・ユルム、か?」
ぼんやりと名前を告げると、若い騎士の顔が輝く。
「はい、覚えていただいて光栄です」
若い騎士は以前の乱闘騒ぎでリンが飛び蹴りして、その後、乱闘時の暴言を寮まで詫びにきたユルムだった。
ユルムとは剣術大会でも対戦している。
さっきの視線はどうやらユルムだったようだ。
「あの、ネザーランド団長はここで何を?俺、声かけてよかったですか?……潜入捜査、とかではないですよね?」
物凄く怪訝そうな顔になるユルム。
「あー、えーとだな……」
リンは手短にここに来た経緯をユルムに話した。
「ーーそれで、全然団長だとバレてないし、なら垣根なく皆の話が聞けるいい機会だと思って来ちゃったわけだ」
えへ、と笑いながら締めくくる。
ユルムは呆れたようなため息を吐いた。
ちょっと悪い事をしてしまった気分になる。
「なんかごめん、騙してるみたいですまないな」
「いや、まあ、酒も入ってるとはいえ誰も気付いてないのが悪いです。しかし、ガイさんは詰所で気付くべきなんじゃ、ああ、でも、うーん、最初から少年だと言われればそうなるか……騎士服を着てないあなたは随分印象も変わりますしね」
「そうか?」
「はい、何というか、ぐっと小柄に見えます」
ユルムの瞳が切なそうに細められる。
「へえ、知らなかった。しかしそれなら、ユルムは席も遠いのによく私だと分かったな」
「俺はあなたなら、どこに居ても、どんな格好でも見つけられると思います」
「えっ」
熱っぽい言い回しにリンが驚くと、ユルムは慌てた。
「あ、違います、ほら、あれです、あ、憧れてますので!ネザーランド団長はオーラも違いますし!」
「オーラ?へえ、そうか、ありがとう」
ここでユルムはぴしっと姿勢を正した。それからどもりながら口を開く。
「あの、俺、ずっと言いたい事があって、あの、こんな場所であれなんですけど、それに俺が何言ってんだ、って感じなんですけど、その…………ご結婚、おめでとうございます!」
「あ、ああ、ありがとぉ」
ユルムの祝いの言葉は唐突で、確かに何で今?という感じではあったので、リンは戸惑いながら礼を言う。
祝ってきたユルムはなぜか凄くさっぱりして晴れ晴れとした様子だ。「よし、言えた」と小さくガッツポーズもしている。
「ランカスター団長は、尊敬出来る良い人です。何より強いです。幸せになってくださいね」
「はは、ありがとう」
よく分からないが、全力で祝ってくれているようだしリンは素直に受けとることにした。
「今日、ネザーランド団長がここに来てるのはランカスター団長は知ってるんですか?」
にこやかにユルムは聞いてきて、その質問にリンはドキリとする。
「いや、知らない。そしてここに来た経緯が経緯だから知られる訳にはいかない。丸腰でチンピラの相手したなんて絶対に怒られるからな。ユルム、私の事は内緒にしといてくれ。もう帰るし、絶対に内緒な」
最後のくだりはちょっと必死になるリン。その様子にユルムが困惑顔になった。
「え、そうなんですか、じゃあ早く帰った方がいいですよ。この宴会、第三団だけって訳じゃないんです。ここ、二階もあるから二階にもいっぱいサンズの騎士が居てですね、もうすぐだん」
「おおーい!こんなとこに居たか、リン!」
ここで大きなだみ声がユルムの声を遮り、がっしりとリンの肩が抱え込まれた。
「うわっ、ガイさん」
現れたのは赤ら顔ですっかり出来上がったガイだ。
「お前、何も言わずに帰ったかと思っただろお」
「ちょうど今、帰ると言おうとしてたところだ」
「なにい、帰るだと、最後に俺の酒だけ飲んでけ、ほら来い」
「完全に酔っぱらってる……しょうがないなあ、一杯だけだぞ。じゃあユルム、またな!」
ガイに引きずられながらリンはユルムに手を振る。ユルムは心配そうに手を振り返してくれた。
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