51.ある日のリン(2)

駆け足で家まで戻ったリンはベラにパンを預けると、サーラ伯爵家のタウンハウスへと急いだ。

先触れもなし、服装も着古したシャツにズボンだが訪問先がリンに対してそれを気にするような家でない事は知っている。

寧ろ、リンが貴族然とした身なりでサーラ家に赴いたりすれば、ジョイスは眉をしかめるだろう。そしてリンをそのように変えてしまった結婚に反対するかもしれない。

騎士服を着ていくのが一番いいのだが、城の詰所までそれを取りに行くのは時間がかかる上に、職場に行けば何かと捕まるのは目に見えている。

だから平民の成りのままリンはサーラ家を訪問した。





***


「リンお嬢さまあー!」

目的のサーラ伯爵家の門が遠目に見えてきた所で、小粒くらいにしか見えていない門番がリンに向けて大声をあげながらぶんぶんと手を振っている。


「お久しぶりですーっ、お嬢さまあっ」

ぶんぶん!


「お元気そうで何よりですーっ」

ぶんぶん!


「あっ、ご結婚、おめでとうございますー!」

ぶんぶん!


往来の目がリンへと集まる。

騎士の時の注目は慣れているが、プライベートでのこれは恥ずかしいし、お嬢様呼びも恥ずかしい。


「バンさんっ、声がでかいっ」

リンは顔を赤くしながらダッシュで門までたどり着き、高齢の隻眼の門番の口を塞いだ。


「いやあ、嬉しくてつい」

バンが豪快に笑う。

バンはリンが子供の頃からサーラ家で護衛として働いている男だ。元々は騎士団の射手だったが片目になって引退してからこちらで働きだした。

片目だけでもかなり目がいい。


「大きくなられましたなあ」

「いや、 前に来た時からは変わってないぞ」

戦況の悪化と共にサーラ家は領地へと戻っていたから最後に訪れたのは二年程前で、二年前と今ではリンの身長は変わっていない。


「ははは、わしの背が縮んだのかもしれませんなあ。奥様にご用ですか?」

「そうなんだ、いらっしゃるか?」

「来客が一件ありますが、ご在宅ですぞ」

「来客か、それならまたの機会でも」

先触れもしていないのだし、それは予想していた。リンとしては足を運んだという事実だけでも作っておきたかったので出直すのは構わない。


「何を仰います。お嬢様が来られたのに追い返したとあっては奥様と旦那様に私が大目玉を喰らいます。お待ちしてもらいますぞ」

バンは逃がさないとばかりにリンの腕を掴む。


リンはあっという間に屋敷の応接室へと案内されてサーラ家古参の侍女達に囲まれる事になった。こちらも皆顔馴染みだ。


「お嬢、大きくなったねえ」

「いやほんと、こーんなに小ちゃかったのにねえ」

「ファビウス坊っちゃんといっつも駆け回ってて」

「あの頃は可愛かったねえ」

「ところで結婚したって」

「サンズの将軍だった男だろ?」

「そいつ、あっちでは公爵家の息子なんだろ?」

「公爵家なんて、あんたと合うのかい?」

「無理矢理って噂もあるけど大丈夫かい?」

「それにしたって、いつまでも髪が短いねえ。綺麗なのにもったいない」

「そうだよ、伸ばしなよ」


口々に喋る中年の侍女達。リンは女性にしては身長が高い方だが、ここの侍女達も全員背が高い。リンより大柄な女性もいて囲まれるとけっこうな圧力を感じる。

彼女達は退役した女騎士達なのだ。バンや侍女達に限らずサーラ家の使用人はほとんどが元騎士で、事情があって退役した者達だ。義足や指の欠損がある者も数人働いている。


「結婚した」「流行りの恋愛結婚だ」「坊っちゃんだがいい男だ」「髪は短いのが楽なんだ」「夫の髪が長いから、私はこれでいいんだ」

もみくちゃにされながら質問に答える。


「あんた、昔から髪の長い男ばっかり好きだねえ」

「騎士時代の奥様の髪が長かったからだろ」

「あんたの奥様愛、変わらないねえ」

うんうんと納得する侍女達。


侍女達によると、サーラ夫妻は来客と昼食を共にしているらしく、客は昼食の後は帰るらしい。

リンの午後の予定がないと聞いた侍女達は、それならここで待て、と言い、リンの昼食が用意された。場所をダイニングに移して侍女達と一緒にお昼を食べる。リンはイーサンとの馴れ初めを根掘り葉掘り聞かれることとなった。


「夜這いかあ」「やるねえ」「ヒューヒュー」「あたしも若い頃はねえ…」

いつの間にか侍女のお姉さま方の武勇伝も始まる昼食の席。ジョイスに会う前からお腹いっぱいになってくる。


「もう、お姉さん達から私の結婚をジョー伯母さんに伝えといてもらっていいんだが」

リンがそんな事を言い出した所で、ばあんっとダイニングの扉が開く。


「リンっ!」

駆け込んできたのは、ここにいる誰よりも長身の女性だった。

白いものが混じる茶色い髪の毛はきっちりと纏められ、落ち着いたドレスを纏う女は女性としては驚くほど背が高い。

この人が騎士服を着て颯爽と歩く様は本当にかっこよくて、母に連れられて遊びに来た伯爵家でリンは一目でこの伯母に憧れ騎士を目指したのだ。


「伯母さん」

リンが立ち上がると、つかつかとやって来たジョイスはリンをぎゅうっと抱き締めた。リンの顔が豊かな胸に埋まる。


「馬鹿リン!あんた、あのクソに地下牢に入れられてたんだろ。私はあんたにそういう自己犠牲の精神は教えてないよ」

苦しいほどに抱き締められて、本当に苦しい。

あのクソとは、前国王のことだ。


「おばさん、それ、もう一年くらい前の話」

「馬鹿!説教する機会なんてなかっただろ!」

ジョイスの腕が更に絞まる。


「ぐぇ」

「ジョー、それくらいにしなさい。リンが死んでしまう」

穏やかな声がかかってジョイスの力が緩む。リンがジョイス越しに見ると、甘いマスクの金髪の紳士が苦笑していた。

サーラ伯爵家当主、ジョイスの夫でファビウスの父、コーネリアス・サーラだ。


「コーネリアス、あんたはいつもリンに甘い」

「無事だったんだし、それを祝おうじゃないか。それより、私にも可愛い姪の姿を見せて欲しいな」

コーネリアスの言葉にジョイスの拘束が解かれて、リンは伯父と伯母に胸に手をあてる騎士の礼をとった。


「伯父さん、伯母さん、皆さんもご壮健で何よりです。戦時を無事に生き延び、この度結婚いたしました。遅くなりましたが本日はその報告で参りました」

「ああ、リンが結婚して嬉しいよ。おめでとう」

コーネリアスが優しく微笑む。甘さのある笑顔はファビウスにそっくりで、リンは改めてファビウスは父親似だなと思う。


そして、リンの母はコーネリアスの妹なのだが、母は養女だったのでリンとコーネリアスに血の繋がりはない。リンの父はサーラ家の分家の出で奉公に来ていた伯爵家で母と出会い結婚している。


「ランカスター殿には登城した際に挨拶していただいた。いい青年だね」

「えっ、そうなんですか」

イーサンがコーネリアスに挨拶していたのは初耳だった。


「ああ、ネザーランドの家に挨拶出来てないから、うちには正式に行きようがないがよろしくお願いします、と丁寧に言われた」

「ふぁー、しっかりしてる」

「早くネザーランド家にも行くようにしなさい。のんきなナラも少しは心配してるだろう」

ナラとはリンの母親だ。


「帰省は計画中です」

早くて半年先になる予定だ。早くて、なのでまだ未定である。


そこからはサーラ夫妻を交えて、食後のお茶会みたいになった。

「さっきは、二人の馴れ初めを聞いてたんですよー」と侍女達がジョイスにあれやこれやを話し、ジョイスはジョイスで「剣術大会の決勝戦見て、あまりに息が合ってるから、んんんこれは、と思ってたのよねえ」としたり顔で納得している。


すっかり話し込んで時刻は夕方となり、サーラ家では晩餐にも誘われたのだが、これに乗るときっと泊まって行けと言われるのだ。さすがに泊まるのはイーサンが気にするので、リンは丁寧にお誘いを固辞してサーラ家を後にした。


夕焼けを見ながら家へと帰る。

家の近くで適当に夕食を食べるか何か買って帰るかしようと思いながら通りを歩いていると、路地から男女が揉めているような声が聞こえて、リンは足を止めた。




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