52.ある日のリン(3)
「よりは戻さないって言ったわよ」
「俺はそれを納得してねえんだよ」
怒気を含んだ声でのやり取りが聞こえてリンは路地を覗き込む。
薄暗い中に男が四人、それに取り囲まれるように女が一人立っていた。男達はこちらに背を向けていたが、女はこちらを向いていて顔が確認できる。
(パン屋の子だな)
威嚇するような姿勢をとっている女は、今朝、ロールパンをおまけしてくれた愛嬌のあるパン屋の娘だった。
聞こえてくる話の内容は別れ話のもつれのようだ。どうやらパン屋の娘が男を振ったが、男が納得してないらしい。
よくあると言えばよくある場面だが、男側が四人というのはいただけない。
「あんたが最近つるんでる奴ら、嫌いなのよ。窃盗集団って噂よ。巻き込まれたくないの」
「は?俺が世話になってる人達はそんなんじゃねえよ。今もこうして一緒に説明しに来てくれてんだろ!」
「一緒に説明に来て、こんなとこに連れ込んでる時点ですごく変じゃない!馬鹿じゃないの!?馬鹿、馬鹿マイク」
「お前が逃げたからだろ!」
どうやら、一番奥の男がパン屋の娘の元彼でマイクといい、後ろの三人は付き添いらしい。
だが、パン屋の娘の言う通り、かなり怪しい付き添いだとリンも思う。
「お嬢さん、そう言わないで一緒に来てやってよ」
「そうそう、こいつ、あんたに未練たらたらなんだよ」
「とりあえず、俺らの店に行こうぜ。ゆっくり話せる」
平行線の言い合いに三人の男達が介入してきた。
(嫌な雲行きだな)
リンはそろりと気配を消して路地へと入る。
一緒に“俺らの店”なる所へ行って、いい事があるとは思えない。早めに通報した方がよさそうだ。
「い、嫌よ、行く訳ないでしょう」
パン屋の娘の顔に怯えが走る。男達をすり抜けようと足を進めるが、一人に腕を取られてしまった。
「離してよ!」
「お嬢さん、こうなったらこのまま行こうか」
「おい!その手を離せ!」
我慢出来ずにリンは割って入った。
「ああ?何だてめえ」
男達がリンの方を向き、パン屋の娘は「あっ、今朝の……」とはっとなる。娘の様子に付き添いの三人はニヤリとした。
「綺麗な顔の兄ちゃんだな、お嬢さんの新しい男か?変わり身が早いお嬢さんだな。マイクが可哀想だろ」
「お兄さん、人の女に手え出しちゃいけないぜ」
「こいつあ、説教だな」
「シンディ!嘘だろ?もう男がいるのか?」
パン屋の娘はシンディというらしい。その元彼マイクの敵意がリンへと向き、三人の男達もリンを標的にしたようだ。「綺麗な顔だし、こいつでもいいな」そんな囁きが交わされている。
「ちょっと!違うわよ、その人はただのお客さんよ。関係ないわ」
シンディは矛先がリンになるのを心配して、必死にリンと男達の間に入ろうとした。正義感の強い娘だ。リンは首を振ってシンディを制した。
「シンディ、私なら大丈夫だ。危ないから奥にいなさい」
「お兄さん?」
「ロールパンをおまけしてくれた仲だろ?」
リンは甘い笑顔をシンディに向けた。
「心配いらない、これくらいなら素手で何とかなる」
そう付け足すと、狙い通りに男達の雰囲気が変わった。
「お綺麗な兄ちゃんが、かっこつけてんじゃねえよ!」
「その顔、ぐちゃぐちゃにしてやる!」
激昂した男建が殴りかかってくる。
リンはさっと身を低くした。
ーーーーー。
しばらく後、静かになった路地裏にはリンによってのされた男四人が伏していた。
「シンディ、怪我はないか?」
リンがうずくまって震えるシンディに近づくと、シンディはリンの顔を見て真っ青になった。
「お兄さん、口のとこ血が出てる」
「ん?ああ、ちょっとかすって唇の端が切れただけだ」
「ほんと?」
「うん、平気だ。さて、立てるか?まずは通りに出て人を呼ぼう。こいつら、特に君の元彼以外の三人は質が悪そうだ。騎士団に通報した方がいい」
リンが差しのべた手を取ってシンディが立ち上がる。よろよろとだが歩きだそうとした所で、複数の足音がして、だみ声の怒鳴り声が響いた。
「喧嘩はここかあっ、騎士団だ!神妙にしろい!」
どうやら騒ぎを聞いた誰かが既に通報してくれたらしい。
怒鳴り声と共にサンズの騎士服を来た騎士達が数人路地へと入ってくる。
シンディがおろおろして、心配そうに気絶するマイクを見ていた。
***
リンは連れて来られた町中の騎士団の詰所の一室にて待機していた。
路地裏へ騎士達がやって来て四人の男をしょっぴいていき、リンとシンディも参考人としてこちらに連れて来られたのだ。
手順としては真っ当な手順なので、大人しく従ってこちらで待っている。
(私の事は、バレてないみたいだな)
現場に駆けつけたのは、おそらく第三騎士団の騎士達だったと思う。個人的に関わった者以外のサンズの騎士までは覚えていないので、自信はないが、たぶん第三団だ。
薄暗かったし、向こうも騎士団ではリンとすれ違うくらいにしか関わりはないので、まさか路地裏で埃にまみれた少年がリンだとは分からなかったようだ。
バレてないなら、このまま話だけして帰るかとリンは考える。今から自分は第二騎士団長のカリン・ネザーランドだと名乗る必要はないだろう、余計な気を遣わせるだけだ。
(バレたらその時に名乗ろう)
そう決める。
やがて扉が開いて、一人のがっしりした壮年の騎士が入ってきた。
「遅くなってすまねえな、坊主。第三騎士団のガイと言う」
だみ声でガイが名乗る。
「今日はちいっとしたイベントがあってな、早番の奴らのほとんどがきっちり定時で上がってんだ。それであんまり人手がねえんだよ。そうなると、あのお嬢ちゃんの聴取が先の方がいいだろ?」
「ああ、それは構わない」
リンが答えると、ガイは、がははと豪快に笑った。
「態度がでけえな。肝の座った坊主だ。さ、まずは手当てと説教だぜ」
ガイは机に救急箱を手荒く置くと、ガーゼに消毒液をたらす。
「滲みるけど、我慢しろよ」
そう言って、意外に繊細な手つきでリンの唇の端を消毒してくれた。
「女みたいな肌してんなあ、若いってすげえな」
感心しながら、消毒を終えると小さな傷テープを丁寧に貼ってくれる。
「ほい、出来た」
「ありがとう、ガイさん」
「気にすんな。そしてだな、坊主、今からするのは説教だ、ちゃんと聞け」
ガイは声を低くするとリンの向かいにどっかりと腰を下ろした。
「いいか、坊主、素人が揉め事に手を出しちゃいけねえよ」
「あー、いや」
素人ではないのだが、と言おうとしたリンの言葉はガイによって遮られる。
「パン屋の嬢ちゃんから聞いてるぜ、お前、関係ないのに助けに入ったんだろ?その心意気は素晴らしい、素晴らしいけどな、お前がひどい目に遭う可能性はあったんだ。奴らが刃物を持ってたら命の危険だってあった」
「……はい」
「俺ら騎士は任務中は帯剣してる、この騎士服だって特別製で刃物を通しにくいんだ。そんな俺らでも、基本は最低二人一組で動く。
坊主、お前は今回、軽装で丸腰で、しかも単独で首を突っ込んだんだ、軽率だったと思う。騎士団へ通報するべきだったぜ。せめて周りの大人に声をかけてから行動すべきだった。分かるか?」
「……はい」
ぐうの音も出ないリンだ。
確かに軽率だった。
男達の様子は明らかにただのチンピラで、勝てると思っての事ではあったが、軽率は軽率だった。
反省しようと思う。
そして、こうなった今、絶対に正体がバレる訳にはいかないな、とも思う。こんな事がイーサンに知れればと想像すると恐怖しかない。三日三晩は説教されそうだ。
幸いガイはリンの事を少年と思い込んでいるようで、バレる事はなさそうだ。このまま逃げ切ろう。
「これからは気をつけます」
リンが頭を下げると、ガイはまた豪快に笑ってわしわしと頭を撫でてくれた。
「ふはは、分かればいい。嫌な話はこれで終わりだ。こっからはお褒めの言葉だぜえ、坊主、よくやったな。パン屋の嬢ちゃんはすげえ感謝してたぞ。男四人をのしちまうなんてお前はすごい、いやほんと、よくやった!」
今度はばしばしと肩が叩かれる。
ちょっと痛いが、嫌な気はしない。さっきの説教もリンの事を考えてくれているのが分かったので全然嫌ではなかった。
がさつだが、いい騎士だな、と思う。
「ありがとう」
「礼を言うのはこっちだ。嬢ちゃんが怖い思いをしなかったのは坊主のお陰だならな。何か褒美でもやれるといいんだが、生憎そういう制度はねえんだよなあ……おっ」
考えこんだガイが、閃いた、というように明るい顔になった。
「お前、夕飯まだだよな?」
「まだだ」
「食ってくか?今日はな、俺らの故郷のサンズでは年に一回の祭りの日なんだよ。そういう訳で早番の騎士で店貸しきって宴会してんだ。俺も今からそっち行くから一緒に行くか?」
「いいのか?」
「一人増えたって誰も気にしねえよ。もう始まってて酒も入ってるし何なら気づきもしねえよ、もし絡まれたら俺が説明するし問題ない」
「ふーん」
今日がサンズの祭日だとは知らなかった。きっとイーサンが付き合いで顔を出す宴会も、その祭日関係の第一団の宴会なのだろう。
ガイの誘いはありがたいし、ちょっと面白そうだ。
この調子だと、リンが第二団長ともバレない気もする。
団長と団員してではなく、直に生の騎士達の声が聞けるチャンスだ。しかもサンズの騎士達の。
「店ってどこだ、近いのか?」
「牡鹿亭だよ」
「ほう」
牡鹿亭なら知っている。店内は暗くはないが、煌々と明るくもない。
いける、とリンは思った。
「行くよ。今日は夕飯のあてがなかったからありがたい」
そう返事をすると、ガイは「お前、わりと苦労してんだな」と少ししんみりしてから「よし!付いてこい!」と笑った。
「ところで坊主、名前は?」
「リンだ」
「リン!行くぞ!たくさん食えよ!」
そして二人は牡鹿亭へ向かった。
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