38.王妃という駒 ~ルイーゼ編~

これは、余裕で抱けるな。


敵国の王都の開かれた城へと入り、この国の現在のトップであるルイーゼ王妃を見たライアンの第一印象は、後からその時の自分を殴ってやりたいと思うほど低俗なものだった。


言い訳をさせてもらうと、前日の夜に先に城に入ったイーサンより、ルーナの国王が逃げた事と、城には王妃と宰相が残っていた事を知らされており、ライアンはその時点で政略的な観点から王妃を娶ることを考えていたので、そういう思考になってしまったせいではある。


ルイーゼ王妃は国王からは冷遇され、政治的な影響力は少ない女性だったが、それでも12年間、ルーナの国母として努めてきた人で、国民からは性格に難のある国王よりずっと人気があり、王家の一員として認識されている女性だ。


また、ルイーゼの祖母は元々王女だった人なので、彼女にはルーナの王族の血も入っている。

28才という年齢は、かなりとうは立っているが、十分結婚出来る年齢だ。

なのでルイーゼと国王を離縁させて、ライアンが彼女と結婚して王になるのは安全で穏当な案の1つだった。


どうせ、ライアンがルーナの王となるなら、この国の貴族や国民に受け入れてもらうために、早々にルーナ国内の高位の貴族の娘を娶る必要がある。

その相手を現王妃に出来るなら、城や公務の勝手も知っているだろうしいろいろやり易い、とも思った。


ただもし、王妃が生理的に受け付けない女性であれば夫婦関係を築くのが難しいかもしれないので、結婚の案は諦めるしかないな、前国王に続いて王妃を冷遇することになれば反って印象が悪くなるしな、などと考えながらの対面だった。


ソファに浅く腰掛けて、背筋を伸ばした女性は濃いブルネットの髪をきちんと結い上げ、髪色より少し暗い、濡れた雀の羽を思わせるしっとりとした焦げ茶色の瞳はほんの一瞬、ちらりとライアンを見た。


ライアンはルイーゼが立ち上がって挨拶しようとしたのを制してこちらから名乗った。そしてその向かいに腰掛け、さっとルイーゼを観察する。


ルーナの王妃は紺色の落ち着いたドレスを身に纏っていた。

体つきは全体的に華奢だ。背丈は平均的な様子だが、肩は薄く腰も細い。

膝で揃えられた手も小さい。しかしその手は白魚のような儚げな様子はなく、日常的に書類仕事をしているのだと分かるしっかりとした手だった。

顔立ちは、少し影はあるが美しい部類だろう。


それらを確認して思ったのが、これなら抱けるな、だった。


ルイーゼの気持ちは全く問題にしていなかった。彼女は敗戦国の王妃であるのだし、降伏の意を示してサンズ軍を迎えたからには、ある程度の覚悟はあるはずだ。こちらの要求を拒むとは考えにくい。


また、ライアンはそれなりに自分の男としての魅力も自負していた。

若干童顔ではあるが顔立ちは整っている方だし、それなりの長身で体はほどよく引き締まっている。幼い頃からの教育と元々の性格から、物腰は穏やかで丁寧だ。

本国では、近付いてくるレディ達を優しくあしらってその頬を染めさせるくらい簡単だったし、第三王子という比較的気楽な立場だったこともあって後腐れなく遊んだりもした。


言い寄れば拒まれないし、恋心くらいは抱かせられるだろう、そう確信していた。

ルーナの王妃は大人しく控えめな性格だと聞いていて、彼女が国王に冷遇されていたのは有名な話だ、その寂しさにつけこめばいいだけだ。



「サンズの若き太陽にお目にかかれて、光栄でございます。ルイーゼ・ルーナと申します」

ルイーゼが落ち着いた声で名乗る。


声も悪くないな、合格だ、とライアンは思う。

本当にこの時点では、ライアンにとってのルイーゼは完全に、敗戦国の王妃という駒の扱いだったのだ。


後々、ライアンはこの初対面でルイーゼに対して何か失礼な事や、不快な事をしていなかったかと、後悔と共に何度も記憶を反芻する事になるのだが、もちろんこの時のライアンはそれを知らない。



さて、この時のライアンは、そこからまず現在の城や騎士団の状況や王都と城内の食糧事情、治安についての細々とした事柄について質問した。


ルイーゼはそれらにきちんと答えた、そして不明瞭な点については、「すぐには分からないので、確認して、お答えは後からでもよろしいですか?」と聞いてきた。


ルイーゼの答え方は簡潔で分かりやすく、堂々としていて、まるで高位の文官と話しているようだ。

ライアンは勝手にルイーゼを、自信のない暗い感じの婦人だとイメージしていたので、ここで大幅にそれを修正する事になる。

ルイーゼは影はあるが完全に自立して、完成されている大人の女性だった。


「後からでもよろしいですか?」という問いに、「構いませんよ」と返すとルイーゼはさらさらとメモを取った。

走り書きの字は、メモを取りなれている人の少し崩れた流れるような筆跡だ。


ご令嬢達が手紙に書く、見せるための美しい字ではなく、実用的な字。

ライアンは目を瞬いてその字を追った。


その後の貴族会議の派閥の事や、内政に関する質問にもルイーゼは、きちんと答える。

内容は宰相から聞き取ったものと大体一致した。


一通りの質問が終わった後、ルイーゼは降伏の宣言の仕方について提案してきて、気を付けるべき自治領の問題についても伝えてきたので、ライアンは内心、舌を巻いた。

ルイーゼは完璧な王妃だった。


サンズで聞いていたルイーゼの評は、家の都合で王妃になったものの王から蔑ろにされ、実家の侯爵の後押しのお陰で弱い勢力の基盤はあるが影響力は少なく、公務はそれなりに真面目に頑張っている不運な女性、というものだったのだが、目の前の女性は公務と内政をしっかりと把握し、起こりうる問題を見据えて対策を考えられる人だ。

王妃派と呼ばれる勢力も、この人自身で作り上げたに違いなかった。


まだ短い時間しか過ごしていないが、これはもはや逃す訳にはいかないな、と思う。自分が王としてこの国で立つ時、隣にいるのはこの人以外は考えられない。


去り際にライアンは少し考えてから、「明日、また来ます」と言った。


いつものライアンなら、ここは礼だけ伝えて後から侍女なり騎士なりに明日の予定について伝えさせる所だったし、直接伝えるにしても「明日またお時間をいただけますか?」と伺うべき所だった。


でも今は何となく、宣言してしまいたい気分で、ルイーゼが「お待ちしております」と返してくれたのには、我知らず少し胸が高鳴った。



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