24.自覚

そして舞踏会当日、リンは午後から城の客間の一室で、シルビアさんを筆頭に侍女の方達に磨きあげられた。


「まあ、お肌の艶もちゃんとありますね」

「髪の毛もサラサラです。短いのがもったいないわ」

「さすがネザーランド団長、贅肉なんて、一欠片もありませんね」

「こういう、うっすら割れた腹筋もいいものですえ」

「肩も素敵なラインです。ガチガチの筋肉質ならどうしようかと思ってましたが、これなら大丈夫」


侍女達は、シルビアさんに嗜められながらも、きゃっきゃっしながら、リンを風呂に入れ、髪の毛を丁寧に洗い、何やらいい匂いのする香油を塗って、ドレスを着せ、髪をセットしてくれた。


こういうお世話をされるのは初めてで、浴室にたくさんの侍女が入ってきた時はぎょっとしたのだが、手慣れた様子で作業は進められ、途中からは慣れてしまった。騎士団の女子寮では、団長になるまでは相部屋で風呂も共同の浴場だったので、あまり抵抗はない。


「シルビアさんは、王妃殿下の準備はよかったんですか?」

仕上げの薄い化粧をしてもらいながら、シルビアさんに話しかける。


「妃殿下の準備は心配いりません。ネザーランド団長の方が気がかりでしたし、こんな機会はもう無いでしょうから、立候補いたしました」

シルビアさんは、リンの唇に仕上げの紅を乗せ、自分の仕事に満足したように頷いた。


「立って、全身を確認してください」

促されて、リンは姿見の前に立つ。


ドレスを纏った自分がそこに居た。


淡い青色のドレスは、肩は出るが、首もとは鎖骨が出ない浅いカットになっていて、ふんわりと余裕がある柔らかな生地はウエストで軽く絞られている。

ウエストからは、コルセットを着けなくてよいように緩やかに体に沿うようなラインで、裾にかけては、要望通り、走れるように広がっていた。


イヤリングと髪留めは暗いルビーだ。


鏡の中のイヤリングにリンは目を細める。

この暗いルビーはどう見ても、イーサンの髪色だと思う。

でも、ドレスの青だって、ライアンの青灰色の瞳だと取れるし、まあ、そういう事なんだろう。

何だかむず痒いが仕方ない。


「立ち姿は少々凛々しすぎますが、仕方ありませんね。美しいことは美しいです。お隣はランカスター団長ですし、そんなに気にならないと思います」

シルビアさんが、やりきった顔になる。


「はい、自分で言うのはなんですが、なかなかです。シルビアさんのお陰ですね」

リンとしても鏡の中の自分は合格点だ。悪くない。

こうやって着飾るとしっかりと女神っぽいではないか。


ドレスもアクセサリーも特に興味はなかったが、この非日常感は少し楽しい。

なるほどな、これはたまに着てみたくなるかもな。

ドレスを着て夜会に参加する女騎士達の気持ちが少し分かった気がする。


でも、足はすーすーするし、腕が全部出ていて、変な感じだ。自分が自分じゃないみたいで心もとない。


何だか、気持ちがふわふわしてしまって、年甲斐もなく、ドレスの裾を捌いて遊んでいると、ノックの音がして、イーサンが入ってきた。

入ってきたイーサンにリンは、ほうっと息をはく。


本日の赤獅子は、絶対にオーダーメイドの上質な燕尾服に身を包み、鍛えられた胸板や腕のラインが騎士服の時より艶かしく、足もいつもより長く感じる。

普段は無造作に流されたり、縛られているだけの赤茶色の髪の毛はきれいにとかされ、セットされてリボンで纏められていて、さすが公爵家令息、匂い立つ色気だ。


ばっちり、色っぽいなあ。

リンは惚れ惚れとイーサンを見た。

これの隣に立ったら自分なんて霞みそうだ。

その髪の毛のリボンをほどいてみたいな、と思う。


そのイーサンはというと、入ってきたままリンを見て身動ぎもせずに立ち尽くしていた。


「イーサン?」

ここは、ファビウスなら絶対に「美しい」と褒める所だ。自分では、良い出来だと思ったが、そうでもないのだろうか。

リンはイーサンに近寄ると、くるりと回ってやった。

「どうした?なかなかだろう?一言くらい褒めるべきじゃないか?」


「…………」

「イーサン?」

あれ?


イーサンの顔が赤くなる。


「なかなか、なんてものじゃない。その、とても、素敵だ」

イーサンは赤い顔になって、目を逸らしながらそう言った。

リンまでつられて赤くなってしまう。


「イーサン、単純すぎないか?」

「誰しも、同じ感想を抱くと思うが」

何とか揶揄かうように言うと、赤い顔のまま恥ずかしそうにこちらを見ながら返された。

なんだこれ、調子が狂う。

リンの顔から熱が取れない。


「そ、そうか?」

変だ、動揺している。


「ああ、行ってみれば分かる、お手をどうぞレディ」

まだ少し赤いまま、でも身に染み付いた洗練された動きで、すっとイーサンの腕が差し出された。


「あ、えーと、こうか?」

エスコートをした事ならあるので、その時の相手の令嬢の様子を思い浮かべながら、手を沿える。

燕尾服の袖の下のがっしりした腕を感じて、リンはドキドキしてしまう。


あれ?


纏うのが騎士服ではなくて、ドレスだからなのだろう、心がいつもより無防備だった。イーサンの反応に調子が狂ったせいもあったかもしれない。

リンは、完全にイーサンを意識している自分に気付く。

ちり、と暗いルビーのイヤリングを熱く感じた。


おっと、これは、マズイぞ。


出会った当初より、自分がイーサンに好意を寄せている事は知っていたが、出会った時は敵国の将軍だったし、戦争が終わってからは、戦勝国の公爵家令息で未来の国王の側近で、イーサンはリンの手には入らない男だった。


だから、好意は好意のまま、大きくならないようにしていた筈だった。


顔と体が好みの男

剣も自分と互角の男

素直で単純で優しい男

それだけにしていたつもりだったのだが、いつの間にか、随分と好意は大きくなっていたようだ。


リンは26才だ。恋をした事くらいはあるし、何なら大人の火遊び的なものも少しした。団長になってからはうかつに手を出せないし、出されなくなったので最近はすっかりご無沙汰ではあるが、自分の恋くらい分かる。


あ、これ、完全に好きなやつだ。

心臓の音がいきなり煩くなった。


しかも、今までの恋と比べると郡を抜いて本気だ。

ヤバイ、これ、かなり好きなやつだ。

気付いてしまうと、胸がぎゅうっと苦しい。イーサンの腕に触れてる手が熱い。さっさとこの腕で抱き締めて欲しくなる。


うわあ、マジか?!

あれ?何でだ?何で、こんなに本気だ?

びっくりして、リンは考える。


出会いが特殊だったからか?

剣が強いからか?

地下牢から助けられたからか?

やたら優しかったからか?

決勝で濃密な時を過ごしたからか?


全部のせいかもしれないし、最初からかもしれないが、どうやら、今までで一番本気だ。


うわあ!

落ち着け、落ち着こう。

リンは自分に言い聞かせる。


これはサンズの公爵家の令息で、もうすぐ伯爵位を賜る男だ。

おまけにイーサンは同僚だ、恋しても気まずい男だ。

イーサンにとって、このエスコートは仕事だ。

そして、リンのこれも仕事だ。


まずは、無になろう。とにかく、無にならなければ。

リンは出来るだけ、気持ちを無にして廊下を歩いた。



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