33.休暇二日目
目を覚まして、窓を見やるとぼんやりとしか明るくないが、これは曇天のせいであって時刻は朝の遅い時間のはずだった。
また寝過ごしてる。
そう思ってリンがごそごそと身じろぎをすると、リンの体にゆるく回っていた男の腕に力が入った。
「行くな」
寝ぼけた声でイーサンが言う。
「イーサン、そろそろ起きないか?このままでは昨日みたいに昼になってしまう」
昨日、ようやく2人が起きたのは昼過ぎだった。今日はそれは避けたい。
今朝は、リンとイーサンが揃って3日の休暇をもらったその2日目の朝で、ここは城から近い小ぢんまりとしたタウンハウスだ。
2人の結婚に合わせて急遽購入した中古の家具付きの家で、リンとイーサンはその2階の主寝室のベッドの中にいる。
休暇1日目の昨日は結局、その前日の夕方から新居にやって来てしまったせいで、熱い夜を過ごすことになってしまい、ベッドから出たのは昼過ぎだった。
そこから、だらだらと風呂に入り、夕方に昼食か夕食かよく分からない食事を食べて水回りや屋敷の周囲の点検をしていたら日が暮れたので、夜食を用意してもらって再び寝室に引っ込んだ。
そこからは、まあ、あれだ。
また何となくいちゃついて、ずるずると、あれだった。
自分のせいではあると思う。
こう見えてリンは、私的な空間では好きな男にちゃんと甘える。
昨夜はイーサンに抱えるように座ってもらいながら、夜食を摘まみ、酒をちびちび飲みながら振り返ってはキスをねだった。
どこかのタイミングで、啄むようなキスが深くなり……後はセオリー通りだ。
そして、今朝になっている。
既に昼前だ。甘えてる場合ではない。
もちろん、まだ引っ越しは完了していない。
とりあえず運び込んだだけの荷物は、住み込みのメイドが荷ほどきしてくれたままになっている。
「今日こそはちゃんと、まず朝食を摂ろう」
そして、荷物の整理をしたい。
リンは強く回されたイーサンの腕をどかしてベッドから出ようとしたのだが、素早く腰に腕を回されて強制的にベッドに寝かされると、そのままイーサンに抱き締められた。
「いやだ」
「えっ、おい」
普段ならこんな拘束、無理矢理抜け出して好きにはさせないのだが、拘束してきている相手は愛しい男で、ここは新婚夫婦の寝室のベッドの上なので、暴れるのは無粋だと思う。
それに嫌ではない。リンはしょうがなく一旦可愛くイーサンの腕の中に納まってやった。
「なあ、寝ぼけてるのか?」
「寝ぼけてない。休みを合わせるなんて、しばらくは難しいんだ、今の内にゆっくりしたい」
イーサンがリンの頭頂部に顔を埋める。
「あっ、匂いを嗅ぐなよ」
すんすんと吸われる感触があったので、慌てて止めた。
「なぜダメなんだ?」
「なんか恥ずかしいだろ」
「恥ずかしいのか?」
少し楽しそうになるイーサンの声。
「うわ、変なスイッチいれるなよ?さ、起きよう、イーサン。ベラにだらしない夫婦だと思われる、ニッキーにも変に思われるだろ」
ベラは住み込みのメイドで、ニッキーはその連れ子だ。
この小さな屋敷には現在、リンとイーサンの他に、ベラとニッキーの親子と、庭師兼護衛のジャンという初老の男が暮らしている。
イーサンは伯爵として領地の管理も行う事になるので、ゆくゆくは簡単な事務や会計が出来る者も雇う必要があるのだが、屋敷の購入も引っ越しも急だったのでそこまでは手が回っていない。
「ベラなら、貴族の屋敷で働いていた経験がある。こんなの慣れてるだろう。ニッキーも12才なんだ、きっと心得ている」
「でも、こういう私生活が丸わかりなのは、私が慣れてないんだ」
「俺は慣れている」
「うわ、お坊っちゃんめ」
そういえば、これは公爵家令息だった。
「なら私だけでも起きるから」
「それは絶対ダメだ」
「ええー」
「はあ、お前は分かってない。あの朝、目を覚ましたらリンがいなくて、朝一番に行ったお前の執務室は綺麗すぎるくらいに片付いていて、机の上には分かりやすく、報告書と引継書が置いてあったんだ、絶対に取り逃がしたと思って絶望した」
あの朝とは、リンが夜這いした翌朝の事なのだろう。こっそり抜け出した事がトラウマみたいになっているのだろうか。
「大袈裟だなあ、それに取り逃がしたってなんだよ、犯罪者じゃないんだぞ」
「総帥の部屋で見つけた時は、本当にほっとしたんだ。それにしても思い起こすと、リン、あの時も俺に何の相談もなかったよな」
イーサンが不機嫌になる。
「悪かったよ、話が話だったからさ。ちゃんと落ち着いたら手紙くらいは送るつもりだったんだ」
「本当か?」
「嘘ついてどうするんだ」
「とにかくあれを思い出すから、朝、俺を置いていかないでくれ」
今度は少し寂しそうだ。
イーサンがいつもより子供っぽい気がする。
やっぱり寝起きでまだ寝惚けているんじゃないだろうか。
「なあ、じゃあ一緒に起きよう。私は腹も減った、きっとベラは朝食を用意してくれてると思う、起きよう、起きて朝ごはんにしよう」
リンがそう訴えながら手を伸ばしてイーサンの頭をナデナデすると、はあ、とため息が降ってきた。
「可愛い……俺はもう少しリンを味わいたい」
イーサンが官能的な手つきでリンの背中を撫でる。
このままいけばすぐに、リンはまた熱い体に抱き締められて、余裕なく自分の名前を呼ぶ赤獅子を見られるのだろう、それはそれで魅力的だが、ここで流されては昨日と同じ展開になってしまう。
今日こそは、健全な1日を過ごしたい。
もう昼前だけど、今からでも。
「私はイーサンはお腹いっぱいだ」
「そんな事いうなよ。あれくらいでへばってる訳がないだろう」
「でも、お腹すいた」
口を尖らせて少し幼い様子で、強めに見上げて訴えたのは逆効果だったらしい。
ぎゅっと更に強く抱き締められて、耳元で「俺が満たしてやる」と囁かれる。
完全に熱の込もったその声に、これは本格的にヤバイとリンは思う。
そこからリンは本気で抵抗して、本日は何とか朝の内にベッドから出る事に成功した。
***
「あらまあ、おはようございます。本日もゆっくりかと思ってたんですが」
リンとイーサンがダイニングへ降りていくと、鼻歌を歌いながら掃除をしていたベラが驚く。
ベラは30代の陽気なバツイチの婦人で、夫とは夫の浮気が原因で離婚し、女手ひとつで娘のニッキーを育てている。
屋敷の住み込みメイドの急な募集に、娘も伴って住めるならと手を上げてくれた。
「お待ちくださいね、簡単な朝食なら念のために用意しておいたんです、ニッキー!ニッキー、すぐに朝食の用意を」
ベラは慌てて厨房へと駆け込んで、パンとスープを持ってきてくれた。
少し遅れて、ニッキーが「私が焼いたの」と照れながらオムレツを持ってきてくれる。
この少女は物怖じしない性格で、昨日、顔合わせした際には「本当に女神と赤獅子だわ…!」と本人達を前に感嘆してベラに怒られていた。
今も自分のオムレツをリンが食べるのを固唾を飲んで見つめている。
リンがオムレツを口に運び、「美味しいよ、ありがとう、ニッキー」と礼を言うと、きゃあっと顔を赤らめてダイニングから出ていった。
コーヒーを運びながらその現場を目撃したベラが「ニッキー、何て態度なの!」と怒る。
朝から平和だ。
朝食の席ではイーサンが、今さらながら、結婚を強引に急ぎで進めた事について気にしている。
もう結婚してしまっているのに今さらだ。
リンは笑いながら気にするなと言い、パンとスープを食べる。
今日こそは荷物の整理が出来そうだ。
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