8.女神の御披露目
イーサンがリンを抱えあげ、シアの腕よりもかなりがっしりした腕がリンを包み、厚い胸板が押し付けられる。
くっそ、悔しいが、悪くはないな。
肩を抱く優しい手つきと、押し付けられた胸板の厚みに、ドキリとしてしまってリンは心の中で悪態をついた。
リンの男の趣味は、がたいがよくて逞しい男で、体格的にイーサンは合格だ。
おまけにこの腕の中で、自分が安心しているらしい事にもリンは気付く。
何なら、さっき、地下牢にイーサンが現れた時点でもリンはかなり気が抜けていたのだ。
どうやら、自分はこの赤茶色の獅子のような騎士にずいぶんと心を許しているようだ。
剣を合わせて、少し言葉を交わしただけなのに、我ながら惚れやすくて嫌になる。
これはないだろう、これはない。
サンズの将軍で、あっちの公爵家令息なのだ。結ばれる見込みはない。叶わぬ恋に身を焦がすのは性分ではない。
舌打ちしたくなるのを我慢して、リンはとりあえずイーサンを睨んでおいた。
「睨むな。いいか、こんな状態のお前を見せ物にするのは、俺も気は進まないんだ。でも時間がない」
睨むリンを見下ろして、その顔に残っている返り血を、イーサンはごしごしとシャツの袖で拭った。
「お前を前に出さないと収まらないから、我慢してくれ」
イーサンはそう言うと、塔に入り階段を昇りだす。どうやら、城門の横の城壁の上を目指しているようだ。
リンは、イーサンが段差の衝撃が出来るだけ伝わらないようにそっと自分を抱えているのが分かって、むず痒い。
「なあ、ところでこれは何なんだ?見せ物と言ったが?時間がないとは?」
足指をもぞもぞさせながらリンは聞いた。
「見せ物というか、御披露目だな。時間がないのは、あまり待たせると門を破られそうだからだ。何かというのは、説明するより自分で聞くのが早い。そろそろ聞こえてくると思うぞ」
階段を昇り、出口の光が見えてくると外の声がはっきりと聞こえ出した。その内容が聞き取れるようになってくる。
「俺達の女神を救ってくれ!!!」
最初に聞こえた声はそう言ってた。
続いて続々と声が聞こえる。
「女神さまーー」
「カリン・ネザーランドを見殺しにするな!!」
「地下牢にいるんだ!」
「女神様!!」
「女神を救ってーー」
「国王を最後まで説得したんだ!!」
「都が戦場にならなかったのは女神のおかげなの!!」
「カリン・ネザーランド!!」
「カリン・ネザーランドを救え!!」
「俺達の命と家を守った女神を救え!!」
「………これって」
悲鳴と怒号は、全てリンに関するものだった。
「分かるか?」
「私の身への嘆願……か?」
「そうだ、俺達が都に入るなり湧いてきて、後を付いてお前の救出に向かおうとするから、止めるのが大変だった」
「しかし、国王は私の寝返りも投獄も隠していたはずだぞ?どこから漏れたんだ?」
「それは知らん」
「ファビウスか?」
「どうだろうな、それにしては大規模だが。とにかく、不本意だろうが、サンズに救い出された女神だという事で御披露目されてくれ、いいか?嫌だと言ってもする事になるが」
イーサンの眉が少しだけ下がる。
イーサンは戦勝国の将軍で、リンは敗けた側の騎士だ。どんな扱いをしても責められる事はないのに、この男は自分の気持ちを気にしてくれるのだな、とリンは温かな気持ちになる。
「あなたの正義が私の正義だ、イーサン。気にしなくていい。何より、ルーナの民を不安にさせたままにはしたくない」
リンは微笑みながら告げた。
出口が近づく。
外へ出ると、城門の前にはおびただしい数の人々が押し寄せていた。
現れたイーサンとリンに人々が息を飲む。
イーサンのよく通る大きな声が響いた。
「聞け!!ルーナの民よ!ルーナの女神はこの通り無事だ!サンズ国が騎士、赤獅子イーサン・ランカスターがお救い申し上げた!!」
イーサンは叫んだ後に、リンを民衆に見えるように少し前に出して、ぐるりと下を見回す。
どおっと歓声が上がった。
「「「女神が無事だ!!」」」
「「「赤獅子に感謝を!!」」」
続いて、リンの名前とイーサンの名前が何度もコールされる。
「「「カリン・ネザーランド万歳!!」」」
「「「イーサン・ランカスター万歳!!」」」
割れるような歓声にリンは胸が熱くなる。
ルーナは滅びだわけじゃないんだ、と思った。
滅びてない、王都は無事だし、民も居る。自分はこれからもこの人達の為に剣を振るえばいいのだ。
幸い、騎士の誓いをした自分を抱くこの男は信頼に値する男だ。この男の側で自分は新しいルーナに尽くせばいい。
リンはイーサンにお願いして、下に降ろしてもらい、城壁の縁に近づく。
片手を上げると、人々が鎮まり、リンもよく通る声を響かせた。
「皆、私の為に集まってくれてありがとう、感謝する!ルーナの王家は無くなったが国が無くなった訳ではない!あなた達がいる、生きてくれていて本当に良かった!」
わあっと歓声が応える。
再び沸き起こる2人の名前のコールと、女神と赤獅子のコール。
リンはしばらく手を振って応え、落ち着いた頃合いを見て、人々に各々の家に帰るように促した。
***
「私達も戻ろうか」
集まった人々に再度、礼を言った後にリンが言うと、イーサンは当然のように、再びリンを抱きかかえた。
「ちょ、イーサン?歩けるぞ?御披露目も終わったし抱える必要なくないか?」
「あのなあ、俺にあっさり身を拐われてる時点で、お前は本調子じゃないだろう。大人しく運ばれるんだ」
「本調子でないだけで、歩けるんだが」
「煩い、どれだけ心配したと思ってる」
ぐるる、と獅子の唸り声が聞こえてきそうな様子のイーサンだ。
「……心配していたのか」
「当たり前だ」
当たり前か?
敵国の騎士だぞ?
大丈夫か?お人好しか?
「………」
しばしの沈黙の後、イーサンが低い声で聞いてきた。
「リン、あの看守に何をされた?」
「それ聞くか?ファビウスですら遠慮したぞ」
「想像してしまうより、聞いておいた方が楽だ」
「想像するなよ」
「簡単にでいい」
「……主な所では、食事を抜かれた。水を床に溢して飲めと言われた。性的な所では着替えの時は体を舐めるように見られて、尻を触られた。さっきは体中を触られて耳を舐められた。うっ、言語化すると、すごく気持ち悪いな。あんな風に組み敷かれたのはさっきが最初だ」
イーサンの手にぐっと力が入り、殺気が放たれた。
殺気まで出すとは、ものすごく怒ってくれるんだなあ、とリンは思う。
てか、問答無用で実際に殺したもんな。
そろりとイーサンの顔を窺うと、その瞳にはどす黒い怒りの影が差している。
この男はサンズの公爵家の令息だ。騎士でもあるのだし、きっとレディ達を優しく守るお上品な世界で生きてきたのだ。
ここまで怒るのは、リンが何かされたからというよりも、女性が虐げられた事について憤っているのだろう。
「あんまり気にするな」
「お前はもう少し、気にしろ」
ほとんど唸り声でイーサンが言う。
「あー、ところで、ルーナは落ちたのかな?」
雰囲気が重たいのでリンは話題を変えた。
「都に入る前から落ちていた、国王は城を捨て、軍のトップは自分の屋敷で自刃していた。騎士団も城の警備も機能していなかった」
「落ちる時はあっさりだなあ」
リンは自刃した総帥の事を思って、ほんの一瞬だけ目を閉じる。
「玉座では宰相と王妃が膝を折って待っていた。軽く拘束してある」
「そうか、こんな事を言えた立場ではないが、王妃は不運な方なんだ、出来れば温情を」
「それを決めるのは俺じゃない。明日にも、サンズの本軍が到着する、指揮するのはうちの第三王子だ。彼が決める」
「そうか」
「……自分のことは気にしないのか?」
「私か?」
「ああ」
「どうなるんだ?」
「王都もそうだが、都までの民衆の反応で、お前が生きてさえいればサンズとしては全力で保護し、こちらの手の内に納める事が決まっている。
“自身の騎士道と身を捨てて、民の為に降伏を説得した女神”として、サンズ軍は民衆から何度もお前の救出と命乞いをされた。サンズの騎士達の中にも心棒者が出てきている始末だ。元々、敵であっても、女騎士からはカリン・ネザーランドの人気は絶大だったしな。
人気が有りすぎる、お前に何かあればルーナの民は黙っていないだろう」
「人心の掌握の為に、保護すると」
リンの要約にイーサンはまた不機嫌そうになった。
「それだけじゃない。お前は俺の騎士だ、守るのは当然だろう」
「え?逆じゃないか?」
私がお前を守るのでは?
「そもそも、サンズはトップと中枢以外の粛清は考えていない。ルーナを征服する旨味はないんだ、金を貰って有利な条約を結ぶ。統治はサンズの者がする事になるだろうが、罪のない騎士や貴族を処分はしない」
「それはありがたいな」
「お前には城の客間を用意して、医師の診察を受けてもらう。抵抗や怪しい動きをしなければ、安全は保証する。監視は付ける」
イーサンは塔から降りると、そのままリンを城の客間へと運んだ。
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