10.側妃?

「思ってたより、小柄な人なんだね」

客間のベッドで眠るアッシュグレイのショートカットの女を見て、サンズの第三王子ライアン・サンズは言った。


「女神とはいえ、軍神と聞いていたからシアを更に一回り大きくしたような女性を想像してたんだけどね」

ふふふ、と柔らかな茶色い髪の甘い顔立ちの王子はシアを振り返って笑う。


「さすがにそこまで大柄な女性はいないでしょう」

イーサンが答えると、ライアンはいやいや、とかぶりを振った。


「私が子供の頃、まだルーナと国交があった時にやって来たルーナの使節団の中に、とても大きな女性の騎士が居たよ。絶対にシアより大きかった」

「それは、殿下が小さかったからそう見えたのでは?」

「一緒にいた男性の騎士を見下ろしていたと記憶してるんだよねえ、名前何だったかな、シーラとかそんな感じの名前……うーん、思い出せないな、まあ、いいか」

ライアンは諦めて、リンへと目線を戻す。


「イーサン、女神はきっと美人だね」

「………」

イーサンは、リンが美人だという事には同意できたが、ここでそれを言うのは躊躇われた。

リンはきっと嫌がるだろう。


「あ、ごめん、怒った?女性が寝ている時に外見を値踏みするような事はよくなかったね」

「いえ、そんな事は」

「あるんだろう?」

「まあ、はい」

歯切れ悪く同意すると、ライアンがおかしそうに笑う。


「ふふ、君は素直でいいね。しかし、女神殿も熱があるのに体を動かそうとするとは、すごいな」


「背中の傷からの発熱で、最近はずっと微熱が続いていたようです。熱で眠れていないようなので、今は薬で眠ってもらっています」


昨日、城門でリンを抱きかかえた時に、体が少し熱いような気はしたのだ。


客間に運び医師に診察させると、背中に鞭で打たれた傷があり、一部が膿んでいた。

リンを問いただすと、国王に打たれたのだという。

絶対に逃げた国王を見つけてぶち殺してやる、と思ったイーサンだ。


「なぜ手当てせずに放ってたんだ」

「いや、すぐに地下牢だったし」

怒るイーサンにリンは淡々と答えた。

リンに会ってる間の自分は怒ってばかりな気がする。


医師は膿んだ傷のせいで熱もあると言い、そしてリンは、「確かに体がだるいが、最近はずっとこうだったし気にするな」と言いやがった。


「つまりずっと熱があったんだろう、なぜすぐに言わない?城門まで引きずり回してしまったじゃないか」

衆目に晒して、大声まで出させた。

かなり負担だったに違いない。


「移動はずっと、シアとイーサンの抱っこだったぞ?」

「そういう問題じゃない。抱っこだろうと疲れるものは疲れるんだ」


そんなやり取りをしてから、医師に解熱剤と傷に効く薬の説明を聞き、きちんとベッドサイドの机に並べて、飲んで休むように念を押した。


しかし、傷からくる熱に解熱剤はあまり効かなかったようで、付かせていた侍女から「熱で昨晩はあまり寝れていないようです、起きてしまったからと早朝よりスクワットもされてました」と本日朝に報告を受けた。


はあ?!スクワットだと?!

飽きれてもはや、本人には怒る気にもならなかったイーサンだ。


地下牢で久しぶりに見た時から悪かったリンの顔色は、もちろん今朝も悪いままで、強制的にでも睡眠を取らせた方がよい、と医師とシアにも相談して朝食に一服盛って眠らせた。



そして昼前にサンズの本軍が王都に到着し、此度の指揮官、ライアン第三王子殿下が城に入る。


ルーナでのサンズ軍の全権を任され、ルーナ国の処遇についても一任されているライアンは、その優しげな物腰と可愛らしいとも言える顔とは裏腹に、サンズ国内では第一王子である王太子に匹敵する器と言われており、王太子の華やかさはないがその代わりに腹黒さがある23才の若き太陽だ。


ルーナの国王に成人している子供はいない。

元々、子供は側妃との間に1人だけしかおらず、その子はまだ10才だ。国王が逃げた今、ルーナの国を治めるのはライアンになるのだろう。

サンズの国王はそのつもりでライアンを指揮官に据えたのだろうし、ライアン自身もその気だ。

そして、イーサンも含めてライアンに付き従っている者達は新天地でのライアンを支えるべく選ばれた者達で、爵位を継ぐ必要のない次男や三男がほとんどだ。


「イーサンのお陰で、ひとまず民からは歓迎してもらえたよ」

ライアンは城でイーサンが出迎えるなり、そう言った。

サンズ軍はルーナ国内の行軍中、略奪行為は一切しなかったし、ルーナの国王の人気は元々低かった。さらに昨日、イーサンがルーナの女神であるリンを救いだした事もあって沿道は歓迎ムードだったらしい。


そして、ライアンは城に着くとすぐに、王妃と宰相に面会し、今、そのままリンの元へも来たのだ。


もう昼過ぎだがリンはぐっすり眠っている。イーサンはライアンに、リンが薬で眠っている事を説明しながらリンを見て、その頬に赤みが戻っているようでほっとした。



「その状態でも鍛練するなんて、きっと私の手には負えないなあ、しかしこの国民人気では手放してあげる事も出来ないんだよね」

ライアンはしげしげとリンを見てから、少し考え、「ねえ、イーサン」とイーサンに呼び掛けた。


「はい」

「私達はルーナを制圧した。でも大変なのはここからだ。私達にあるのは武力だけで、これだけで国は治められない。

政治的な勢力が必要だけど、ルーナの貴族と要人を全て差し替える訳にはいかない、元々、小国の集まりだったルーナの統率は難しいしね。既存の勢力を引き込んでやっていくしかないんだけど、ルーナの貴族達はぽっと出の私にすぐには協力しないだろう」


「殿下の人柄と手腕を知ってもらえれば、可能かと」

「それには時間がかかる。今のルーナには、弱い勢力が2つある。王妃に付く王妃派と呼ばれる貴族達と、今までは一番大きかった国王派と呼ばれる貴族達の約半分を宰相がまとめている旧国王派。国王派の残り半分は様子見で中立派だね」

「王妃派か、旧国王派、どちらかと親しくなるのですか?」


「そうだね、でもさっき話した感じだと宰相は悪人ではないけど、権力への欲が大きそうだった。駆け引きとしての政治を楽しむような様子だったし個人的に好きにはなれない。旧国王派は叩けば出てくる埃も多そうなんだ。だから私は王妃を取り込もうと思ってる。あとこのカリン・ネザーランドも」

ぴくり、とイーサンの眉が上がる。


「彼女の民衆人気はすごいからね。女神をサンズ側に取り込めば、民の人気を取りたい中立派を引き込めると思う。さて、前置きが長くなったんだけど、イーサン」


「はい」

「君、女神を妻に貰わないか?」

「はい?」

イーサンの心臓がどくりと音を立てた。


「お戯れを」

「でも、彼女は君に忠誠も誓ってるんだろう?何かあるんじゃないの?」

「あれは成り行きでした事で、何もありません。私は融通もききませんし、女性を扱うには不適でしょう」

イーサンは出来るだけ平静を装って答えたが、ライアンには動揺がバレてる気もした。


リンを妻に貰わないか、と聞かれて一瞬体が熱くなった。

貰ってしまえ、と思う自分もいた。


まずいな…………これは、まずい。


たぶん、俺はこの女神に惚れているのだ。


いつからかと考えると、剣を合わせた時から。

あの時はリンの事を少年だと思っていたから、厳密に言うと、リンが女性と分かって言葉を交わし、その強さを知り、時を遡って剣を合わせた彼女に惚れたのだ。


だからリンの恋人らしいファビウスと対峙した時は、無意識に張り合ったし、おそらく嫉妬もしていた。

たぶんではなく、確実に惚れている。

リンは惚れないのがおかしいくらい、見事な女で騎士だ。だから惚れたのは仕方ない。


仕方ないが、自分がリンを手に入れれば、きっと今の恋人との逢瀬は許さないだろう。

そんな器用な事が出来るとは思えない。それは双方にとって不幸だ。


「そう?昨日も一番に地下牢まで助けに行ったんだよね?」

「城門に民衆が押し寄せていましたので」


「じゃあ、そういう事にするけどさ。でも考えておいてよ。私はとりあえず今の王妃と結婚してこの国の王になる。

そしてこの女神人気は放ってはおけないから、このままなら手っ取り早くカリン・ネザーランドを私の側妃にするんじゃないかな」

ここでライアンがちらりとイーサンを見てきた。さっきとは違う様子で、イーサンの心臓が脈打つ。


「彼女に側妃が勤まるかは微妙かと、素晴らしい騎士ですが」

完全に動揺が声に出ていた。

情けないが、「妻に貰わないか」からの「即妃にするんじゃないかな」の連続攻撃で全然余裕はない。

確実にライアンには伝わったようで、腹黒王子が美しい笑みを浮かべる。


「もちろん分かっているよ、象徴的な側妃だね。女神が私を相手にしてくれるとは思えないし、宮を与えて自由にしてもらうよ。式典の時に正妃とともに私の横に立ってくれればいい」

「なるほど」

ライアンの言葉にイーサンは少し落ち着きを取り戻す。

そういう事なら、リンは窮屈な思いはするだろうが、不幸というほどの境遇にはならないのでは、とも思う。ライアンならリンと優男の事も目をつぶれる。


「でも私は、私より君の方が彼女と話も合うと思うんだ。女神をサンズの公爵家の次男で赤獅子将軍の正妻に出来るなら、そちらでも申し分はない」


「話は合うでしょうが、先ほど言ったように、私は殿下のように融通がききません、不向きです」

話が合う、程度の女なら構わないのだ。

貴族なのだし、政略的な結婚に嫌悪はない。

惚れてしまっているのが問題だ。

ライアンなら、ある程度リンを自由にさせるだろうが、惚れてる自分では無理だ。


しかもリンは敗戦国の騎士で、側妃の話ももちろんだが、自分との結婚も断れる立場ではない。


「ふーん?ねえ、私もそこは分からないけどさ、情報の裏は取った方がいいよ?」

「そことは?どういう事ですか?」

「それは、自分で考えよう?」



「次は、起きてる女神とも話してみたいな。側妃の話は、話が進むにしろ王妃と結婚してからの事だから秘密にしてね、逃げられると困る。そして、私は私よりイーサンの方がいいと思うんだけどね」

ライアンはそう言って、リンの部屋を後にした。




「お受けしないんですか?」

ライアンが出ていって、シアがやっと口をきく。

この感じ、自分の気持ちはこの副団長にも気付かれているようだ。


「受けられるわけないだろう、彼女は断れないんだぞ」

「殿下に取られても?」

「殿下に取られるというかだな」

もう、あの金髪の優男に取られてるんだ。


「殿下なら、彼女を優しく見守る事も出来る」

俺は優しく見守るとかは出来そうにないな、とイーサンは思った。



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