9.休息

イーサンに抱えられたまま、城内を進む。

リンが地下牢に入る前から、戦況の悪化により田舎に実家があるような侍女や文官が去っていたので城内は荒みつつあったのだが、今は更に荒れていた。


調度品の壺が倒れ、絨毯はめくれたままで、絵画は傾き、鎧からは冑と剣が取り去られている。


そんな中をサンズの騎士達が、一部屋一部屋あらためていた。


「荒れているな」

「俺達が荒らした訳ではないぞ」

「分かっている、国王は1週間前から不在だったはずだ、警備も手薄で盗人も入っただろうな、侍女や文官は無事なのだろうか」

少なくない者達が、まだ敷地内の官舎で暮らしていたはずだ。


リンの心配には、隣を歩くシアが答えた。

「それについては、国王が逃げた時より王妃殿下が暇を出していましたので、残っている方は少なく、王妃の住まいである離宮に集まって身を守っていたようです。

王妃はサンズの本軍が明日には到着しそうだという情報も掴んでおられ、昨日、まだ残っている者には今日中に城から出ておくように伝達もされてました」


「よかった。そして、なるほど」

ほっとするのと同時にそれで監守は今日、痺れを切らして自分を組み敷いたのだな、とリンは納得する。

そういえば、「もう、お前を愛でるのは今日しかないからな」と囁かれた、耳元で。

そして舐められた。

あれも、気持ち悪かった。


何となく耳を拭うと、「まだ血がついてるのか?」とイーサンがリンを抱えながら器用に袖口でゴシゴシしてきた。

気持ち悪さが引いていく。


「すまない、ありがとう」

素直に礼を言ったのに、目を逸らされる。

赤獅子の不機嫌は続いているようだ。

まあ、降伏したとはいえ敵国の城だし、ピリピリするよな、とリンは懐を深くして納得しておく。


「じゃあ、今は城にはほとんど誰もいないんだな」

「現在、城内に居るのはサンズの軍と、王妃殿下付きの侍女と私兵が数名ずつ、あと宰相だけです」

「そうか」


「また、王妃殿下ですが、リンが地下牢に入れられている事を御存知なかったようです。降伏の軍と共に辺境へ行ったと知らされていたようで、しきりにあなたを気にされてました」

「陛下ならそう伝えただろうな」

国王はリンが王妃と親しくなるのをかなり警戒していたのだ。

騎士からも民からも人気のある女神を取り込まれたくなかったのだろう。


「知っていたらすぐにでも出したのにと」

「あの看守ではなあ」

陛下の命がないとダメです、とかごねただろう。

それに王妃はリンどころではなかった筈だ。夫である国王が逃げ混乱する中、サンズの軍勢の様子を探り、王都と城のいく末を思案しながら城内の使用人達の身の振り方を差配し、我が身の事なんて気にする余裕もないまま公務もギリギリまでこなしたに違いない。

あの方は本当に、苦労ばっかりだ。

サンズの第三王子が温情溢れる方だったらよいのだが……。


「お待ちしておりました、こちらです」

そこで、前方より声がかかった。

前方の廊下には年配の小柄な侍女が1人、姿勢を正して待っていた。

リンの知っている顔で、確か、王妃付きの古参の侍女だ。きっと何があっても王妃と運命を共にするつもりで残っていたのだろう。


「お部屋は先ほど、騎士様方によって安全が確認されております。わたくしが中を整えました。風呂に湯も張っております」

年配の侍女はリンが五体満足な様子を見て、ほっとした顔でイーサンに告げた。


風呂に湯、と聞いて嬉しくなるリンだ。

いちよう男爵令嬢ではあるリンだが、暮らしぶりは平民だったし、騎士に憧れてからは令嬢どころか娘らしい事すらほとんどしてこなかったので、肌を磨くことには興味はない。

でも、もちろん清潔ではありたい。

なので、風呂は嬉しい。


風呂だあ、とほくほくしながら侍女の案内で部屋に入ると、イーサンはやっとリンを腕から下ろしてくれた。

「ふう、自由だ」

ぐるぐると腕を回し、足で床を確かめる。


「リン、あなたはまずは湯浴みしましょう、その後、医師の診察を受けてください」

「分かった」

「俺は診察が終わる頃にまた来る」

イーサンはそう言って部屋を出ていく。シアは部屋に残るようだ。


年配の侍女が湯浴みの手伝いはいるか、と聞いてきたので、リンは断った。


騎士なので身の回りは全て自分でするのが基本だし、背中の鞭の傷は侍女を驚かせてしまう。


リンは1人で浴室に入ると、服をそろりと脱いだ。背中の膿んでいる箇所は血と体液が滲み、布がこびりついているので、そっと剥がす。

まあまあ痛いが仕方ない。


それからまず体と頭を洗った。リンの髪は横は耳が隠れるくらいの長さしかなく、襟足はうなじが見えているくらいに短い。こういう時、髪が短いのは便利だ。

洗い終わってから湯に入る。

入った瞬間は背中の傷が痛んだが、じんわりと馴染み、リンはゆっくりとバスタブで体を寛げた。


はああ………………久しぶりだ、天国だ。

リラックスすると、ぐぅ、と腹も鳴った。

後で何か食べ物をお願いしてみようと思う。乾パンくらいならくれるだろう。


存分に風呂を楽しみ、用意されたシャツとズボンを履いて浴室から出ると、シアはすぐに医師を呼んだ。


医師により、心音や脈が確認され、少し体温が高く熱がありそうだが、それ以外に体調の不調や怪我はないか、と聞かれる。


「あー、背中に傷がある」

隠してもしょうがないので、そう告げてシャツを捲り上げると、医師が顔をしかめた。

シアと年配の侍女も険しい顔つきになる。


「リン、鞭の痕ですね、それは誰が?」

冷え冷えとしたシアの声だ、その涼しげな目元はいっそう涼しくなっている。


「国王だ」

リンの返答に、年配の侍女が「あのクソ野郎」とぼそりと呟く。


「しっかり膿んでますな、右の肩甲骨の辺りと左の腰の辺りが特にひどいです。すぐに消毒して薬を塗ります。熱はこの傷口からきているのでしょう」

医師はしかめた顔を元に戻して淡々と診察した。


背中の傷の処置を終え、ベッドでうつ伏せで過ごしていると、イーサンが入ってきた。

鞭打ちの事は医師から告げられてたようで、もちろん、怒っていた。


「背中の傷は誰がやったんだ」

本日は唸りっぱなしのイーサンだ。


「国王だ」

「あのクソ野郎」

ギリギリと唸り、そんなイーサンに年配の侍女が深く頷いて同意している。

さっきの侍女の呟きが甦り、深く頷くその様子がおかしくて、緩みそうになる口元をリンは一生懸命引き締めた。今、笑ったら絶対にイーサンに怒られる。


「なぜ手当てせずに放ってたんだ」

「いや、すぐに地下牢だったし」

「くそ、とにかく、薬を飲んで寝ていろ」

イライラしながらも、イーサンはなんやかやとリンの世話をし出す(水差しの水を替えて、医師から薬の説明を受けて、それを飲む順にならべてベッドサイドの机に並べてくれた)。


イーサンは降伏した敵の城に一番乗りした将軍だ、どう考えても絶対に忙しいのだが。


こんな事、してていいのか?

薬を並べて、これが昼、こっちが夜の分で、ここは明日の朝だ、と言い含めてくるイーサンをリンはまじまじと見る。


「おい、聞いているか?」

「大丈夫だ、聞いてる、昼と夜で、そっちが明日だろ」

「ああ、ちゃんと飲んで、寝るんだ。俺はもう行くから」

やはり実際に忙しいようで、薬を並べ終わるとイーサンはすぐに部屋を出ていった。



パタンと扉が閉まる。


「なあシア、お前の上司は少し、怒りっぽすぎないか?落ち着きも無さすぎる。あれで団長とか将軍とか務まるのか?」

嵐のようだったイーサンの訪問を振り返ってリンは言う。


「………普段はもう少し落ち着いてるんですけどね」

「そうなのか?はは、想像できないな。まあ優しいことはとにかく優しいから、部下には慕われるんだろうな」

「あー、普段はあそこまで優しくは……」

「うん?」

「何でもないです、リンは何か食べた方がよいです。携帯食や乾パンになりますが、持ってきますね」

「ありがとう」


そうして、リンは遅めの昼食を摂り、うとうとした後、夕食も摂り、またうとうとと眠りについた。


夜半は熱のせいで寝苦しく、何度か起きてしまい、明け方に起きた時は、せっかくなのでスクワットをしたのだが、付きっきりだった年配の侍女に憤怒の形相で止められた。



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