44.舞踏会 ~ルイーゼ編~

時折向けられるライアンの熱を帯びた眼差しに戸惑いながらも、ルイーゼの王妃としての日々は忙しい。


少し前に開催の決まった剣術大会は、戦争が終わってから初の大きなイベントだったのだが、開催まで1ヶ月となった辺りよりかなりの盛り上がりを見せ、サンズの第二王子まで観戦に来る事になった。

第二王子は剣術大会の最終日の前日にルーナを訪れ、城には3日間滞在する予定で、第二王子本人に加えて連れてくる護衛や侍女達の部屋を大急ぎで手配する。


「兄上の事は気になさらないでください、私や一番上の兄と違って、軍人気質で真っ直ぐな人です。デリカシーはありませんが、その分こちらも気を使わなくていい方です」

ルイーゼの執務室を訪れたライアンはそのように言ったが、他国の王族を迎えるのだ、準備し過ぎてもし過ぎにはならないだろう。


「そういう訳にはいきません。第二王子殿下の好みを教えてください」

ルイーゼが、第二王子の外観や性格、食事の好みや調度品や寝具の趣味についてライアンに細かく聞いていると、途中からなぜかライアンがむっとし出した。


「王妃殿下、兄上の事は私が責任を持ってもてなしますので大丈夫です」

怒ったようにきっぱりと拒絶して部屋を出ていく。


「え?」

閉まる扉を見ながらルイーゼはびっくりした。

今の、怒ってたのかしら?

ライアンが怒っているのを見たのは初めてだった。

会議の場で、怒りを隠している笑顔なら見た事があるが、あんな風に分かりやすく怒っているのを見たのは初めてだ。


お兄様との間に、しゃしゃり出たような感じになってしまったのかしら……

兄弟の領分に踏み込んでしまったのかも、と後悔していると、控えていたシルビアに「大丈夫です、分かりやすく嫉妬ですよ」と言われた。


「嫉妬?」

なにに?どこに?

ぽかんとしていると、呆れたようにシルビアが続ける。


「妃殿下、ライアン王子殿下の好きな食べ物を御存知ですか?寝具の好みは?」

聞かれて、はっとする。


「…………知らないわ」

「お聞きになったことは?」

「ないわ」

「そういうことです」

「…………なるほど」

ルイーゼは、居たたまれなくなって頬を染めた。まさか、自分が嫉妬されるようなことになるとは。人生で初だ。ここのところ人生で初が多い。


そして、夫となる人の食事の好みも知らなかったのには少なからずショックも受ける。

前の結婚では夫と食事を共にする事なんてなかったので、盲点だった。

前の結婚とは違い、ライアンと結婚したら食事は一緒に摂るだろうし、知っておくべきだろう。


お茶の席でライアンはよくルイーゼの好みを聞いてきていたが、自分は聞き返してこなかったな、という事にも気付く。

ライアンはきっと、ルイーゼの食の好みや菓子の好み、好きな花や色を把握している。


食事の好みくらいは、今度聞いておいた方がいいわね、でも、上手に聞けるかしら。

公務や仕事の社交なら難なくこなせるのだが、こういう事は慣れてなくて本当に困る。


思い悩むルイーゼだ。

シルビアはそんな王妃をにこにこと見守った。



思い悩みながらも、ルイーゼは膨れ上がっていく剣術大会公式の掛け金の用途や、大会の観戦に向けて前乗りしたサンズの高位貴族の相手やらでバタバタと過ごした。


剣術大会は無事に大成功で終わり、サンズの第二王子も機嫌良く帰っていくと、今度は舞踏会の準備に追われる。


大きなイベントが2つ続いた事で、公務以外でライアンとゆっくり話をする機会もないまま舞踏会当日を迎えた。





***


舞踏会当日、ルイーゼは裾に青い糸でふんだんに刺繍の入ったアイボリーのドレスを纏う。

イヤリングや髪飾りは刺繍糸と色どりを合わせて、サファイアの石で統一した。

もちろん、ライアンの青灰色の瞳の事も意識している。舞踏会はルイーゼとライアンの仲が円満だとアピールする狙いもあるのだ。


だから、当然のことよ。他意はないのよ。

宝石箱の中からサファイアを取り出すのに少しドキドキしている自分に気付き、ルイーゼは自分を窘めた。



「とてもお美しいです」

迎えに来たライアンがうっとりと呟く。


「アクセサリーを青にしてくださって嬉しいです。王妃殿下に他意がない事は分かっていますが、それでも嬉しいです」

熱のある声色だ。

最近のライアンは直接的な言葉は言わないが、ルイーゼへの気持ちを隠そうとしない。

後ろの侍女達がきゃあっと小さく悲鳴をあげている。


「ありがとうございます、王子殿下もとても良くお似合いです」

顔が熱くなるのを何とか阻止して、ルイーゼもライアンを褒めた。


ライアンの衣装は、ルイーゼのドレスの刺繍糸と同じ青い生地で、所々にドレスの生地のアイボリーが使われている。

2人で並ぶと対になっていると一目で分かるデザインで、こういう風に衣装をシンクロさせるのも初めてで、むず痒い。


むず痒さをやり過ごしていると、ライアンが優雅に腕を差し出す。

「麗しく気高い私のレディ、あなたをエスコートできて光栄です。お手をどうぞ」


侍女達がまた小さく悲鳴をあげる中、ルイーゼはそっと手を添えた。


舞踏会場となるホールまでの道中、ライアンは当たり障りのない会話をして、会場に着くと如才なく貴族達の相手をした。

サンズの王子様はルーナの貴族達には概ね好感を持って受け入れられているようで、ほっとする。

これなら、あと三ヶ月となった戴冠式も問題なく行えるだろう。


やがて楽団が一曲目の演奏を始める。

ライアンは会話を打ち切ると、微笑んでダンスの誘いをしてきて、ルイーゼも笑顔でそれを受けた。

ホールの中央へと移動すると、近くにリンとイーサンがいるのが見えた。背の高い2人はとてもお似合いで目立っている。


シルビアの言う通り、本命同士なのかしら。

すれ違う時にちらりと気にすると、イーサンがひどく慌てて、「おい、コルセットは?」と言うのが聞こえてきた。


ルイーゼはリンのドレス選びに付き合ったシルビアより、今夜のリンのドレスはコルセットなしでも着れるデザインのものだと聞いている。

リンのファンであるシルビアは大興奮で「ネザーランド団長は、そもそも引き締まった体ですからコルセットで締めようもないです。腹筋も割れてました」と教えてくれたのだ。


最近は体を無用に締め付ける事への批判からコルセットを付けない令嬢もいるとは聞くが、大半は着けているはずだ。

町の酒場での平民の男女の踊りならともかく、貴族達のダンスでコルセットを着けていないレディを相手にする事は稀だろう。

そして、イーサンはサンズの公爵家令息だから生粋の貴族だ。さぞかし戸惑っているに違いない。

ちらりと見えた様子は、本当にぎょっとしていた。


ルイーゼの口元が思わず弛む。


「楽しそうですね」

顔が綻ぶルイーゼにライアンが気付いた。

緩やかにダンスのリードが始まる。


「さっきすれ違ったランカスター団長が慌ててらしたのでおかしくて」

「ああ、ふふ、取り乱してましたね。女神殿はコルセットなしのようだ」

「王子殿下も慌てますか?」

つい勢いでそう聞いて、これは際どい質問だったわね、とルイーゼは思った。

ライアンはこの後リンと踊る予定だと聞いている。非常に答えづらい質問をしてしまった。

しまったと思うが、もう聞いてしまっている。


ライアンは少し驚き、そして嬉しそうになった。

ルイーゼの耳元に顔を寄せて囁く。

「あなたがそうだったら慌てました」


ルイーゼはステップを間違えそうになるくらい動揺した。かあっと顔が赤くなるのが分かった。

ライアンの腕にぐっと力が入って、ルイーゼがつまずかないようにとリードが強くなる。


「す、すみません」

「いえ、私のせいです。動揺させてしまいました」

「すみません」

「大丈夫です」

「あの、王子殿下の好きな食べ物は何ですか?」

若干のパニックで、とにかく話題を変えようと口が勝手に聞いてしまった。

唐突な質問にライアンが唖然として、リードが乱れた。


「ああ、ごめんなさい」

「大丈夫です。……今日は随分無防備だな」

「え?」

「何でもないです。少し舞い上がってしまいそうで困ります」

「舞い上がる?」

「んんっ、何でもないです、好きな食べ物でしたね」

にっこりしたライアンが会話を元に戻し、ルイーゼは何とか食事の好みを聞き出してダンスを終えた。



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